10

 どうしよう。

 祈は途方にくれる。


(大正解って、クイズ番組の司会かよ? つか、言い方めちゃくちゃ軽くね? 花丸とか、別にいらねーし……)


 つらつらと取り留めないことが頭に浮かんでは消えていく。

 だが、注目すべきはそこではない。

 花丸でも、わたあめばりに軽い言い方でもなく――。


「あの、つかぬことをお伺いしますが――えぇと、獏間さんは人外でいらっしゃる、と?」


 なぜか畏まった口調になってしまう祈に対し、獏間はやっぱり軽い調子で「そうだよ」と頷く。


「いやいや、そうだよじゃなくて! 人外ってあんた、めちゃくちゃ人型じゃん!」

「そこは、ほら……TPOだっけ? 時と場所と場合? その辺をきちんと弁えてるから、僕」

「常識的!」


 叫んで、祈は脱力した。

 もう、なんだか構えているのが馬鹿らしくなってきたのだ。


「……仮に」

「うん?」

「仮にっすよ? あくまで、仮定の話ですけど、人外だったらつまり、あんたは宇宙人とか……?」

「いや、それはさすがに」


 初めて、獏間が苦笑した。

 あ、なんだ。やっぱり冗談なんだと祈は油断した。


「っすよね~。いや、すんません……」

「僕は日本産だよ。外来種でも、ましてや外星種でもない」

「…………はは」


 笑い飛ばそうとして失敗。

 力のない、乾いた笑いが出た。


 気分はもう、なに言ってるんだコイツ? 状態だ。

 外来種は聞いたことがあるが、外星種とはこれいかに。

 そもそも、日本産とはなんだ。


(車じゃあるまいし)


 ――諸々と突っ込みたいのを、祈は堪えた。

 ぐっと堪えて、何度目かの深呼吸をする。

 そして、自分が落ち着いたのを確認し、再び獏間に向き直った。


「単刀直入に聞いていいっすか?」

「いいよ」

「獏間さんは、一体何者っすか?」

「獏間 綴喜は、探偵だよ。変わり種専門のね。最初に、そう自己紹介しただろう?」


 たしかに、獏間 綴喜と名乗った男は、探偵だった。

 聞いてもいいと言いながら、のらりくらりとはぐらかす相手は、完全に遊んでいる。


「言い方が悪かったっすね。――アンタは、一体なんなんだ?」


 目の前にいる、この存在。

 獏間 綴喜という探偵……その隠れ蓑を剥いだ、お前はなんだと問うと、祈と向かい合う相手は、ニタリと笑った。


「――僕は、人外さ。化け物、妖怪、あるいは神とも魔物、人の外側にあるモノを、人は様々な呼び名を付けて形にしようとした。だから、僕の表面を形作る言葉ならば、この世に山と溢れているよ」


 その中から君の好きな呼び方を選ぶといい――頓着なく笑う相手に、祈は眉を寄せる。


「自分のことなのに、投げやりじゃないっすか?」

「そうかな? でも、長く生きていると、わりとどうでもよくなってくるもんだよ?」

「……獏間さん」


 名前を呼ぶと、相手の片眉がぴくりとはねた。


「それは、人間の名前だろう?」

「でも、これだってあんたを形作る一部っすよね? あんたの種族は……聞いといてあれっすけど、正直ピンと来ない。だから、あんたはやっぱり、獏間さんだ」


 人外で甘党の探偵、獏間さん。

 これで充分だと祈が頷けば、獏間 綴喜という男は、初めて表情を崩した。


 呆れたような、脱力したような――泣きたいような、笑いたいような、感情がごちゃまぜになったような、今までで一番、生きている表情。


「……参ったな。長く生きて、たいていのことには動じなくなったのに……十年そこそこの坊が、やってくれるじゃないか」


 呟いた後、獏間は「してやられた!」と快活に笑った。


「それじゃあ、スズ君。仕切り直しといこうか」

「は?」

「川へ行こう」

「――っ」

「叔母さんは、川の方へ行ったよ」

「……なんで」

「匂いだよ。忘れたかい? 言っただろう、君は呪われてるって」

「…………」

「きみにまとわりついている呪いの匂い。同じような匂いが川の方からするんだ」


 それはつまり、叔母も呪われているということかと祈が青くなる。


「珠ちゃんは、俺に巻き込まれたせいで、呪いが移ったってことっすか?」

「う~ん、これはそういうんじゃない。きみの叔母を動かしたのは、呪いじゃない。悪意の方だ」

「……は?」

「そうだな。実物を見ないと分からないかも知れないな。――というわけで、川に行こう」


 川。

 その言葉を聞いて、祈は再び顔を強ばらせた。

 祈自身は覚えていないが、九歳の時、祈は母親の運転する車で川に転落した。


 助かったのは祈だけ。

 けれど、祈自身は病院で目を覚ます以前の記憶を一切無くしていた。

 だから、事故の恐怖など知らないはず。


 けれど、あの川には近づけない。


 水が怖いわけではない。

 風呂は当たり前に入れるし、洗面台で顔を洗うことだって問題なくできる。

 なんなら、プールでだって普通に泳げる。


 それなのに、あの川だけがダメだった。

 近づきたくないと、いつも体が萎縮する。


 ――幼い頃、川にかかった橋を通らなければいけなくなった時、祈は初めて自分の状態に気付いた。

 その時そばにいたのは、叔母の珠緒だ。


 珠緒は遠回りになるというのに、迂回路を選んだ。

 そして、きっとトラウマなのだから、無理をしてはいけないと言ってくれた。


 以降、祈は近づかないようにしていたのに。


「本気で、行くんですか」

「叔母さんを見つけたいのなら」

「…………」

「そうか。なら、スズ君はここで待っているといい。自分のせいだと思っているきみには、さぞ苦痛だろうが、僕から連絡があるまでは、のんびりコーヒーでも飲んで待機していてくれ」


 ニコニコ。

 笑顔だが、確実に嫌味だ。

 そして、祈が苦悩する様を見て楽しんでいる。


 ――嘘か誠かしらないが、この獏間にとって他人の不幸とは、蜜の味がする代物らしい。


 つまり、今の状況は極まった甘党大歓喜といった感じかと、祈は歯ぎしりする。


「行きます……」

「ん?」

「一緒に行きます」

「顔が青いじゃないか。無理しなくてもいいよ」

「絶対に、一緒に行きます! ……俺のせいで珠ちゃんがこんなことになったんだとしたら――俺が、俺がちゃんと見つけないと……」


 獏間曰く、自分は呪われている。

 なんでも、悪意的なものに好かれるのだという。


 珠緒はそんな自分の体質の被害者……もしかしたら、顔も思い出せない自分の母親も、自分のせいで死んだのかも知れない――祈は、そんな思いを抱いていた。


 だったらせめて珠緒だけは。

 親代わり同然の珠緒だけは、助けなくてはと。


(ここで、グズグズするな)


 それに――いつまでも、川に近づけないなんて……子どもじゃあるまいし。


 良い機会だと祈は立ち上がる。


「――行きますよ、獏間さん」

「よし、分かった」


 頷く獏間は、先に外へと出て行く。

 だから、祈は彼の独り言が聞こえなかった。


「悪意のない悪意というのは、醜悪だ――きっと、とろけるほどに甘いんだろうな」


 独り言は聞こえなかったかわりに、くふふという含み笑いは聞こえたため、なんか不気味だと祈は思っていた。


「ふむ。近すぎると見えないからこそ、熟成されたというわけか」

「なんか言いました?」


 祈が玄関に近づくと、獏間は「いいや」と首を横に振る。


「きみは、やっぱり僕の飯の種だなと思っただけさ」

「あ~……依頼料のことっすか? こっちが言い出したんだし、踏み倒す気はないから、安心して下さい」

「うんうん」


 上機嫌な獏間は、スキップでもしそうな雰囲気で歩き出す。


 施錠を終えた祈は、妙にテンションが高くなかった探偵に首を傾げつつ、後を追った。 

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