壱 はじまりの失踪事件

1

 珠緒が甘いカレーを作り置きしていった二日後、祈は朝からドアをノックする音でたたき起こされた。


「祈! 祈! 出てこい祈!」


 祈は渋々、布団から這い出る。


(……うるせ……)


 隣近所から苦情が来そうな怒鳴り声まで聞こえたので、これは寝ていられないと思い渋々玄関に向かうと――ドアを開けた。


「祈……!」

 

 そこには、祖父がいた。

 険しい表情が、孫の姿を見るなり驚きに変わる。けれど、次に嫌悪の文字を浮かべるだろう顔を見たくなくて、祈は祖父からわずかに視線をそらし、問いかけた。


「……なんすか?」

「お前、無事か……」

「は? なにそれ。意味分かんね。ひとんちのドアをぶっ叩いて、出てこい言ってた張本人じゃん」


 なにを今さらと祈が肩をすくめると、今度は部屋の中をのぞき込もうとする。


「で、なに?」

「……珠緒は?」

「は? 珠ちゃん?」


 叔母がどうしたのだと首を傾げると、祖父が渋面を浮かべる。


「珠緒は、来ておらんか?」

「この間、夕飯作りに来たけど? それが――」

「今の話をしとる!」


 怒鳴られて、祈は顔をしかめた。

 そんな、急にキレられても困る。


「近所迷惑」

「お前が、人の気もしらんで、のらりくらりしとるから……っ! もう、いい! ここにはおらんのだな?」

「あのさぁ……こんな朝っぱらから、来るわけないだろ……。珠ちゃんだってそんな暇じゃないって」


 祈が呆れたように呟いてあくびをかみ殺すと、祖父はぐっと押し黙った。


(……あれ、帰らねーの?)


 いつまでも立ち去らない様子を珍しいと思い……それから、なにがあったか心配になってきた祈は、視線を祖父の顔に戻し、じっと目をこらす。


 自分に対する悪感情がまじることも予想していたが、祖父の心の声は〝珠緒はどこだ〟の一点張りだった。


「……あの、さ……なんか、あった?」


 わざわざ自分を訪ねてきたことも勿論だが、この場に留まる祖父に、おずおずと問いかけた。


 だが――。


「珠ちゃんに、なにかあった?」

「お前! やっぱり珠緒からなにか言われとったか!」


 叔母の名前を出した途端、祖父は突然カッと目を見開いて祈に掴みかかってきた。


(やっぱ、まともに会話する気もねーのか)


 祈とて、朝にたたき起こされて謝罪も説明もないまま怒鳴られては、さすがにイラッとして声がキツくなった。


「はぁ? なんも言われてねーし、なんなんだよ……!」

「祈! いい加減にせい! 珠緒は――!」


 早朝から言い争う若者と高齢者……掴み合いまで発展した争いを、たまたま目撃した第三者か、それとも近隣住民か、ともかく、誰かが通報したのだろう。


 サイレンを鳴らしたパトカーが到着した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る