スプモーニ

<CAST>

ナレーション(わたしと同一人物):

わたし(ちょっと内気な女性客):

桜木 優:

マスター:


<台本>


   *バー『Something』


ナレーション(わたし):

 お店の前を掃き掃除をしている若い男の子が、顔を上げた。

 ぼうっと歩いていたわたしと、目が合ってしまった。


優:

「いらっしゃいませ。今、開けますから」


わたし:

「あ、わたし、別に……」


ナレーション:

 つぶやいたわたしの声が小さ過ぎて聞こえなかったのか、多分、アルバイトのその男の子は気さくに微笑ほほえむと、お店に案内してくれた。


 珍しく定時に仕事が終わって、でも、まっすぐ家には帰りたくない気がして、カフェで珈琲コーヒーでも飲んで帰ろうと思っていただけだったから、それがバーに変わるだけ……なんだよね。


優:

「うちの店は、初めてですか?」


ナレーション:

 カウンター席を勧められてから聞かれた。


わたし:

「先月、会社の飲み会で来ました。すぐ近くの会社なんですけど、幹事かんじの人が、こちらのマスターと知り合いで」


優:

「そうでしたか、失礼しました」


ナレーション:

 彼はBGMをかけた。よく知らないけれど、映画音楽みたいだった。

 その間に、上着を脱いで、ブルーのシャツに黒いエプロンをして、ネームプレートを付けた。


 桜木くんていうんだ?

 改めて見ると、結構、背が高い。

 彼は、カウンターの後ろに並んでいる瓶を、一つずつ丁寧に、布で拭き始めた。

 かなりの数の瓶が並んでいるけれど?


優:

「全部拭きますよ。並んでいる場所も決まっているので、場所を覚えるためでもあるんです」


ナレーション:

 そんな面倒な作業なのに、この人は、そんなことも楽しいみたい。



マスター:(親しみやすい笑顔)

「いらっしゃいませ」


ナレーション:

 四〇代くらいの、お髭の生えたマスターに、わたしも会釈えしゃくをした。


マスター:

「何にしましょうか?」


わたし:

「先月、会社の飲み会で飲んだスプモーニが美味しかったので、スプモーニにします」


マスター:

「承知しました。

スプモーニなら、優、お前作れただろ?」


優:

「はい」


マスター:

「……だそうなので、こいつが作ってもいいですかね?」


ナレーション:

 マスターの話し方がちょっと面白くて、つい笑ってしまったけど、「お願いします」って頼んだ。


 わたしがうなずくのを見た桜木くんは嬉しそうに笑って、後ろに並んだお酒の瓶から、赤いお酒を持って来て、他の道具も並べていった。


優:

「カンパリとグレープフルーツジュース、それにトニックウォーターを加えます。

スプモーニは、女性に人気がありますね。男性でもお好きな方はいます」


ナレーション:

 そう言って、用意する手を止め、困ったような顔になった。


優:

「マスター、グレープフルーツが……すみません、僕、昨日練習で全部使ってしまって……」


マスター:

「ジュースならあるけど?」


優:

「そのジュースも美味しいんですが、生グレープフルーツが欲しいんです。すみません、お客様、今買って来ますから、少々お待ちいただけませんか?」


わたし:

「え、ええ。かまいませんけど」


マスター:

「近くのスーパーに行くだけだから、すぐに戻りますよ」(笑う)


優:

「じゃ、行ってきます」


(*優がドアを開けて出かける)


マスター:

「彼が買いに行ってる間に、何か他のものを飲んでお待ちになります?」


ナレーション:

 そうマスターは言ってくれたけど、わたしはアルコールは強くなくて、あんまり飲めないから、彼が作ってくれようとしているスプモーニを待ってみたかった。


(*優、戻る)


優:

「すみません、お待たせしちゃって! 今から作りますね」


わたし:

「ああ、あわてないで大丈夫ですから」


(*グラスに氷を入れ、リキュール、グレープフルーツを絞って入れ、トニックウォーター(炭酸)を注ぐ。軽く混ぜる)


ナレーション:

 出来上がったスプモーニは、フルートグラスっていうのかな、ワイングラスを細長くしたようなグラスに入っていて、きれいなピンク色だった。


 思わず「わ〜、かわいい!」って、声を上げてしまった。


優:

「スプモーニって、イタリア語で、泡立つっていう意味だそうです」


ナレーション:

 ピンク色の中を、グレープフルーツの粒と、しゅわっとした炭酸の小さな泡がのぼっていって、見た目にも楽しい。


 あれ? でも、以前頼んだものは、色は綺麗だけどもう少し濃いピンクで、どっしりとしたロンググラスだったような?


優:(にこやかで楽しそうに)

「ああ、飲み会のように大人数だと早くなるべく揃えて出さないとなので、一般的なスプモーニにしちゃうんですけれど、今日はちょっと凝ってみました。


 グレープフルーツの他にも、カクテルではレモンやライムを絞って使うこともありますけど、もったいないからってあんまりぎゅうぎゅう絞って、皮が破れると苦味が出ちゃうので、ほどほどがいいんです」


ナレーション:

 繊細なグラスの足を持って、そうっと口に運ぶ。


 なに、これ……?

 この間飲んだスプモーニも美味しかったけど、これはもっとジュースみたいに、フレッシュで爽やか!


わたし:

「美味しい……! グレープフルーツのつぶつぶの食感が、よりジューシーでいいですね! お酒じゃないみたい!」


ナレーション:

 桜木くんは、にっこり笑った。


優:

「つぶつぶがなくても美味しいですが、あると楽しいですよね」


ナレーション:

 マスターが出してくれたミックスナッツをつまんでから、思わずスプモーニの続きをごくごくと飲んでしまった。


 飲んだら、美味しくて、安心して……


わたし:

「実は、わたし……」


ナレーション:

 あれ? なんだか、勝手に言葉がするすると……?


わたし:

「……今、付き合ってる人がいて……」


ナレーション:

 なぜか、そんなことを口走っていた。

 こんなこと、話す気なんてなかったのに。

 

 お酒が入ると、ちょっと気が大きくなるからかな。この人が、わざわざスーパーに材料を買いに行くほど、わたしにこのお酒を作りたかった、そんなことまでしてくれたから……?


ナレーション:

 友達とも疎遠そえんになっていたわたしは、本当は、誰かに聞いてほしかったのかも知れない。

 そんな自分の奥底おくそこに追いやっていた気持ちが掘り出されて、現れたのは不思議だった。


 わたしのことを全然知らない誰かに聞いてもらえる方が、気が楽かも知れない。

 そう思えたんだ……。


わたし:

「彼はやさしくて、話していると楽しいんですが、最近は仕事が忙しくてあまり会えないって。SNSでもなくなってきたような気がして……もしかしたら、わたしのことがつまらなくて、別れたいのかも……」


ナレーション:

 桜木くんの顔も、マスターの顔も、見ることが出来ずにうつむいた。


(しばらくして)


優:(少し遠慮えんりょがちに切り出す)

「お客様から、会いたいって言ってみたらいかがでしょう?」


わたし:

「そんなことは……。わたし、思ったことをなかなか言えなくて。仕事で忙しいなら、ワガママ言ったら嫌われるんじゃないかとも思うし……」


優:

「言ってくれた方が、彼も嬉しいんじゃないかと思います。男性は言ってもらわないと気付かないことが多いですから。


 逆に、さっしのいい男性は、女性にとっては付き合いやすいかも知れませんが、女性に慣れてる恐れがあります。にぶい男性の方が、誠実かもです」


ナレーション:

 そういうものなの?

 嫌われないの?


優:

「今までわがまま言わなかった人から言われたら、やっと自分を信頼しんらいしてくれたのかと思って、僕なら感動しちゃうけどなぁ。


……ああ、すみません、本音が出ちゃって」


ナレーション:

 はにかんだ桜木くんがちょっとかわいくて、私もつられて笑ってしまった。


わたし:

「あの、……こんなことでウジウジ悩んでるなんて、わたし、アラサーなのに、おかしいですよね」


優:(ちょっと驚いてから)

「お若く見えますね」


ナレーション:

 そう。わたしはいつも若く見られていたけれど、それは、しっかりしていないから。いつも自信がないから。


 人前に出ることも、話すことも苦手で、大人しい人に見られていて。

 何か責任のある仕事が回ってきたこともないけれど、年齢的にも、そろそろ回ってくるかもしれない……。


 そうしたら、少しは自分にも自信がつくようになるのかな?


優:

「男女のことは、結婚して十年くらいってからわかることもあるみたいです」


わたし:

「結婚しててもそんなに……?

相手のこと、全部わかった上で結婚するんじゃないんですね」


優:

「……って、お客様が教えてくださいました」


わたし:

「あ、……ですよね? だって、桜木くんはまだ……?」


優:(明るく笑って)

「二十歳そこそこの、お酒もデビューしたばかりのまだまだ小僧ですから」


わたし:

「あはは。そんなに年下だったんだぁ?

 わたしの方が、全然しっかりしてないね」


優:

「いえいえ、そんなことはありませんよ」


ナレーション:

 まったく知らない人の方が話しやすいこともあったんだ。


 カウンターには、常連じょうれんぽいおじさん客が、わたしとは間を開けて座って、マスターに話しかけている。他のお客さんたちも増えて来たから、そろそろ帰ろうかな。


わたし:

「あの、一杯だけでしたけど、……お会計していいんでしょうか?

 本当に申し訳ないと思うんだけど、明日も仕事があって……もうそろそろ……」


優:(屈託くったくのない笑顔)

「いいんですよ。今度、是非、彼氏さんもご一緒にどうぞ。


またスプモーニ作りますよ。今度はちゃんとグレープフルーツ最初からご用意しますから」


ナレーション:

 屈託くったくのない笑顔の桜木くんを見ていたら、本当に、付き合ってる彼をここに誘ってみたいって思った。


わたし:

「はい。ありがとうございました」


優:

「こちらこそ、ありがとうございました。またのお越しをお待ちしてます」



※参考までに(読まなくてもOK)

【スプモーニ】5度

 イタリア語で「泡立つ」という意味。

 ※氷を入れたグラスに直接作る。


 カンパリ 30ml

 グレープフルーツジュース 40ml(~45ml)

 トニックウォーター 50ml(~約100ml)


 より引き締まった味が良ければ、次のレシピもある。


 カンパリ 20ml

 グレープフルーツジュース 20ml

 トニックウォーター 適量


 お酒を割る用の市販の濃縮のうしゅくジュースでも美味しいが、生グレープフルーツをしぼると、さっぱりと美味しくなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る