13

『兄ちゃん、起きて』


 体を揺すられて、目を開けた。

 なんだか、変な夢を見ていた気がするが……と彼は首を傾げる。


『兄ちゃん、兄ちゃんってば』


 もう一度体を揺すられる。

 そこにいたのは、切りそろえられた髪に赤い着物の女の子。

 

『……?』


 はて、誰だったっけ。

 どこかで見た気がするが。

 はっきりしない思考のままに、彼が再び首を傾げると彼女は笑った。

 

『兄ちゃん、お寝坊さんだねぇ』


 兄ちゃん。

 そう呼ばれて、思い出す。


 ――ああ、そうだ。俺はこの子の兄だった。


『ごめんな。兄ちゃん、寝過ぎたろう。心配かけたな』

『ううん。まだ時間じゃないから、大丈夫だよ。でも、兄ちゃんが起きたなら、もう行こう?』


 青い空を見上げた妹は彼の手を引いた。

 大樹の下で寝転がっていた彼は、起き上がる。


『お前は休めたか?』

『うん、大丈夫。ね、はやく行こう。赤くなる前に、外に行こうよ』

『赤?』

『赤くなったら、怖いから。かわりの赤もたくさん必要になる。兄ちゃんは赤い花たくさん咲かせてくれたから、もう無理させられない。だから、はやく逃げよう』


 気付けば、妹は泣き出しそうな顔をしていた。

 可愛らしい顔によく似合う上等な赤い着物を着ていて、髪だって家にいるときとは比べものにならないほどツヤツヤしている。


 一見すると、どこぞのお嬢様か上等のお人形に見える。それくらい可愛らしいのに――彼の手を引く小さな手は、傷らだけだった。


『……お前……』

『兄ちゃん、兄ちゃん、はやく行こうよ。はやく逃げよう。約束したもん』


 妹は、彼が少し考えている間に泣いていた。

 なにも言わない兄が、気が変わったと思って不安になったのかもしれない。

 傷らだけの小さな手を握りしめ、彼は言った。


 どうして、引き渡した方が恵まれているなんて思ったのか。

 どうして、手放すのが幸せなんて思ったのか。

 父も母も、ずっと後悔していた。

 死ぬまで後悔していたのだ。


 あの連中の――なんとかというカミを奉っているという、隣村に住み着いた集団に、妹が巫女の素質があると言われ、大切にするからと言われ、引き渡したことを。


 奇妙な噂を耳にしてから、両親はずっと娘を取り戻そうとした。

 でも金で売り払った娘だろうと村にすら足を踏み入れられず。

 同じだけの金では足りない、いい暮らしをさせているのだから、維持するためにかかった費用も上乗せだと言われて金策に走りまわる日々。


 母は、「あの時手放さなければ」とよく泣いていた。

 父も、あの子のために作ってやった小さな草鞋をにぎりしめて、夜中に「すまない」と繰り返している。


 変わった容姿の娘たちを〝巫女〟として集めるあの村の、神隠しの噂が広がってから、家族はみんな後悔した。

 

 ここで生きて行くには好奇の目にさらされるだろうと、巫女として人々に尊重される暮らしができるのならば、そちらの方がいいだろうと……ただ左右の目の色が違うだけの妹を、得体の知れない連中に売り払ったことを後悔していた。


 やっぱり、間違いだったのだ。

 

『……もう、大丈夫』

『兄ちゃん?』

『もう大丈夫だからな。……――』


 妹の名前を呼ぼうとしたところで、彼は誰かに呼ばれて目が覚めた。

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