Open mirage!
雪兎 夜
番外編
思い出のテディベア
目を開けた瞬間、見えた景色は今でもよく覚えている。赤い屋根にいつか絵本で読んだことがあるようなレンガの家。
目の前にあった扉の少し上を見上げると看板には『stuffed&cafe mirage』と書かれていた。英語は苦手でカフェであること以外、意味はよく分からない。
それでも何かに惹かれるように、僕は扉を開けた。カランコロンと響く軽快なドアベルの音。しかし、いざ店内を見回すと思っていたものとは違った。
猫やひよこなど様々な動物のぬいぐるみが列を成すように棚に並ぶ。抱きしめられるくらい大きいものもあれば、手のひらに乗るくらいに小さいサイズのものもある。どうやらmirageはぬいぐるみを売っているお店みたいだ。いったい、これのどこがカフェだというのだろうか。
そのまま、ぼーっと立っているとメイド服の可愛らしい黄色髪の女の子がこちらに向かって、とことこと駆け寄ってきた。
「ごめんなさい。いまはおやすみちゅうです」
柔らかな口調で話しかけてきた彼女は、突然の来店者が帰らない姿を見て疑問に思ったのか少し戸惑った表情で顔を覗いてくる。僕は事情を説明したくて何とか口にする。
「えっと…信じてもらえないかもしれないけど、どこから来たのか分かんなくて…」
「…なるほど。すこしまっててください」
小さな女の子の姿は誰かの名前を呼ぶ大声と共にお店の奥に消えていった。
* * * * *
案内された席に着くと、また新たな店員さんらしき人物がやってきた。
髪はシルクのように高貴かつ触ったら溶けてしまいそうなくらいに真っ白で腰くらいまでの高さまで伸びている。膝を余裕で覆い隠すメイド服の後ろから見える黒い尻尾は、まるで生きているかのようにくねくねと動く。つけているカチューシャも猫耳に見えるが、これでは本物の猫のようにしか思えない。
そんなことを考えているとはつゆ知らず、猫みたいな彼女が見せてきた冊子はカフェメニューだった。どうやらぬいぐるみ屋のさらに奥にカフェスペースがあって食事も提供しているらしい。
メニューに載っている美味しそうな写真を見ると、より食欲を刺激してくる。実は、状況を確認して落ち着いてきたのもあって、お腹は空いていたのだが、1つ問題があった。
「あの、僕お金持ってなくて…」
「大丈夫ですよ。どれでも好きなものを頼んで下さい。店主であるご主人様がお代はいらないとおっしゃっていますから」
少し申し訳ない気持ちもあるが、お腹の虫は今にも鳴ってしまいそうだったので、素直に甘えさせて貰うことにした。
メニューを最後まで目を通した後、最初のページに載っていたアニマルオムライスとオレンジジュースを注文する。
注文を聞きながらメモを書いた彼女がぺこりとお辞儀をして、姿がキッチンの方に向かって行ったのを見て改めて店内を見渡す。
外観が洋風だったのもあり店内も同じようなテーマの家具でまとめられているが、どこかぬくもりも感じる素敵な空間だ。今は人が居ないものの賑わっているお店を想像しただけで少し胸が高鳴ってくる。僕は満員のお店に行くのは難しかったからこそ、憧れのようなものがあったのだ。
暫く待っていると最初に話しかけてくれた子が注文された食事を運んできてくれて、テーブルに置いていく。その姿はまるで愛らしいひよこのようだった。
「おまたせしました〜。あにまるおむらいすと、おれんじじゅーす、です」
飲み物を1口飲んでから「いただきます」と言って皿を見てみると薄焼き卵の上に、ひよこと猫のミニキャラがケチャップで描かれている。僕はそれを壊すのが嫌で、ぎりぎり描かれていない所をスプーンで掬って食べる。懐かしさと共に口に広がる味はケチャップライスで、まだ出来立てであることが分かった。
そして、食べ続けていた様子を離れた場所から見守っていた彼女が近づいて来て、質問を投げかけてきた。
「──お食事中、申し訳ありません。店主に代わって、改めてこちらに来た経緯をお聞きしても宜しいですか?」
何処から来たのか、どのようにmirageに辿り着いたか、何もかも分からないのだと正直に話した。勿論、こんな異世界転生ものみたいな話を信じてもらえるとは思っていない。それでも下手に嘘をつくよりも良いのではと考えた。
「…成程。でしたら暫く、ここでのんびり過ごしていたら元の場所に戻れるかと思います。ここで暮らしても良いという許可も出ているので、ご安心下さい。それでは食べ終わったら、お部屋にご案内しますね」
突然の提案に驚いたが、断る理由もない。急いでオムライスを掻き込み、オレンジジュースを一気に飲み干して席を立つ。そして歩き出した彼女の後ろをついていくと、作業スペースのような場所にある人影を見つけて思わず立ち止まる。足音が止まったことに気づいた猫はこちらを振り返りながら影の正体を説明してくれた。
「あの方はmirageの店主であり、我が主です。今は丁度、ぬいぐるみ作りの最終工程ですね」
店主が呪文のような言葉を呟く。すると空中に不思議な光り方をする糸と裁縫道具のようなものが出現する。彼女はそれに触れることなくまるでオーケストラの指揮者のように手を振っていく。針や糸が光の軌道を描き、綿が詰まった生地が綺麗に縫い合わせられて徐々にぬいぐるみの完成が見えてきて、僕は確信した。
(これは……魔法だ)
作業がひと段落したのを見計らって、猫が堂々と部屋に入り、話しかける。
「失礼します。ユズカ様、こちら例の方です」
「…はい。君、名前は分かりますか」
「名前は」と続けようと反射的に口を開くが、どんな言葉を発すれば良いのか脳が理解出来ない。どうして。もしかして、思い出せない?
「──あの、呼び方は決めた方が何かと便利なので、私が君に仮の名前をつけてもいいですか」
自分の名前すら思い出せないことに最早、怒りを感じてくる。それでも今は我慢だ。ここで取り乱しても、ただただ迷惑がかかるだけ。
「……そうですね。お願いします」
彼女は腕を組み、悩む素振りを見せながらも窓の外を眺めて言葉にする。
「それじゃ、『ハル』で」
「季節が春だから」と付け足したことで安直なネーミングセンスと思ったことはさて置き、こうして僕は『ハル』という名前をもらって異世界のカフェで居候をすることになったのだった。
* * * * *
まだ涼しげな暑さの中、オルカート王国では着々と夏祭りの準備が始まっていた。mirageでは宣伝も兼ねて屋台を出すらしい。商品として出すのはカフェのメニューを夏祭り用にアレンジしたもので買った人には、おまけでミニぬいぐるみチャームをプレゼントするという。
そして現在、チャームの大量生産に追われているユズカは最近、長時間作業に疲れてきてるように見えた。
そんなユズカのことだが、やっと人となりが分かってきた気がする。彼女は本当にぬいぐるみが大好きで、人見知りをして上手く話せない時は魔法でぬいぐるみを出して、それ越しに話すことがあること。基本的にマイペースで大人しい性格ではあるが、いざという時には勇気を持って行動に移せるということなど。
ただ、僕には未だに分からないことがいくつかある。そして先日、驚愕の事実が発覚した。なんと、あのひよこみたいな女の子『フラン』と猫の店員『シャルロット』は、元々ぬいぐるみだったという。
確かに、動物っぽい部分やもふもふしているパーツはあったが、体は人間と変わらないので全く気づかなかった。
しかし、その事実を知ったとはいえ、変わるものは何も無い。強いて言うなら「そうなんだー」としか思わなかった。
僕はそうやって、少しずつ異世界の適性をしながらも居候するのが申し訳無くて、お店の手伝いをして暮らしていた。
あっという間に、夏祭り当日。
「お待たせしました。こちら、おまけのミニぬいぐるみチャームです。どうぞ」
商品と共におまけのチャームを渡す。これで一旦、列になっていた最後のお客さんだ。やはりぬいぐるみカフェという名前がこの国でも珍しいみたいで、屋台でも引っ切りなしにお客さんが来てくれていた。それなのに何故このタイミングで途切れたのかはシャルロットさんが教えてくれた。
「そういえば…もうすぐ花火の打ち上げ時間ですよね。お客さんも来ないでしょうし、休憩にしましょう」
「さんせ〜」「はい」
オルカート王国の夏祭りではここ数年、国王陛下たっての希望で盛大な花火が打ち上げられるのが恒例となっている。また国主導ともあり、有数の花火職人が手がけているのでクオリティもかなり高いらしいと聴いて、実は楽しみにしていた。
「──なので、ユズカ様とハルさんで一緒に花火見てきたらどうですか?」
「……えっ⁉︎」
「一緒に居るの、嫌ですか」
「そ、それは嫌じゃないですけど」
僕が花火に想いを馳せている間にどうしてこうなった。というか、ユズカさんは2人きりになるの嫌じゃないのか? 出会ってからほとんど話していない中で半年も経っていない上に、今日のお客さんに対してもあんなに人見知りを発動していたのに。
「え〜、ふらんもいっしょにいきたいけど…ふたりともきゅうけい、いってらっしゃい〜」
意味が分からないままシャルロットとフランに店番を任せて、僕とユズカは背中を押されるようにその場から追い出された。後ろを振り返ると、フランは元気いっぱいに手を振り、シャルロットは既に後片付けを始めていた。
「どうぞ…熱いと思うので、気をつけて下さい」
「ありがとうございます」
僕たちは花火が見えつつも人通りが少ない場所にあるベンチを見つけて、屋台で買った焼き鳥を頬張る。お肉がとてもジューシーで口の中ですぐ消える。屋台でこの美味しさは凄いのではないか。これがmirageでも出来たら…なんて、食べ物のことになるとすっかりmirageのことを思い浮かべてしまう。それだけ僕の中で大切な存在になりつつあるのだ。
僕の食べ終わった串を捨てに行った後、ユズカさんは改めて右隣に座り、ぼそっと話しかけてくる。
「……あの、カフェに来るまでの今まで…思い出せましたか?」
こうやって、ユズカきっかけで話しかけてもらうことは今まで1度も無い。少し嬉しさを隠し切れない部分もあったが、僕にはずっとバレずに隠していたことが1つある。それは…今までを思い出したことだ。
* * * * *
僕が目を開けると、いつも真っ白な天井。その景色は365日変わらずに人生の大半はベッドの上で過ごしていた。
理由はなんとなくしか把握出来ていなかったが、確かなことは物心ついた頃から重い病気で入院していることだ。なので、思い出せるものは病院の記憶しかない。
夜になると、薬の匂いも痛みもいつか来るかもしれない終わりが怖くて看護師さんにバレないように毛布に包まりながら、泣いていた。しかし、寂しい気持ちは誰にも話せず、いつも意地をはって「僕は大丈夫。治るよ」と周りに言い続けていた。
そして、僕には心残りがある。それは最期にお仕事で滅多に会えなかったママとパパにありがとうを言えなかったこと。
…そういえば、病院で知り合った女の子がいたっけ。その子が持っていたぬいぐるみに名前を付けてあげたりするくらいに仲が良くて一緒に過ごしていたのだが、2年ほどで退院していって連絡も出来ていない。また会いたかったな。
時は過ぎ、僕はあの日も同じようにベッドの上にいた。ただ、1つだけいつもと違ってその日は急な眠気に襲われた。
そして、素直に瞼を閉じて、次に目を開けた瞬間には『stuffed&cafe mirage』の前に立っていた。
* * * * *
「……僕、しんじゃったの?」
「そうだね」
「───ッ」
この場所について、いろんな人に聞いても誰1人教えてくれなかったが、今では簡単に予想がつく。つまり、ここは天国とか地獄とかそういう場所なんだろう。
「あのさ…感謝を伝える方法、まだあると思うんだ。これ見て」
ユズカは右手で空中に魔法陣のようなものをサッと描く。すると、みるみる粒子が集まってきて物体を生み出す。強い光を放った後、テディベアとペンが出現して、彼女は両手で受け取った。
「オルカート王国では秋になると大切な人に感謝を伝える『感謝祭』があって、私はぬいぐるみに感謝の想いを込めてるんだ。だから、このぬいぐるみのリボンに隠していた気持ちを書いてみたらどうかなって」
「……そこに書いても、ここからじゃ届かないよ」
「私はね、ぬいぐるみには隠していた気持ちを代わりに伝えてくれて見守っていてくれる。そんな力があると思ってるんだ。だから…ハル、どんなに遠くても違う世界にいても必ず気持ちは伝わるし、届けてくれるよ」
テディベアをこちらに押し付け、ペンを渡してくる。どうすれば良いのかと思いながらも、後に引けなくなったのでリボンを解いてゆっくりとメッセージを書いていく。あの時、伝えられなかった想いを。
そして、最後まで書き終えた時には涙が溢れていた。僕は、やっと分かった。この気持ちをずっと…ずっと直接伝えたかったんだ。
テディベアにリボンを結び、ふと自分を見ると徐々に体が透けてきていることに気がついた。一瞬、パニックになるが、すぐにひとつの結論に行き着く。もしかして、過去に向き合って自身の気持ちに気づくことが出来たから消えてしまうのだろうか?
なら、彼女にもこの気持ちを伝えたい。しかし、声を出そうと喉に力を入れると掠れてしまい上手く言葉に出来ない。
そんな僕の様子を見て、ユズカは少し悲しそうな表情をぎこちない笑顔で隠しながら言った。
「ここでの生活は、君は忘れてしまう。それでも私はずっと君の分まで覚えているし、絶対に忘れないから。だから、ハル。
───出会ってくれてありがとう」
率直に紡がれた言葉を聞いて、僕の涙は止まらない。だからこそ伝えないと。そんな心に秘めた願いがぬいぐるみに届いたのか、不思議と声を絞り出すことが出来た。
「こちらこそ、ありがとう…ゆずちゃん」
(よかった…今度はちゃんと言えた)
微かに響いた声と姿は透明な粒子となって、空に吸い込まれていくように旅立っていった数秒後、夜空には幾つもの大輪の花が咲いていた。
季節は秋。
オルカート王国では8匹の
そこでmirageでは毎年、特別なぬいぐるみを作って捧げている。
私はいくつかのぬいぐるみを持って城の前にある祭壇に着くと、ハルが作ったテディベアと共に並べた。首元につけられたオレンジ色のリボンにはメッセージが書かれている。
『これからも、大好きだよ。ありがとう』
Open mirage! 雪兎 夜 @Yukiya_2
★で称える
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