12

「珠ちゃん! ――なにしてんだよ、お前!!」


 腕を掴まれた男は、ぎょろりと血走った目で祈を睨み、叫んだ。


「あぁ!? 邪魔するんじゃねぇよ、正義の味方気取りのクソガキ!」


 殺す。

 死ね。


 そんな物騒な文字を顔に貼り付けたまま怒鳴るのは――。


「へぇ、これはこれは……スズ君の元バイト先の店長さんじゃないか。なるほど、意外な人選だ」


 マイペースに近づいてくる獏間の、言うとおり。

 先日、祈をクビにしたスーパーの店長。

 それが、今まさに人を殺そうとしていた男の正体で……。


「ごほっ、げほっ! ……祈……ごほっ――来てくれたんだ……」


 水から顔を上げ、激しく咳き込みながらも嬉しそうな表情を見せているのは、やはり……。


「珠ちゃん!」


 ――姿を消していた、珠緒だった。


「なんで珠ちゃんを……!」

「はぁ!? そこの女が、うぜぇからだよ! 脅してバイトを辞めさせたのかって、しつけーったら! うるせぇ女、でしゃばり女、どいつもこいつもうるせぇうるせぇうるせぇ!」

「――警察呼ぶからな」


 加害者である店長から、被害者である叔母を庇う祈の表情は、当然険しい。

 だが、店長はニタァと大きく口を開けて笑った。

 その拍子に、口の中では唾液がネタリと糸を引く。


「証拠は?」

「は?」

「しょ・う・こ! 証拠がないとー、警察はなーんにもできません! あはははは、残念だったなぁ、正義マン!」


 高らかに笑う店長は――祈が知っていた彼とは全く違った。

 それこそ、パン泥棒のように……。


「まぁまぁ」


 獏間が、店長の肩に手を置く。

 ビクッと店長は一瞬だけ体を強ばらせた。


(なんだ?)


 店長の顔に浮かんでいる文字が僅かに揺れたように見えた。

 祈は違和感に瞬きする。


 しかし、店長がすぐに醜悪な笑みを浮かべるのと同様に、文字もふてぶてしく主張したので、気のせいかと思い、再び咳き込んだ珠緒の方へ意識をむけた。


 その間、獏間は店長に朗々と語りかける。

 さながら――祈と初めて出会った、パン泥棒の一件の時のようだ。


「証拠、証拠と芸がない貴方には、さっさと最適解を突きつけるのが一番だろう。はい、証拠」


 獏間は、おかしな状態にある店長に対し臆することなくスマホを見せた。

 その途端、自信満々だった店長の表情が強ばる。


「なっ、あっ、動画――」

「そう。貴方の言う、正義感溢れる青年が人命救助に走る横で、僕はこういう時に備えて証拠となるモノを録画していた。そして、証拠がないとなにも出来ない警察も、新鮮な証拠をお届けするため、ここに呼んである」


 パトカーのサイレンの音が、どんどん近づいてくる。


「ほら、これで罪になる」

「罪……っ、そんな……!」


 場違いなほど晴れやかな獏間の笑顔とは対象的に、店長はこの世の終わりを前にしたかのように青ざめ、ガクガクと震えている。


 顔に浮かんでいた物騒な文字が、同じようにガクガク揺れた。


 そして一度バラバラになり、今度はぐぐっと集まり一つの黒い塊になり――何かに吸引されるように動いた。


 顔を移動し、首を、肩を――そして……。

 店長の肩に手を置いている、獏間の手へ渡り、彼は手にした何かを口に運んだ。


 パクリ。


 掌で隠されて見えなかったが、何かを飲み込んだのはたしかで……。

 その直後から、店長は憑き物が落ちたように取り乱し、消沈した。


「ぁ、ぁ、そんな、そんなつもりは……ただちょっと、うっとうしいから、だから」


 自力では立っていられず、よろりと地面に膝をついた店長を、獏間は薄笑いを浮かべて見下ろす。

 珠緒を支えながら、その様子を見ていた祈は、獏間の唇が僅かに動くのを見た。


 ――ごちそうさまでした。

 

 獏間 綴喜は、なにひとつ、嘘偽りを口にしてはいなかったのだと、この瞬間に祈は思い知った。


 別人のように大人しくなつた店長。

 直前にバラバラに形をなくし、丸められ、取り出された、悪意を象った文字。

 それを飲み込んだ、獏間。


 彼は文字通り、悪意を食べたのだ。

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