2

「やぁ、どうもどうも。さっきから見学させてもらっていたけど。……そっちのお客さん? あなた、少しやりすぎだよね」


 男の異様さに距離をとった見物客たちの中から、ひょいっと抜けて出てきたのは、スーツを着た青年だった。

 祈は、自分より少し年上だろう青年の、あまりにも堂々とした様子に呆気にとられる。


 ――黒髪にスーツ姿の青年は、一種の異様さに包まれていた店内で、やけに落ち着いていた。


 きちんとした身なりだが、この状況で平然としていられるのだ。会社勤めのサラリーマンには見えない。そのうえ、生活感すらも感じない。

どこか作り物めいた雰囲気すらあるのに、片手に持った店のロゴマーク入り買い物カゴがミスマッチだった。


「なんだよ、お前は!」


 男が、威嚇するように叫ぶ。

 それに頓着せず、スーツ青年は近づいてきた。


「一部始終を見ていた、ただの見学者。だけど、黙ってられなくなって出しゃばったから……今は、参加者かな?」

「はぁ? 関係ない奴が、しゃしゃって来るなよ!」

「まぁまぁ、そう邪険にするなよ。たしかに、僕はまったく関係ないけど……正直者が馬鹿を見る瞬間を、それこそ馬鹿みたいに見物してるのは違うなと思って――だって、盗ったでしょ」


 スーツ青年の一言に、男の表情がぐにゃりと歪んだ。


「っはぁ~? いきなり割り込んできて、また人を泥棒扱い? お前、ちゃんと話の流れ見てた?」

「もちろん」

「だったら、こっちが理不尽な濡れ衣着せられた被害者だって分かるだろ!」

「理不尽でも濡れ衣でも、ましてや被害者でもないよね? だって君、盗ったし。加害者じゃないか。ははは」

「笑ってんじゃねぇよ!」

「おいおい、暴力はいけないよ?」


 胸ぐらを掴まれたのに、余裕のある態度でその手を外すスーツの彼――どこか、のらりくらりとした様子は、ともすれば相手を煽っているようにも見える。


 凄む程度では怯まないと思ったのか、男はスーツ青年が手にしていた買い物カゴを乱暴に蹴り飛ばした。

 大きな音をたてて転がるカゴに、ビクッと身を竦ませた客が何人かいたが、スーツの彼はどこ吹く風。

 薄く笑みを浮かべたまま、激昂する男の行動を観察している。


(いや、もう、これヤバいだろう)


 客対客など、一大事だ。

 祈は、これ以上はダメだと判断し、救世主なんだか場を悪化させているんだか分からないスーツ青年を見上げポカンとしていた店長に耳打ちする。


「店長、警察を呼んで下さい」

「い、いやでも、錫蒔くん、お客様なのに」

「他のお客さんを怖がらせてる、あれのどこが客ですか……!」

「被害者様を無視して、コソコソ話してるんじゃねぇ!」


 男の矛先が再び祈の方を向く。


「人を悪者扱いして……、あ、あ~分かった。お前らグルなんだ! 善良なお客を捕まえて、そういうことしちゃうのか? あ~、あ~、分かっちゃったなぁ、傷ついちゃったなぁ~!」

「……なに言ってんだ。パン盗ったくせに」

「名誉毀損だぞ、バカバイト!」


 ――掴みかかろうとする男に。


「なるほど。証拠があればいいんだね。そんなに証拠が欲しいのなら、僕から言ってやろうか?」


 場違いなほど落ち着いた、スーツ青年の声がかかる。

 激昂し異様な雰囲気を出していた男の動きを止めるほどに、スーツの彼が発した声には、抗いがたい何かがあった。


 ぎくしゃくと、神経質そうな男が振り返る。

 祈も、店長も、周りの客も、皆が彼に注目する中。


「ジャケットの下」


 スーツ客は、微笑を浮かべて男を――正確には、男の左胸を指さした。


「シャツの胸ポケット」


 その時、祈は指摘された男の顔に浮かんだ文字が、恐れをなしたかのようにブルブルと震えるのを見た。


「ちょっと、失礼します」

「な、なんだよ、触るな!」


 祈が動けば、男はハッと我に返り乱暴に腕を振る。

 すると、追撃のようにスーツ客が淡々と続けた。


「ああ、ちなみに入っているのは、パンの空袋だ。だって、店内のトイレに持ち込んで、パンは食べちゃったからね」

「~~っ! なんだよお前、ずっと見てたのか! 気持ち悪い、ストーカーかよ!」

「よしてくれ。なにが悲しくて、つまらない人間をず~~っと見ていなくてはいけないのさ。……強いて言うなら、これはただの、勘だよ。やたら、そのあたりを庇っていたからね」


 退屈そうに呟いて「でも……」とスーツ客は続ける。


「当たったね。君、今、自分で認めたじゃないか。ずっと見てたのかって」


 指摘され、神経質そうだった男はブルブルと身震いをはじめる。

 そして。


「馬鹿にするなぁぁ~~~~っ!!」


 絶叫すると、スーツ客に殴りかかろうとした。


「危ない!」


 祈が一歩早く間に入る。

 そこで、腕を掴んで止められた――のならよかったが、祈はそのまま一撃食らって倒れた。


 だから、この後のことは知らない。

 祈がロッカールームの長椅子で目をさますと、全てが終わっていた。


 あの神経質そうなパン泥棒は、結局スーツ客に取り押さえられた後、別人のように大人しくなり、そのまま警察に引き渡されたと聞いた。


 それから、祈は店長に呼ばれて――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る