第6話 ドライ・マンハッタン
<CAST>
ナレーション:
璃子:
桜木 優:
大輔:
遥:
マスター:
<台本>
ナレーション:
コンクールの一件から、優の身辺は、興味本位な学生達で
「なぜ譜面通りでなく、途中を即興で弾いたのか」と。
「なぜ、そんなバカなことをしたのか。普通に弾いていれば良かったものを」と。
璃子(心の声):
「『いやあ、不器用でさ』なんて、優くんがにこにこ答えるたびに、同じことをコンクール直後にぶつけちゃったことを思い出して……。
謝るタイミングを
*
ナレーション:
数週間後、二十歳になった優は、大輔、璃子と『Something』で誕生祝いをすることになった。
(『Something』)
璃子:(からかうように)
「まったくもう、いつもハラハラさせるんだから。ハタチになったんだから、少しは落ち着いてよ?」
優:(わざとかしこまって、にっこり)
「はい。気をつけます」
璃子:(憎々しげに見つめ、ぶつぶつと)
「む……、思わず許したくなっちゃうその
大輔:
「とにかく、優はそのままでいろ。お前はきっと勇者なんだ! 冒険出来ない俺の代わりに、冒険してくれていいからな!」
璃子:
「ちょっと大輔、けしかけないの!」
優:(笑う)
マスター:
「アルコールも解禁だな。はい、生ビール」
(*三人分テーブルに置く。ジョッキではなく、グラスビール)
優:(ウキウキ)
「わ~、やっと飲める!」
大輔:(ちょっとテンション高く)
「それじゃ改めて、優、誕生日おめでとう!」
璃子:(楽しそうに)
「おめでとう!」
優:(楽しそうに)
「ありがとう!」
大輔:
「乾杯!」
(*グラスを合わせて乾杯する)
(*飲む音)
優:
「なめらかな舌触りの後、苦みのある炭酸がやってきて……
マスター:
「そりゃ良かった! これでやっとお前にも、カクテル作るのを手伝わせられるな!」(笑う)
優:
「はい。僕も楽しみです!」
*
(遥のアパート)
(*ドアが開いて、閉まる音)
(*明るめのジャズのBGM)
優:
「お帰り。ライブお疲れ様」
遥:
「ありがとう。
優くんも、やっと二十歳になったのね」
優:
「うん。やっとお酒が飲めるお年頃になれたよ」
遥:
「とっくに飲めそうだったけどね」(笑う)
優:(笑う)
「白ワインを冷やしておいたよ。二人で飲もうと思って」
(*冷蔵庫を開ける)
(*ワインを開けて注ぐ)
遥:
「ありがとう」
(*優が自分のワイングラスにも注ぐ)
遥:
「ワイングラスは、乾杯の時はグラス同士を合わせないんだったわね?」
優:
「うん」
遥:
「それじゃ、グラスを持ち上げるだけで。
乾杯」
優:
「乾杯」
(一口飲む)
遥:
「美味しい」
優:
「うん。フルーティーで美味しいね」
優(心の声):
「このごろ、遥さんの情緒不安定が続いてる。
時々涙を拭いてたり、イラついてたり、
(しばらくして)
(*BGMゆったりしたジャズギター系に代わる)
遥:
「私よりも、優くんは大人みたい」
優:
「そんなことないよ。遥さんに追いつきたいって、思ってるよ」
遥:
「優くんは、私にワガママ言って困らせることもなかった。
私がワガママ言った時も、怒ったことないよね。
我慢させちゃってごめんね」
優:(やさしく気遣うように)
「別に我慢してないよ。遥さんは最近謝ってばっかりだよ」
遥:(優を見上げてから、後ろめたそうに視線を反らす)
「あなたは輝いてる。才能もあるし、そう、宝石の原石みたいに、これからもいろんなことを吸収して磨かれていって、どんどん輝いていくわ。
でも私は、くすんでいく一方なの」
優:(意外そうに)
「なんで? 遥さんだってまだ二〇代だよ?」
遥:
「そろそろいい加減に、宮崎の実家に帰ってこいって、親に言われてるの」
(涙があふれていく)
優:(自分ではどうしようもない事態だと気付く)
「そう……なんだ……」
遥:(弱々しく)
「ライブも今までより減ってきて、
これからの人と、終わっていく人。それを突きつけられているみたい」
優:
「そんな……、じゃあ、どうすれば……遥さんのために、僕はどうしたら……!」
遥:
「優くんは、私に『行かないで』って……引き
優:
「それは……」
遥:(つぶやくように)
「まだ学生だもんね。引き留めるなんて、出来るわけないよね。ごめんね、困らせて」
優:(自分の手からこぼれていきそうな彼女を、どう食い止めればいいのかわからないまま、強く抱きしめる)
「明日は学校を休む。今日はこのまま一緒にいるよ。
遥:(我に返り、優の腕から離れる)
「そんなことまでさせるのは、年上の女として最低だわ。私を最低女にしないで。
(少し明るく)
もう大丈夫よ。
私も
心配しなくて大丈夫だから、今日はちゃんと家に帰って」
(そう言いながらも何かを言いたげな顔になる遥だが、何も言おうとしなかった)
優:
「……わかった」
*
(*数日後『Something』開店前)
優:(学校帰りに駆け込む)
「マスター! 遥さん来てない?」
マスター:(カウンターから、きょとんと見る)
「いや、今日はまだ来てないけど?」
優:(何かから彼女を守ることが出来なかったと、
「……防げなかった」
マスター:
「とにかく、ここに座れ」
(優をカウンターの端に
優:(ぼう然としている)
(*カウンターのスツールに座る音)
マスター:
「それで、何があった?」
優:
「……遥さんのアパートが引き払われていて、何も残ってませんでした。
携帯も解約されてて……」
マスター:
「またか……!(やるせない、ため息)
お前と遥との間に何があったかは、聞かないでおく。
二、三日前、遥の親から俺のところに連絡が来た。いい加減、連れ戻したいから近いうち上京する、って。
その度に、遥は音信不通になって、しばらくしてから俺に連絡してくる。
今までそれを繰り返してきた。
おそらく、今回もどこかで身を
優:
「え……」
(表情が
マスター:(優の様子をうかがいながら)
「数年前、二人は同棲してた。遥は献身的に尽くしてたが、男の女癖の悪さに愛想をつかして別れた。
それ以来、彼女も何人か付き合ったが、結局はヤツのことを放っておけず、二人はくっついたり離れたりしてたんだよ」
優:(
「……同じ結果になるのは目に見えていて、なんで繰り返すんです?
そんなの、逃げてるだけじゃないですか」
マスター:(穏やかに)
「あいつらは、……要するに、腐れ縁なんだ。
二人は同志であり、ライバルでもあり、そうやって音楽面では影響しあって、成長して来た。あの二人には、他のヤツが入り込めない
優:
「……僕じゃ、まだそこまでは……」
マスター:
「そういうわけだから、気にするな。
まあ、俺も、この年になっても女性の気持ちはよくわからんが、遥は自分が男を支えていることに価値を見い出しているように見えた。
ちょっとダメなところのある男に、いつも惹かれてた。
俺から見ると、
お前に、自分の欠点や、見せたくない部分まで見抜かれそうな気がしたのかも知れない。
常にお前の前を歩く、尊敬される年上の女でいたかったんだろう」
優:
「何も話してくれなかったのは、僕が子供だからだと思ってた。
子供だと思われたくなくて、早く遥さんと対等になりたくて追いつこうと……。
それは、意味のない、単に背伸びだったのかな。
学校のことも、もっと相談すれば良かった……」
マスター:
「お前は悪くないよ」
優:(さびしく笑う)
「だとしても、……あの二人の絆には、勝てないんですよね」
マスター:
「悔しいが、今のところは、遥と縁があったのは向こうだったと思うしかない。
遥もまだ本物が何かわかっていないんだと思う。
お前より七歳年上とは言っても、たかが二十七だ。まだまだ若い。
本当の女盛り・男盛りは三十過ぎてからだと、俺は思うね」
(がっしりとしたガラス製のミキシンググラスの中の酒と氷を、なめらかに、音も立てず、バースプーンで混ぜる)
(ストレーナーでこしながらグラスに注ぎ、小さく切ったレモンの皮の香りを飛ばす)
(優の前に紙のコースターを置き、出来上がったショートカクテルをコースターの上に置く)
「飲んでみるか?」
優(心の声):
「カクテル……? ショートグラスってことは強めなのかな。
(グラスに口をつける)
優:
「!?」
(むせる)
「目の覚めるような辛さと、濃いウイスキーの味。
……これは……?」
マスター:
「『ドライ・マンハッタン』だ。
かなり強いから、酒の味を覚え始めのお前にはキツいだろうと思って、ちょっと長く
優(心の声):
「確かに、つい最近、別のお店で飲んだウイスキーの水割りは、美味しいと思えなかった。
ウイスキーに慣れていない僕のために、マスターが調節してくれた?」
(そのカクテルを興味深く見つめ、もう一度グラスを傾ける。カクテルグラスなので氷はない)
「『ドライ・マンハッタン』…… 舌にピリッとした感覚が残って、飲む度に目が覚めるみたいだ。
キツいけど、レモンの香りが爽やかだ。
一口目よりも、美味しさがわかってきたような気がする」
マスター:(黙って味わっている優を見て)
「興味あるか? これがレシピ本だ」
(本を渡す)
(*優が本をめくる音)
優:
「『ドライ・マンハッタン』35度。
ウイスキー 3/4
ドライ・ベルモット 1/4
アロマティック・ビターズ 1滴
ミキシンググラスに氷と材料を入れてよく混ぜてから、ストレーナーでこす。
オリーブを沈めて、レモンをピールする」
マスター:
「ピールってのは、レモンの皮を小さく切って、少し離れたところから指で折りたたんで香りを飛ばす。
そうやって、カクテルに香りづけするんだ」
優:
「さっきマスターがやってた、あれですね」
マスター:
「そう。
ああ、そこにも載ってるが、カクテルの女王と呼ばれてる『マンハッタン』っていうのがある。
アメリカ19代大統領選の講演会パーティーが、ニューヨークで開かれた時に、のちのイギリスの首相チャーチルの母親が作った、って言われてる」
優:
「『マンハッタン』のスイートベルモットをドライベルモットに変えて、レッドチェリーをオリーブに変えたものが『ドライ・マンハッタン』か……」
マスター:(さりげない口調で)
「『ドライ・マンハッタン』にはもうひとつ、メリーランド州のバーテンダーが、傷付いたガンマンの気付け用に作った、っていう説もある。
ま、能書きなんか、どうでもいいか」
優:(マスターの思いやりが感じられる)
「……それで、これを、僕に……?」
マスター:
(照れ笑い)
優:(少し気が楽になる)
「どっちにしろ、もっと大人にならないとわからないんでしょうね。人も、『ドライ・マンハッタン』も」
マスター:
「辛い経験もスパイスだと思って、全部自分のモンにしちゃえ。
今日は苦く感じる酒も、いつか美味しく思える日が来る。
お前なら、近いうちわかるようになるよ」
優:(半信半疑に)
「はあ……」
(うなずいてから、ハッと気づく)
「……って、今後も、苦い酒を飲むことになるんでしょうか?」
マスター:
「いや。なにもあえて飲むことはない。
飲んじゃった時は、しょうがないけどな」
優:(少し笑う)
「……そうですね」
ナレーション:
顔を見合わせ、お互いに苦いものを食べた時のような笑いを浮かべると、優はゆっくりと、
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