悪ジキ〜その探偵は悪を喰い助手は悪を識る〜
真山空
序 変わり種探偵と不運な正義漢、出会う
1
正直、この世は生き辛いと思う。
なにせ、見えなくてもいいものが、多すぎる。
――万引きした客に思わず声をかけた時、相手の顔色がみるみる真っ赤に変わるのを見て、
「しょ、証拠は!?」
「は?」
「だから! オレが盗ったっていう証拠は、どこにあるんだよ!」
威嚇するような大声がフロアに響き渡り、買い物客の注目が集まる。
多数の無遠慮な視線を感じ、祈は内心後悔していた。
(あちゃー、これ面倒なことになるパターンだ。……やっちまった)
このスーパーで、一介のバイトに過ぎない自分が出しゃばるべき案件ではなかったと、神経質そうな男の客に声をかけたことを後悔するが――もう遅い。
神経質そうな男性客は、唾も飛ばしそうな勢いで祈に捲し立てた。
「証拠を出せって言ってんだよ! 証拠! ないんだろう!?」
顔が赤くなったとき、ソレが反省からくるものではないと、祈はすぐに分かった。
男の顔には、悪意に満ちた本音が書いてあったから。
――パン盗んでやったぜ!
――うぜぇ、くそ店員が!
――どうせ、こんな低脳なんかに分かりっこないね!
浮かんでは消える文字。
そう。
どういうわけか、祈は人の顔に文字が書いてあるように見える。
それも、好意的な文言はごく希で、薄らと。
一番ハッキリ見える人の本音は、出来れば見たくない、悪感情まみれの心の声だ。
相手が激しい感情を抱けば抱くほど、くっきりはっきり、毒々しい色合いで浮かび上がってくる。
祈に居丈高に接する、この神経質そうな男の顔に浮かぶ文字のように。
だから、祈は思わず呼び止めてしまったのだ。
何食わぬ顔で外に出ようとしていた男の顔には、でかでかとパンを盗んだと書いてあったから。
だが、この逆ギレの仕方……。
これは、マズい。
「証拠って……」
(おめーの顔に書いてあるんだよ! ……って、言えるわけね~)
声をかけたはいいが、早計だった。祈 には相手がやったことだと分かっていても、周りからは分からない。
つまり、相手が開き直った場合、物的証拠を所持していない祈は、圧倒的に不利になってしまう。
この男も、例外ではなかった。
祈が言い淀むと、ニタリと口を歪める。
「あー! 証拠もないのに、人を万引き犯あつかいするんですかぁ~! みなさーん! この店員、お客を犯罪者扱いして謝りもしないんですよ~~!」
証拠なんて持っていないと分かるからこそ、強気に出られるのだ。
まるで被害者のように、声高に祈を非難し始める。
すると、騒ぎを聞きつけたのか、店長が青い顔をして駆け寄ってきた。
「錫蒔くん! なにしてるの……!」
「店長、この人がパンを盗ったみたいなんですけど……」
「あんた、店長さん? おたく、従業員の教育どうしてるの? この店員、いきなり人を呼び止めて、泥棒扱いしてきたんだけど!?」
祈が事情を説明しようとすると、それに被さる勢いで男が話し出す。
店長は、祈をじろりと睨みつけたあと、男に向かって頭を下げた。
「も~しわけございません、お客様! ほら、錫蒔くん、君も……!」
店長の顔には『面倒事を起こしやがって』と書いてある。
――祈の知る限り、店長は万引きに困っていたのだが……。
「いや、でも、この人、パン泥棒……」
「はぁ!? 名誉毀損で訴えるぞ、この馬鹿バイト!」
「錫蒔くん!」
男と店長の責めるような大声。
優位な状況で調子に乗った神経質そうな男は、スマホを取り出すと、それを祈と店長にむけた。
「はい! オレは今~、イキッたバイト君に、泥棒扱いされました~! 証拠品がないのに、バイト君は謝りませ~ん! 店長さん、教育はどうなってるんですか~? あ・や・ま・れ・よ!」
「錫蒔くん、訴えられたら困るんだから、とにかくちゃんと謝って! ほら!」
ぐいっと店長に頭を押さえつけられる祈。一瞬見えた男の顔に笑顔が浮かぶ。
勝った――でかでかと顔に張り付いた文字がまた、腹立たしい。
だが、盗った物がない以上、どうにもできない。
間違っていると分かっていても、正すことは出来ない。
店長に急かされるがまま、祈は頭を下げて口を開いた。
「申し訳ありませんでした」
「はぁ? 聞こえませんけどぉ?」
「大変、申し訳ございませんでした!」
「……お前さぁ、それが盗人扱いしたお客様に対する態度ぉ? 謝るって言うなら、土下座、しろよ? ――ほら、店長とバイト君、そろって土下座して、お客様に誠心誠意謝罪しろって!」
「~~っ」
「土下座! 土下座!」
男は真っ赤な顔に笑顔を浮かべ、血走った目をしていた。
そして顔一面に〝勝った〟という文字が浮かびうごめいていて、虫のようだ。
まるでその文字に支配されたかのように、男はなおも「土下座!」とはやし立てた。
好奇心で見物していた客たちが、男の様子に異様さを覚えたのか「あれ、大丈夫?」と小声で呟く。
すると、男は客たちの交わしたささやきを聞き咎めた。
ぐるんと首をひねり「誰だ! 今俺を馬鹿にしたの!」と食ってかかり始めたのだ。
子連れの客は、さっと顔を強ばらせわが子を抱き上げ、子どもは恐怖を感じたのか泣き声を上げる。
「うるせぇぇっ!」
「ちょっ、お客さんに乱暴はやめて下さい!」
祈が思わず止めようとすると、男の血走った目がぎょろりと動いた。
同時に、虫のようだと思った文字も、ぞろりと動き、ぞぞぞっと形を変えた。
(う、わ……)
顔の上で行われる、虫の列のような動きに、祈は寒気を覚える。
だが、それがまずかった。
「なんだよ、その目……立場分かってんのか?」
祈の嫌悪感を感じ取ったのか、男の顔でウゾウゾと動き、次に形作られた文字は――。
(殺す……って、いや、ウソだろ?)
あり得ないと祈は目をむいたが、その物騒な言葉は、膨張する血管のように太く浮き上がる。
「誰に向かって、指図してんだぁぁ! てめーがさっさと土下座すりゃぁいいんだろうがっ! グズグズすんな! 謝れ、お客様は神様だろうが! 誠実に対応しろよ! 訴えられてぇのか!」
「ちょっと、一回落ち着いて!」
「オレに、誠心誠意、謝れよぉぉぉぉ!」
――文字がふくれて、今すぐにでも破裂するのでは。
あり得ないだろう懸念に襲われた祈は、振り払われてよろめく。
その時だった。
「そこのバイト君は、この上なく誠心誠意な対応をしたと思うけどなぁ」
のんびりとした声が、割って入ってきた。
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