第4話 カルーソー 〜エメラルド色の宝石〜
<CAST>
ナレーション:
大輔:
璃子:
桜木 優:
遥:
ギターの男(遥の元彼):
マスター:
<台本>
*練習室
ナレーション:
練習室で、優の練習に立ち会っていた大輔と璃子は、ただ唖然としていた。
大学では重厚な曲を弾かされることが多かったが、今の優の音は、あざやかな彩りにあふれ、自由気ままに、美しく、時に
大輔:(感心して)
「2年に進級してから、優のやつ、すげぇ
璃子:(感心して)
「うん。2年になってからは個人レッスンになっちゃったから、優くんが今はどんな曲を習ってるのか、どう弾いているのか知らなかったけど、すごくのびやかで、余裕とか自信が感じられるよね」
*練習後、学校内のカフェで。
(大輔、璃子、優、缶コーヒーを飲みながら)
璃子:(遠慮がちに切り出す)
「それで、優くん、結局コンクールはどうしたの? この間、コンクールが終わるまでジャズは弾かないようにって先生に言われたら、コンクールには出ないなんて言って、もめてたでしょう?」
優:(そんなことなどなかったかのように)
「うん。ガーシュウィンの『ラプソディー・イン・ブルー』でなら出るって言ったよ」
大輔:
「そっか! あれならジャズっぽいから、お前がジャズやってるのも活かせるしな! いいんじゃないか?」
璃子:(表情を曇らせる)
「でも、あの先生はアメリカ音楽とかガーシュウィンって感じじゃないよね? どうするの?」
優:
「コンクールの曲だけは、
大輔:
「進藤教授!? あの先生ひどいって聞くぜ? 口悪いわ、感情的に怒るわで。聞いた話じゃ、『そんなのも弾けないなら死ねば?』って言ったとか」
璃子:
「ええー!」
優:(力なく笑う)
「気は進まないけど、弾きたい曲のためには仕方ないかな、って思って」
*後日
大輔:
「あれから、優のレッスンは教授じゃなくて、いつもの先生に戻ったらしいな」
璃子:
「そうなの。先生が言ってた」
大輔:
「優に理由を聞いたら、『あの先生はジャズがわかってないし、ガーシュウィンも好きじゃないって』……としか言わなかったけど、……相当なバトルがあったかもな」
璃子:
「やっぱり?(ため息)」
大輔:(驚きながらも感心)
「あいつがあの怖え教授とやりあうほど、音楽に対して、そこまで熱いもの持ってたとはなぁ!」
璃子:
「大輔、優くん、どこか変わったと思わない? 前より頼もしくなったけど、……ちょっと心配だよ。優くんが、どこか遠くに行っちゃうみたいで……」
大輔:
「う〜ん……?」
*遥のアパート
ナレーション:
遥のアパートで、コンクール曲である『ラプソディー・イン・ブルー』を練習していた優は、電子ピアノを弾いては五線紙に書き込んでいた。
ライブを終えて帰ってきた遥が、横からのぞきこむ。
優:
「おかえり」
遥:(やさしく)
「なにしてるの?」
優:
「……僕は、ピアニストには向かないのかも」
遥:
「そんなに上手なのに? クラシックとは無縁の私には、よくわからないけれど」
優:(少し淋しそうに笑う)
「クラシックとジャズって、どっちか選ばないとならないのかな。両方弾けたらいいけど、クラシックの弾き方が変わってきたって、先生に言われた。
確かに、今は、頭はジャズに向いてる。ジャズは楽しいけど奥が深くて、もっと知りたいし、もっと上手くなりたい。
でも、まだ追いついてないと思うんだ。特に、タッチとかノリが」
遥:
「まるで、恋してるみたいにジャズに取り
優:
「もっと遥さんみたいに弾けるといいんだけど……」
遥:
(言い終わらないうちに、横からハグして優の頬に口づける)
優:
「ちょっとすっきりした」
遥:
「でも、まだまだ頭の中では解決していない、っていう顔ね」
優:
「もう戻れないのかな」
遥:
「どこに? クラシックに? それとも、……私とこうなる前に?」
優:(意外そうに)
「え? 学校の音楽には戻れない、ってつもりだったけど……」
遥:
「……やっぱり、同級生とか同年代の方が良かった?」
優:
「そんなことないよ。僕は遥さんが好きだよ」
遥:(遥の瞳が潤んでいく)
優:
「どうしたの?」
遥:
「ごめんね。クラシックを勉強中のあなたにジャズを教えて、純粋な大学生を無理に大人の世界に引き込んだみたいに。
音楽のことだけじゃないわ。あなたは、まだ学生なのに、……こんなことになって良かったのかしらって、時々不安になるの」
優:
「なんで? 僕は全然後悔してないよ」
遥:
「それは、まだほんの入り口しか知らないからよ」
優:
「音楽と恋愛、どっちのこと? もしかして、両方……?」
遥:
「ちょっと言ってみただけ」
優:
「何かあったの?」
遥:
「なんでもないわ」
優:(遥をハグ)
「気付かないうちに、遥さんを不安にさせてるんだとしたら……。だとしたら、そう言って」
遥:
「……あなたは何も悪くないわ。……本当に大丈夫なの」
*バー『Something』
優(心の声):
「あれから、『Something』では、ライブで遥さんが歌う時に、僕もピアノ伴奏をすることもあった。
着飾った美しさと、作られた笑顔と、ボーカルという外側のきらびやかさが、彼女の内面と違い過ぎるように見えることがある。
彼女の心はここにあらず、って感じることも……。
何も打ち明けない彼女に、どう接していいのかわからなくて、ただ黙って抱きしめると、『余計なことを聞かないでいてくれるから助かる』って、少しだけ
そう言われると、やっぱり何も聞かないでいる方がいいのかなって思うけど……」
ナレーション:
『Something』での、彼女以外とのセッションが、優には息抜きにも感じられた。
その間はコンクールを始め、なにもかもを忘れられ、一番、音楽を楽しめる瞬間だった。
彼女の中で、どんな変化があったのかがわからないまま、それが気になったまま、それでもなんとか救いたいと思うまま、過ごしていた。
男:(勝手を知ったように)
「ワイルドターキーをロックで」
ナレーション:
優の知らない30代ほどの男が、カウンターのスツールに腰掛けた。
隣の壁には、ギターのハードケースが立てかけてあり、ギタリストであるとわかる。
男:(親しげに)
「マスター、遥、今日何時から歌う?」
マスター:
「えーっと、今日は、8時からだな」
男:(手を挙げて笑いかける)
「よう、遥、久しぶり!」
遥:(表情が引きつる)
「……来てたの」
男:
「ここ座れよ。久しぶりに、一緒に飲まないか?」
遥:(つれなく)
「いいえ」
男:
「そうか。じゃあ、また今度な!」
*
ナレーション:
数日後。
優のアルバイトではない日に、遥は男とカウンターに並んでいた。
男はワイルドターキーを、遥は、カルーソーという緑色のカクテルを頼んでいた。
男:
「珍しいな。お前、カクテルなんか飲んだっけ?」
遥:
「あの頃、あなたに付き合って、好きでもないウイスキーを我慢して飲んでたの。そんなこともわからなかったのね。
このカクテルにはね、あなたは嫌いでも私は好きなミントが使われてるの」
ナレーション:
エメラルドのように透明感のあるグリーンを、眺める遥の頬が少しだけ緩む。
その様子を注意深く、男の目が見つめる。
遥:
「十九世紀末から二十世紀初めにかけて活躍したイタリアのオペラ歌手エンリコ・カルーソーにちなんで作られたんですって。ね? マスター」
マスター:
「そうだな。マティーニの材料の配合を変えて、同じ作り方でグリーン・ペパーミントのリキュールを加えるんだ。
作り方もマティーニと同じで、ミキシンググラスに氷とジン、ドライ・ベルモットとグリーン・ペパーミントを入れて、混ぜるだけだ」
遥:
「テーブルに出された途端にミントの香りが広がって。その割りに甘味があって飲みやすいの。喉に涼しいミントが心地良く残る。オペラ歌手が気に入るのもわかるわ。
ミント好きな私のために、レシピを探してくれたの」
男:
「へー、マスターが? 今さら?」
遥:
「誰でもいいでしょ?
それよりも、どういうつもり? もう連絡しないでって言ったじゃない」
男:
「じゃあ、なんで、こうしてここにいるんだよ?」
遥:
「この際だから、はっきり言っておこうと思って。何度も言うけど、もうここには来ないで」
男:
「はいはい、わかってるって。ただ一言、忠告してやりたいと思っただけだ」
遥:(男を
男:(少しだけ真面目な顔になる)
「最近、お前の歌もピアノも、前みたいな勢いがなくなったんじゃねぇの? 甘過ぎんだよ。俺は好きじゃないね」
遥:
「別に、あなたの好みなんかどうでもいいけど?」
男:
「男変わったのか? まさか、この間ここにいたバイトのヤツじゃねぇだろうな? 背が高くて
遥:(動揺するが、すぐに平然としてみせる)
マスター:(カウンターの中から遥を見るが、何も言わない)
男:(*ロックグラスを置く)
「どういう気まぐれだよ? ガキにお前の相手が
お前は一見気が強そうに見えて、意外と
遥:
「言っとくけどね、彼はあなたなんかよりずっとずっとやさしいし、ずっとずっと大人よ。音楽に心を奪われてるところはあるけど、一途でいてくれるし、女がコロコロ変わる誰かとは大違いよ」
男:
「駆け引きとか緊張感も大事だ。男と女はな、のめり込んだ方の負けなんだよ。
聴けばわかる。お前が今の状況に
遥:(怒りとも恐れとも呼べない目で男を見て、押し黙った)
男:
「図星か? 年下となんか遊ぶだけ時間の無駄だぜ。今のうちは新鮮でも、お前だって甘えられなくて辛いこともあるんじゃないのか?
だいたい、お前、痩せたんじゃね? ちゃんと食ってんのか?」
遥:(しおらしく)
「……
男:(やさしく)
「俺もいろいろあって、やっとわかってきたんだよ。今なら、お前ともやり直せる」
(真っすぐに遥を見つめる)
遥:(思わず男を見て、慌てて目を反らす)
男:
「お前が忘れられない。お前の歌声も。お前だって、俺を忘れられないんじゃないのか?」
遥:(瞳が
(立ち上がり、男を
「……あなたなんて、
……(静かに)大嫌いよ」
男:
「そうか」
(フッと、大人の男の笑い)
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