15

 ――事務所内にて。


 笹ヶ峰は、気になっているかもしれないからと前置きし、店長のことを話し出した。


「大人しいもんだ。拍子抜けするほどな」


 店長は、あの異様なテンションが嘘のようで、すっかり縮こまっているらしい。

 取り調べにも素直に応じ、謝罪の言葉を繰り返しているという。


「ああ、坊主。お前の叔母さんには注意しとけよ。奴さん、甥っ子を不当に解雇したって怒鳴り込んできた女のしつこさに、我慢できなくなって、ぶち切れたって話だから。……どんなに普通そうな見た目の奴でも、突然ぷっつんすることがあるんだ。女ひとりで行くのはやめとけってな」

「え? 叔母が店長のところに押しかけたんすか?」

「奴さんの話じゃあ、そうなってる」


 祈がクビになった日の夕方。

 叔母を名乗る珠緒が押しかけてきて、甥っ子に暴力を振るって辞めさせたのかと問い詰めてきたという。


 自主的に辞めたんだと言っても聞く耳もたず、警察に行くというから、ついカッとなって後ろから殴り、監禁したと。


「いや、だからって監禁? おかしいっすよ。そもそも、どこに……」


 当日の夕方ということは、店長はまだ店にいただろう。

 従業員だって、客だっていた。

 言い争う二人組なんて、いかにも目を引く。


 その最中にキレて手を上げて?

 挙げ句、人目に付かないように運んで数日閉じ込めた?


 いくらなんでも難しいだろうと祈が顔をしかめると、その辺は警察でも同じ見解らしい。笹ヶ峰も「素人さんでも、そう思うよな」と顎を撫でうなっている。


「あの店長の話だと、監禁場所は、スーパーの空き部屋って話だ。だが、その辺はどうにも証言が曖昧でな。反省はしてるものの、最後はどうしてこんなことになったのか分からないって泣き出すし……――分からない、ばっかりだ」


 当事者なのに、分からない。

 責任逃れのために、すっとぼけているわけでもない。

 本気で記憶がないようで、お手上げだと笹ヶ峰は自分の両手をあげる。


「お前や、お前の叔母さんにしてみれば、ふざけんなって話だろうがな」

「――いえ……」


 言葉を濁し、祈はちらりと笹ヶ峰から獏間の方へ視線を移した。


(食ったから、か?)


 あの時、祈は見た。

 店長の心の声……――悪意を、獏間が食べるのを。


(そういうことに駆り立てた感情……悪意がなくなったから、記憶もなくなった? だから、罪悪感ばかりが残ってる?)


 だが、不思議だと祈は思う。


「……店長、どっちかっていうと、事なかれ主義で面倒が嫌いな人なんで、警察に行くなんて言われたら、謝ってなんとか有耶無耶にしようとするタイプなんっすけど」


 そんな人間が、カッとして手を上げたなど、信じられない。


「まぁ、人には色んな面があるからね。時に思いも寄らない行動をとる」


 のんびりと口を挟む獏間の言葉も、もちろん一理ある。


(でも、面倒嫌って俺をクビにした店長が、その日のうちにブチキレるなんて……あるのか?)


 まるで、パン泥棒に触発されたようだ。

 風邪ではあるまいし、悪意が移るなんてことはありえないだろうし、それなら自分のために店長に直談判しに行った珠緒だって……。


(あれ……?)


 祈の中で、なにかが引っかかった。


「そこでだ。澄ましたツラしてる、探偵様にお願いに来たんだよ」


 だが、深く考える前に笹ヶ峰の苛々した声に現実に戻される。


「お前、どうせ暇だろ。ちゃちゃっと来て、奴さんを見てくれよ」


 笹ヶ峰は獏間の能力を知っているのか、当然のように助力を求めた。

 そういえば、警察署で初めて会ったときから、笹ヶ峰はこの件を獏間向きと捉えていた節がある。


 そして、予想通り獏間が関わったことで珠緒はすぐに見つかり、犯人もお縄にできた。ただ、警察……というか、笹ヶ峰にとって気になる点を解消するためには、さらに獏間の力が必要だというわけか。


 こういう風に協力を求められることは、きっと初めてではないのだろう。

 獏間と笹ヶ峰は顔見知りだったから――こういう系統の事件を、ずっと追い解決してきたに違いない。


 なんだかんだ言いつつ、ふたりには信頼関係があるのだなと思い、祈は口を挟まずにいたのだが。


「嫌だ」


 獏間の即答。


「あ?」


 空気が張り詰める。

 いや、獏間は通常運転だ。

 相手にしている笹ヶ峰の苛々が募っている。


(顔に、めっちゃ大文字で書いてる……この野郎って……!)


 笹ヶ峰の眼力を浴びても平然としている獏間の強心臓ぶりは、尊敬はできないが感心はする。

 自分だったら絶対無理だと思う祈だったが、その無敵な強心臓の持ち主に視線を向けられたかと思うと、肩を組まれた。


「僕は今から、スズ君と商談があるから」

「お、俺!?」

「あぁん?」


 笹ヶ峰の凶悪な目つきが、ぎょろりと動いて祈を捉える。


「いや、俺は」

「依頼料の支払いの件で来てくれたんだろう? そういうわけだから、笹ヶ峰刑事。僕は用があるからパスで」

「じゃあ、外で待つから、坊主の支払いが終わったら……」

「あ~明確なプランを決めてなかったからなぁ、値引き交渉やらなにやらで長引くだろうし」


 ぴくっ。

 笹ヶ峰の米神に青筋が浮かぶ。


「い、いや、獏間さん、俺、明日でいいんで……!」


 自分が怒られているわけでもないのに、怖い。

 さすが現役刑事。威圧感が半端ないと、祈はさっさと逃げの一手を選んだ。


 だが、それを防いだのは――。

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