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春。
窓を開ければ、吹き込んでくる風も、刺すような冷たさから軽やかな暖かさに変化していた。
いい天気だと窓枠に手をかけ、祈が目を細めているとスマホが音を鳴らす。
「……ん? けーちゃんから? ――ああ」
画面を確認して、思わず声が出た。
満開の桜の写真。
地元にいる幼馴染みから『お花見日和!』というメッセージ付で受け取った祈は、画面を見てふと笑みがこぼれる。
「そっか……今年はなんか違うと思ったら……こっちは、開花がはやいんだったか」
桜満開の中、獏間に引っ張られてお花見の屋台に行ったのは少し前のことだ。
花より団子を地で行く獏間は、満開の桜には見向きもせずアレやこれやと買っては胃の中におさめていた。
子ども向けだろうヒーローもののお面を、強引につけられたのは辟易したが……まぁ、いい花見だったなと思い出しつつ、祈は幼馴染みである大路 蛍に返事を打つ。
「楽しそうだね?」
「ひぃっ!?」
事務所の主は買い物に行っており、ここにいるのは自分ひとり。
そう思っていた祈は、突然背後から声がして悲鳴を上げた。
危うく窓からスマホを放りかけるも、後ろから伸びてきた手がスマホを押さえる。
「あーぁ、投げたらダメでしょ、祈。壊れちゃうよ?」
「……誰のせいだよ……!」
咎めるように――だが、大いにからかいを含んだ声で言われ、祈はスマホをしっかりと握りしめつつ後ろを振り返った。
「もうちょい、普通に帰ってきてくれないっすかね? なんで、音も立てずにドア開けるんっすか!」
「んー? 祈が楽しそうにスマホを見てたからさぁ。脅かしてあげようと思って」
「人が楽しそうだから、脅かしてやろうって――なんで、そういう発想になるんすか、アンタは……!」
「悪いね、元来の性分だ」
楽しそうに笑った獏間は、物音一つ立てず運び入れた紙袋から今日の昼食を取り出す。
「はい、祈はスパイシーバーガーでいいんだよね」
「……ありがとうございます」
「しかしさ~……なんで僕のオススメ、照り焼きバーガーを食べないかなぁ? おいしいのに」
「タレが甘いから嫌っす」
「しょっぱさだって、あるじゃないか。だいたい……きみは、辛いものを食べ過ぎなんだよ。あ、こら、七味取りに行かない。約束しただろう? 僕が買ってきたバーガーは、魔改造禁止だよ」
「……ちぇ」
個人的好みの話であーだこーだといいながら、探偵と助手はのどかな昼食を過ごそうとしていた。
その時だ。
――……カンカンカン!
勢いよく階段を駆け上がる音が近づいてきたかと思うと。
バンッ!!
と勢いよく事務所のドアが開き。
「獏間!!」
ただでさえ強面なのに、五割増しで怖い顔をした笹ヶ峰刑事が飛び込んできた。
「おやおや、派手な登場だね笹ヶ峰刑事」
「ああ、悪かったな。だが、今は緊急事態だ。お前、携帯見てないだろ……!」
「けいたい……?」
獏間が首を傾げる一方で、祈はピンときて笹ヶ峰に謝った。
「……すんません、笹ヶ峰さん。綴喜さんのは、充電中です」
「この野郎……!」
額に血管を浮き上がらせた笹ヶ峰が、じろりと鋭い目付きで獏間を睨む。
だが、我が道をスキップで歩いているような男にとっては、現職刑事の威圧すらそよ風程度にしか感じないらしいく、ほけほけとした顔で「ははは」と笑っている。
「お前なぁ! なにを呑気に!」
このままでは笹ヶ峰の血管が切れそうだと思った祈は、獏間に掴みかかりそうな刑事に慌てて「待って下さい」と断りを入れ、充電中だった獏間のスマホをコンセントから引き抜く。
「はい、お待ち! すぐ確認して下さい!」
「なんだか、出前みたいだね」
「そういうのいいから、はやく!」
獏間はどうでもいいことにツッコミを入れてくるが、祈はハラハラして彼を急かす。
笹ヶ峰は顔こそ怖いが、面倒見のいい常識人だ。
そんな彼が鬼の形相で慌てているのだから、おそらく一大事が起こったのだろう――祈は、そう推測したが……。
「……ふぅん、それで僕か……――祈」
スマホの画面を見ていた獏間は、一瞬不愉快そうに目を細め笹ヶ峰を見た後、祈を呼んだ。
「はい?」
「おい、獏間、お前まさか」
「これ見てよ」
なぜか笹ヶ峰が慌てだし、獏間はそれを無視し……祈の鼻先にスマホを突き出す。
「え? 見えねーんすけど?」
「あ、ごめんね? まぁ、簡単に説明すれば……」
祈は画面を見るために後ろに少し下がる。
その間にも、獏間は話を続ける。
「アレ、消えたんだってさ」
耳で獏間の言葉を拾うと同時に、祈はピントが合った視界で突き出された画面に浮かぶ、文面を読んでいた。
《錫蒔 珠緒、収容中の施設より消失》
《捜査協力を願う》
――ひゅっと、息が詰まった。
「消えたって……なんで……? だって、あの人は、ちゃんと人間に……」
叔母は獏間によって人間に戻ったはず。
そして、人間は普通消えない。
人間の姿が見えなくなったのなら、消失なんて表現はおかしい。
「獏間!」
「隠していても、すぐに分かることだろう。僕の助手なんだから」
咎めるように笹ヶ峰が怒鳴ると、獏間は悪びれた様子もなく肩をすくめる。
デリカシーは相変わらずゼロだが、獏間の言い分は正しい。
笹ヶ峰は恐らく、彼らしい優しさから獏間にも配慮を求めたのだろうが――あれこれと気を回して貰っても、今と同じくらいの衝撃を受けただろうから、今こうしてあっさりと伝えられた方が、いい。
だからと言って、平然と受け止められるかどうかはまた別だ。
「一体、なにが……」
「それを調べるんだよ、祈」
「……っ」
「アレは最後、人だった。それは僕が保証する。だから、本来ならこの文面……消失は、的確な表現ではない――でも、違うんだろう笹ヶ峰刑事」
笹ヶ峰は苦虫を噛みつぶしたような顔で、頷いた。
「窓が開いていた」
「……窓?」
「ああ。あの部屋は、内側から窓を開けられない仕組みになってるんだ。……だから、外部からの侵入が疑われている」
外部から誰かが侵入して、誘拐された。
そういうことだろうかと祈が眉を寄せると、獏間がおかしそうに笑う。
「何階だい?」
「…………五階だ」
「ああ、なら、人目に付かずに拐かすのは無理だね。普通なら」
「だから、お前に協力依頼が入ったんだろうが」
「いや、それだけなら弱いよ。ただの人間がいなくなったら、しかるべき所が動けばいい。普通じゃないなら、それもまた同じこと。それなのに、わざわざ東京にいる僕らに協力依頼が来たということは……僕らが以前の関係者だからってだけではないだろう」
獏間の問いかけに、笹ヶ峰は嫌そうな顔をする。
事実、嫌なのだろう。
ほとんど分かっているはずなのに、自分に答えを言わせようとしている獏間が。
「……ここだ」
「うん?」
「奴さんの反応が、東京で確認された」
それはつまり。
「錫蒔 珠緒は、なんらかの手段によって地方にある施設から外に出て、ここに来ている」
目的は不明。
施設を出た手段も不明。
なにもかもが不明だからこそ、気味が悪い。
なぜなら、普通の人間であれば不可能なことばかりだから。
「……お前たちに復讐にくる可能性も、なきにしもあらずだ」
「それが事実上不可能なことは、きみも知っていると思ったけど、笹ヶ峰刑事」
そうだと祈は思う。
全てが終わった後の叔母は、意思疎通も儘ならない状態だった。
誰のことも認識できない、自力で歩けない、そんな彼女がどうやってこんなところまで来られる。
「……誰かに、連れてこられた?」
祈の呟きは、獏間たちにも聞こえたらしい。
獏間はいつもの笑みを浮かべて、頷いた。
「そう。そして、その誰かは、少なくとも普通の人間じゃない――つまり、僕らの専門、〝変わり種〟案件だ」
「――っ」
「もちろん、一緒に来るだろう祈?」
獏間と視線が合った祈は、首を――縦に振った。
「はい、行きます」
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