9
祈が目を開けると、病院のベッド……ではなく、見慣れたアパートの天井だった。
(は? ……え、夢?)
どこから、どこまで?
それとも、全部が?
境目が分からなくなって、祈は布団の中で丸くなる。
珠緒がいなくなったことも、獏間とかいう変わった探偵に会ったことも、スーパーのバイトをクビになったことも、全部夢だとしたら、あまりにリアルすぎる。
「……俺、疲れてんのかな?」
「だと思うよ~。コーヒーも、飲みすぎは良くないと聞くし」
「そっすか……っ……はぁ!?」
一人暮らしのはずなのに、なぜか返事があった。
予想外の事態に、思わず布団をはねのけ飛び起きた祈が見たものは、人の家の冷蔵庫を物色している、獏間の姿だった。
「なにしてんっすか、獏間さん!」
思わず叫べば、獏間はブラック無糖と書かれた缶とペットボトルを左右に持ち、顔を上げた。
「なぁ、スズ君。これ、どっちもブラックなんだから、一種類あればよくないかな? なんで、ブラック無糖がこんなにいっぱいあるんだい? 一つくらい、加糖があってもいいのに」
砂糖が入ってないならどれでも同じだろうと暴論を呟く獏間に、思わず祈は吠える。
「いや、それメーカー違いだから! 同じじゃないから!」
「血糖値を上げる意味でも、甘い方がいいのに。これしかないから、仕方ない」
獏間は、我が物顔で取り出したブラックコーヒーの缶を、祈へ投げた。
そして、ペットボトルの方は冷蔵庫へ戻している。
「は? 血糖値?」
受け取りながら祈が不審な顔をすると、獏間は頷く。
「きみ、倒れたんだよ。覚えていないのかい?」
「あー……」
「ダメだよ、若者の不摂生は。後々響くんだから」
年寄りのようなことをいう獏間に生返事を返し、コーヒーの缶を開封する。
パキッという軽快な音を聞いて、祈はあれ? と首を傾げ――それから、目をむいた。
「なに、説教してるんっすか! 元々、アンタが……!」
「僕が?」
「アンタが……変なこと、言うから……」
最初こそ勢いのあった祈だが、獏間の不気味な笑みを思い出すと、段々と尻すぼみになる。
「ああ。あれか。うん、ごめんね?」
「……あ?」
しかし、獏間はあっさりと謝った。
あの様相が見間違いかと錯覚するほど、軽く。
「アンタなぁ、あれだけ変なこと言っておいて……!」
「悪かったよ。君が川で事故にあったなんて知らなかったんだ」
飄々と言ってのけた男に、祈は思わず缶を投げつけそうになり、寸前でおさえた。
だが、態度にはやはり出てしまう。
剣呑に睨みつけつつも、必要以上に声を荒らげたりしないように一呼吸置いてから、祈は声を発した。
「パン泥棒の時もそうだったけど。今も……あんた、なんで俺のアパートがわかったんすか?」
「ん? 見たからだよ」
あっけらかんとした口ぶり。
再び、祈は自分を抑えるため深呼吸する。
「……あんた、やっぱりそういうの見える人なんっすね。超能力とか霊感とか……サイコメトリー? ……的な」
「うん。見事な自制心」
祈がなんとか激情を抑えたというのに、獏間は話しも聞かず、ひとり満足げに頷いている。
(落ち着け、俺!)
祈は缶を強く握りしめると、そのまま一気に飲み干した。
冷たい苦みが口に広がり、それから喉を伝って胃に落ちていく。
それで、少しだけ冷静になれた。
缶を乱暴に……それでも、うっかり投げつけたりしないよう、自分から離れたところにおいて、一気飲みの様子を「おぉ~」なんて歓声を上げて見物していた獏間を睨みつける。
「俺は、自分のこともあるし、見えてしまうもんをどうこう言うつもりはありません。けど……悪戯にのぞき見しようとすんのなら、やめろ」
「どうして? だってきみは、事故を覚えてないんだろう」
「だから、それをどうして――!」
「今、きみが自分で答えを並べたじゃないか。そういう系統の力は多種多様な言葉で表す事が出来るから、その中のどれ、とは言い難いけれど」
獏間は片手をあげる。
「僕は、触れたモノの記憶が分かる。きみの言うパン泥棒が、盗品をどこでどうしたか分かったのも、きみの住むアパートの部屋が分かったのも、そういうカラクリだ」
「……俺にも、触ったから見えた?」
「そうだね。あまりに怯えるから、どうしたのかと心配になってね」
嘘をつくなと祈は内心で吐き捨てる。
アレは、心配している人間の顔ではなかった。
「……アンタの顔に、文字は見えないけど、表情で分かる。アンタはあの時、俺の心配なんかしてなかった。それよりも、俺がなにを隠してるんだろうって、気にしてた。悪いことが起きたことを確信してる口調で……まるでご馳走を目にした腹ぺこみたいに、今にも舌なめずりしそうなツラしてたんっすけど?」
「よく分かったね!」
「……即答かよ」
悪びれなく、むしろ嬉々として獏間は肯定する。
「きみ、本当に面白い。それに――興味もわいた。きみは僕に聞いたよね? 見える人かどうか。数時間前、僕はきみの叔母を見つけた後、機会があったら教えると言った」
「……そうっすね」
祈もそれで納得して引いた。
引いたはずなのに、舌の根も乾かず蒸し返すな。
そう言って牽制したいのだろうか?
だとすれば、こっちだって色々言ってやりたい。
見えてしまうモノは仕方がない。
だが、意図的に暴き、それを己の楽しみのための振り回されるのは嫌だ。
少しは慎めと。
今の獏間になにか文句を言われても、言い返してやると身構えていた祈だが、獏間はニコニコしたまま続けた。
「だけど、僕はきみ自身に興味がわいた。だから、先払いで教えてあげる」
「は? いや、ちょっと、そんなあっさり」
葛藤などかけらもない、昨日見たドラマの話題でも口に出すような軽妙さで、獏間は言った。
「僕は触れたモノの記憶が読める――そして、僕はそこから厳選するんだ」
「厳選って……なにを……?」
「悪いモノ。人間だったら、嫌な記憶とかかな? そして――僕はそれを食べる」
「はぁ……食べる…………はぁっ!?」
思いも寄らない告白に、祈は耳を疑う。
「食べ……食べる!? え、食べるって、イートってこと? は、ちょっと、待て……食うの? つか、そーゆーのって、食えるの!?」
確認をとるように何度も繰り返し、それから当然の疑問に行き着き、混乱する。
その姿を、楽しそうに眺めている獏間は、頷いて一言。
「甘くておいしいよ?」
「嫌な記憶なのに、甘いんっすか!?」
「だって、言うだろう? 他人の不幸は蜜の味って――人が悪と思う記憶は、時が経てば経つほど、熟成されて芳醇かつ濃厚な甘さになるんだよ。人間って、面白いよね」
「なんだよそれ……アンタの口ぶりだと、まるで」
「まるで?」
相対する男に、常に感じていた違和感。
それが、形になっていく。
「まるで、人間じゃないって言ってるようなもんっすよ」
口に出して、祈は唾を飲み込んだ。
奇妙な緊張感に喉が渇く。
(ああ、しまった)
コーヒーを一気したのは失敗だった。
だが、今、獏間の前を通って冷蔵庫を開けに行くのも、空気を読めない感じがして出来ない。
嫌な時間だけが過ぎていく。
なにも、こんなに間を持たせなくてもいいのに。
ただ、獏間が一言「なんてね、冗談だよ」とでも言ってくれればそれで終わる。
だが、笑みを浮かべた獏間は大きく首を縦に振った。
「大正解! 花丸をあげよう!」
「――っ」
よく出来た子どもを褒めるような口調。
頭を撫でるつもりか、手を伸ばしてきた男を避けながら、祈は思った。
――返事、軽すぎ!!
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