伍 玉の緒
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はらり ひらり
一斉に咲いたピンク色の花が景色を彩る春。
そこから見える景色も、周囲に植えられた桜の木のおかげで、華やいでいた。
けれど、彼女は外に目をやることはない。
窓からのぞく青空と桜の見事なコントラストに興味を向けることなく、ベッドの上で上半身を起こしぼーっとどこかを見つめているだけ。
ふいに、窓が開く。
ふわりと穏やかな風が室内に入り込み、空気を入れ換える。
けれど、部屋の主である彼女は気付かない。
窓がひとりでに開いたというのに、注意を向けることもない。
そんな彼女を、ぽかぽかと暖めていた陽光が、不意に遮られた。
ベッドのシーツに影がおちる。
「やぁ」
親しげな声は、今まで彼女に注いでいた春の陽光のように穏やかだった。
「こんにちは、たまちゃん」
それまでなににも反応しなかった彼女が、不意にまつげを震わせる。
ぱち、ぱち、ぱち。
「会いに来たよ」
ゆるゆると彼女の目が見開かれ、唇が嬉しそうにつり上がった。
彼女の目には、同じように唇をつり上げ笑うその人の姿が映る。
「――」
答えようと、久しぶりに声帯を震わせようとした彼女だったが、声が出ない。
まるで、喉を押しつぶされているように苦しく、痛く、声が出せない。
「本当は、もっとはやく会いに来たかったんだけど……オレも色々準備があってね」
――キキッ。
黒板をひっかいたような耳障りな音。
首のまわりに、冷たい感触。
でも、彼女には分からない。
体が動かない。
指一本も、呼吸すらままならない。
苦しい、痛い、怖い。
彼女の目に、恐れが浮かぶ。
「待ち遠しかったよ、この日が。ずっと夢見てた」
見つめ合っていたその人は、彼女の異常が分からないはずがないのに、慌てた様子もなく、優しい声で話しかけてきた。
「今度はお前たちが、苦しむ番だ」
春の陽光のように穏やかな―― けれど、暖かさはまるで感じない冷たい声が告げたのは死刑宣告に似たなにか。
――キキッ
耳障りなその高くどこか濁った音が、笑い声だと気付いた――それが、彼女が痛みと苦しみと恐怖の中で聞いた、最後の音だった。
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