作法無用

未来超人@ブタジル

逆突き

 町外れの廃工場の奥に、その昔工場で働いていた人間が住んでいた団地があった。 

 役所からは一応、強制退去するように命じられているが誰もそうしようとはしない。すでに夥しい数の住人たちがいるからだ。建物、道、そこいらの草むら全てが腐敗臭に塗れている。

 ここにいるのは表の世界で暮らす事が出来なくなった人間ばかりだ。

 俺は子供の頃から愛用しているジャンバーの襟を整えた後、そこに足を踏み入れた。誰にも負けない自信はあったが不吉な気配に飲まれてしまっているのだ。そこは二十歳はたちになったばかりの若造という事で許して欲しい。


 見田助六は一息飲んでから建物の敷居を跨ぐ。

 外れかけた看板には【金星工作所職員専用宿舎】と書いてあった。金星工作所とは数十年前に倒産した地元で一番大きな工場だった。重機の部品を作っていたらしい。


 見田が仕入れた情報では、この荒地のどこかに隠れている男 中村哲道なかむらてつどう は殺人の罪で服役する前はここで働いていたらしい。

 中村は生真面目な男で逮捕される前に会社には辞表を提出し、中村が殺人者となるきっかけを作った金星工作所とは縁を切っていた。

 幼い頃に両親を失い、学歴も無い中村は流浪の日々の果てに起源とする場所に帰ってきたのである。


 見田は屋根の無くなった建物の内部を歩きながら中村哲道について考えていた。


 


 一介の格闘家である見田には中村の経歴など知った事ではない。見田が興味を持っているのは中村の使う【麒麟きりん】と呼ばれる技である。


 見田は師である若島龍也わかしまたつやから中村は分裂前の空手団体 【厳道会館げんどうかいかん】随一の正拳使いと聞いていた。


 (俺が【麒麟】を使えるようになれば神野のおっさん、驚くだろうな…)


 見田助六はつい最近完敗した相手の顔を思い浮かべながらほくそ笑む。


 今、見田は琉球空手などという格闘界の骨とう品に敗れ、恥も外聞もなく練習相手を探している最中だった。


 (今の俺じゃあ逆立ちしたって神野千里かみのせんりには勝てない。必要だ、古流のノウハウってヤツが…)


 見田が通路の曲がり角に到着すると、示し合わせたようにホームレスらが姿を現す。ガタイは良い老人たちだったが気配にトゲトゲしさを感じない。見田は彼らに自分の正体と目的を明かした。


 「なあ、爺ちゃんたち。俺さ、ここに住んでいる中村哲道さんって人を探しているんだけど知らないかな?」


 見田のやけに馴れ馴れしい態度のせいか一番前に立っていた髭を生やした白髪頭の男は下がってしまった。代わりに太ったハゲ頭の男が見田に応対する。


 「中村って…哲さんが何かをやったのかい?」


 「うーん。中村さんの昔の知り合いが俺の空手の師匠なんだけどさ、昔の事はもういいから帰って来いってね」


 見田は人懐こい顔をしながら笑う。


 「事情は良くわからないけど、そういう話なら大歓迎だよ。哲さん、このところ夜にうなされる事が多くてね。昔馴染みの人が来てくれたら大助かりだ」


 ハゲ頭の男を中心に踊り場跡に集まっていたホームレスたちは破顔する。


 見田は適当に話を合わせながら中村の居場所まで案内されることになった。畳の間に男は座っていた。


 見田を案内してくれた岩田というホームレスは中村が精神統一に入っていると教えてからその場を去って行った。


 静謐という言葉がピッタリと当てはまる空間だった。


 見田はそこにポップスソングの鼻歌を歌いながら乱入する。

 だが中村らしき男は微動だにしない。おそらくは見田が建物に入った瞬間から彼の存在に気がついていたのだろう。


 「ずいぶん若い客が来たようだな。私の名前は中村哲道、君の名前を聞いてもいいか?」


 中村は目を閉じたまま尋ねる。


 


 見田は武者震いを抑える為、故意に嗤って見せた。


 「ふふん。おじさん、不意打ちしても良かったんだけどね?現役を退いてからウン十年だっけ、つい敬老精神を発揮してしまったわけだよ」


 見田はポケットの右の拳を固めた。懐中拳という動作であり、実質戦いの準備を終えたにも等しい。


 見田の周囲の空気がわずかに震える。

 後一歩、踏み込めば見田は中村のコメカミに一本拳を入れるつもりだった。


 「その構え、覚えがあるな。浪岡流の若島か。アイツに俺の首でも取って来い、と言われたのか?」


 中村はごく自然な体で立ち上がる。対して見田は【麒麟】という言葉を否でも意識して数歩下がってしまう。


 「私の【麒麟】が見たいのだろう?打って来いよ」


 中村は左手を前に、右の手で拳の形を作り見田を待った。


 (この俺が舐められている。俺を誰だと思っていやがる…ッ‼)


 見田はポケットの内の拳を解いてジャンパーを投げつけた。同時に左の足指を固め足刀蹴りを放った。

 狙うは中村の喉笛、当てれば最悪相手が死ぬかもしれないほどの勢いで見田は蹴った。しかし。蹴りが当たる事も見田が【麒麟】を見ることも無かった。


 見田が次の瞬間、目にしたものは流れるような動作で足刀蹴りを払い落した中村の姿だった。

 見田は足を引っ込めて中村の反撃に対処しようと考えたがその前に意識が途絶えてしまう。

 そう中村は見田が思うよりも先に正拳突きを放った後だったのだ。


 


 「麒麟…ッ‼」


 どうにか言葉を紡いだ後、見田は意識を失う。


 中村は見田をどうするわけでもなく彼が再び目を覚ますまで部屋に置いてやった。


 麒麟とは逆突きの所作、その奥義は相手の攻撃が終わった直後に反撃をしかける心構えだった。


 後日、見田は缶ビールをケースで持ち込んで中村に教えを乞うのはまた別の話である。

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