碧い朱夏
『校内放送。校内放送。これだけ音量マックスならある程度町中にも届くだろ。聞こえてるか神様よ。俺はここに居るぜ? いいのかよ揺葉を追いかけ回してて、まさか死んだ後もモテるなんざ思いもしなかったが、それも本当にこれで終わりだ。ほら、俺が欲しいんだろ? 俺の事なんか見向きもしなかった女なんか追ってていいのか? お前の恋はそんな物なのかよ」
『告白もしないで人の事が好きとか馬鹿にしてんのか! とっとと来いよ、俺はついさっきフラれて絶賛傷心中だ! あーあ、何処かに良い女はいないかなあ!』
後は犯人こと水都姫が来るまで学校で待機するだけだ。隼人とは別行動を取っており、放送から分かるようにアイツは放送室から近所迷惑も甚だしい音量で校内放送をして、その後秘密の場所にて隠れる手筈になっている。時間稼ぎの基本はかくれんぼと鬼ごっこ、俺が逃げ回って隼人は隠れ続ける事で時間を使う意識だ。これは隼人が先回りしていた理由の一つでもあるが、校内には『オタケビ姫』が嫌がりそうな物を先に持ち込んであった。「多分火に関連する物が苦手だろう」という根拠だけで数多の発火物が持ち込まれている。だが、『オタケビ姫』の神話を知っているならそう考えたとしても無理はないというか、俺も弱点を考えるならそう思う。
口裂け女を例に出すが、自分に手術をした医師のポマードの匂いが嫌いだから、対処法としてその言葉を唱えればいいとされる話がある。この手の怪物は自分に関連する物体に敏感なのだ。恋を知ったせいでお焚き上げされる事となった彼女の死因には火が直結している。
だから、その見立てはそこまで間違っている訳じゃない。俺は昇降口の手前で水都姫達の姿が見えるまで待機中だ。引き付ける役は簡単なようで、命を懸けている。基本的に追い回されるのは俺だから、捕まったその時点で生きる展望もない。
―――何か来る予兆みたいなのがあればいいんだけどな。
いつ来るか分からないので、気が抜けない。校庭では錫花が儀式の真っ只中だからそこへ向かわせる訳にはいかない。そういう意味でも俺はここに居るから移動したくても出来ない。
学校は壁や床の一部の色が抜けているものの壊れる程じゃない。逃走ルートに打ち合わせはなく一発勝負だ。何せ水都姫はともかく神様の方はどうやってやってくるのか分からないのだ。
「…………?」
すん、すん、すん。
焦げ臭い。
だがまだこちらは火種を使ってもいないし、錫花が火を使っているという事もないだろう。仮に使っていてもここまで臭いは届くまい。風が運んでいる可能性……そもそも風が吹いていない。
だが火に纏わる兆候は警戒した方が良さそうだ。呑気に座っていたのを慌てて立ち上がると、新聞紙をこれでもかと巻き付けたバットを構えて身構える。目的は分かると思うがこれも火種……いや、発火物だ。即興で松明を作った結果こうなった。隼人は身体があんなだし俺は元々図工が得意じゃないしで妥協に妥協を重ねたらこうなった。バット自体は直接燃やせないので新聞紙が尽きたら松明としての役割はなくなるが……飽くまで追い払う為の道具で光源としての機能は重視していない。いなかった。
鮮やかな藍色が描かれ、空が暮れなずむまでは。
「……!」
現実世界の季節は夏だが、『神話』にそんなのは関係ない。ほんの三メートル先の人の顔さえハッキリ見えないような暗闇と、日没が伸ばした建物の影が抜け落ちた色を補填するように黒く染まっていく。
外は色のお陰で微妙に明るいが、裸眼で遠くを見るには視界が暗すぎる。携帯のライトも距離で光が分散して大して役に立つまい。それでもこんな状況で警戒をやめろという方が難しくて、ずっと身構えていた。校門からやってくると信じて、ただ目前を見据えていた。
「しょ、硝次君…………来ちゃった…………あはは」
なのに声を掛けられるまで、俺は気付いていなかった。目的の人物はとうに校門を過ぎて俺に向かって歩き出しているという事に。
「―――水都姫!」
焦げ臭さは彼女から来ているのかと思ったが、違うらしい。あまりにも無防備に近づいてくるが、それが無性に恐ろしくなって咄嗟に火をつけてしまった。即席の松明がぼんやりと近くを照らし、互いの顔をハッキリと浮かび上がらせる。
「ね、ねえ。央瀬隼人は何処……かな。硝次君、あんまり傷つけたくないから……言う事聞いた方が良いと思うけど」
「…………お前、何で顔が元に……?」
地下壕で見た彼女の顔は全身が焦げたみたいに黒いシミが覆っていたし、何なら髪の毛にも火がついていた。こんな暗闇でも来訪くらいは分かると思っていたが、元の黒髪に戻っていたら景色に紛れるのも道理だ。それに、身体にもシミが見当たらない。
「いや、まあいい。お前とゆっくり話をしたかったんだ。だからそれ以上近づくな。交際には距離感が大切だ」
松明バットを突き出すと水都姫は怯んだように一歩下がって昇降口の外に追放される。
「い、行かないよ。火は……こ、怖いし」
やはり『オタケビ姫』の影響で発火物は恐ろしくなっているのか、対策は有効だ。俺がやるのは時間稼ぎ。隼人を見つけ出すフェーズに移行するまでの時間をとにかく引き延ばす。錫花の言い方だと儀式が完了次第『オタケビ』姫に変化があるだろうから、それまで耐えきれば俺の勝ちだ。
「…………水季君から色々聞いたよ。自意識過剰みたいで口に出すのも恥ずかしいけど、俺の事が好きなんだって?」
コクリ、と首が小さく動いた。
「ありがとな。こんな奴を好きになってくれて」
「え…………」
気持ちに嘘はない。状況と釣り合っていないだけだ。時間を稼ぐ為なら真摯にもなろうじゃないか。
「俺は……正直モテてなかった。呪いのせいでも何でもな、隼人の事を羨ましいって思った事もある。お前が好きだったって事なら嬉しいよ。どんな人間にも好きになってくれるってのは嘘じゃなかったんだって。でも、そんなに好きだったならさっさと告白してきてくれよ。お前との思い出を全然覚えてないのは悪いと思ってるけど、そこまで積極的じゃなかっただろ」
「う……そ、それは……」
彼女が弟に語った一週間とやらを俺は一日も覚えていない。主観が多分に入り込んでいる事は想像に難くなく、それを否定するのは難しい。だから事実をぶつける。そもそも彼女がそこまで積極的なら覚えてる覚えてないの話になるどころか、俺の方から告白している筈だ。忘れがちだが俺は程々に自分から告白もして、でも『そういう目で見られないから』と言われてきたから男でもある。向こうの主観が否定出来ないならそれは俺にだって適用される。まして俺の事が好きだというなら、何度かの告白に失敗している事だって把握しているだろう。
「しょ、硝次君。苦しかったよね。凄く分かるよ?」
「へ? 急に何の話だよ」
「と、とぼけなくてもいいじゃん。隼人にずっと見せつけられて、て。い、イライラしてたんでしょ。ずっと見てたからわ、分かるよ。いひ……ひひひ……」
「…………?」
苛ついていた?
隼人が理不尽なモテ方に悩んでいたように俺もそうだったというのか。それはない。敵意が少しでもあるならあそこまで仲良くは出来なかっただろうし、『無害』とは呼ばれなかっただろう。そこまで誰かを強く嫌悪していたなら何処かで陰口の一つも言いたくなっている。人の悪口を言うような奴は何処かで嫌われる。決して無害にはなれない。
「だって、硝次君を踏み台にしてみ~んな隼人に好かれようと。ちょっと脈ありな感じ出しちゃって。私みたいに硝次君の事見てないから、どれだけ傷つけても平気なんだ。そういうのはちょっと許せない」
「…………ああ、そういう事、か」
当たらずとも遠からず。確かに俺が玉砕していたのは隼人に近づきたくて好感度稼ぎに使われていたからだ。俺との仲が良好なら隼人の印象も良くなる。『無害』の一端を担っていた原因だ、同時に男としての自信を持てなくなっていた意味でもある。
だが隼人の事を恨んだ事はない。アイツが居なければ俺がモテていたなんて、呪い関係なしに考えられないのだ。だから恨みようがない。聖人と勝手に呼んでいたたくらいには大好きだった親友にそんな感情を抱ける瞬間は存在しなかった。
「で、告白してくれなかったのは何でだ? 多分俺は、告白を承知したぞ」
「それはだって。わ、隼人が恐らく邪魔するから!」
「何? 何でアイツがそんな事を」
「硝次君には気づいてほしかった、な。あ、アイツは気持ちよくなるために付き合ってたんだ! 告白に失敗してしょげる貴方を見るのが面白かったんだよ! だ、だって友達なら……あんなにモテてたんだよ。一人くらい紹介するべきじゃん!」
隼人の事を悪く言わせたら右に出る者はいないとばかりに熱が入っている。怯えた様子はすっかり消えて頭に血が上っていると素人目にも分かった。
「みんな硝次君の事なんて考えてない! どれだけ傷ついてるか分かってたのは私だけ……で、でも私は可愛くないし…………あんまり学校にも行ってなかったし」
「……そうだ! それを聞きたかった。どうして水季君を行かせてたんだ? 偽装した意味を知りたい。何の意味があった」
「み、みんな私を笑う……から。わ、分からない? あの一週間の時とかさ。みんな陰口こそこそ……硝次君だけ、なんだよ!」
―――。
やっぱりその一週間が思い出せない。何の話をしているのだろう。夜枝と違って印象的なエピソードもなし、隼人か揺葉のどちらかでも関わっていたら話は変わってきただろうが、そんな都合の良い話はなく。かといって聞いている感じは俺に対する好意の原点なので下手に尋ね辛い背景もある。
話を変えた方がいいかもしれない。
「その、隼人の事なんだけどさ。殺すんだろ? 神様に捧げてさ。それ、やめる事って出来ないのか?」
「わ、私はやめないよ! もう好きな人が傷つくの、見てられないから! 弟にも協力してもらったし、神様も私の気持ち、理解してくれたもの。あ、あの神様はね? 縁結びなんだ。丁度女子が隼人におまじないするみたいな事やってるの、聞いてたから……そ、それ使えば私も出来るかなって。だから弟に任せて願ったの。『硝次君を傷つける人は死ね』って!」
「何?」
「そ、それで隼人を殺せたら、み、みんな硝次君を傷つけなくなるよね! 隼人も死んで、みんな硝次君を傷つけたからだって分かるよね! いひ、か、感謝しなくてもいいよ。す、好きになったから、守らないと」
もう認知が歪みすぎて何処から突っ込んでいいのか分からないが、話が違う。向坂さんが俺に見出した呪いは『新宮硝次を好きな女は死ね』という呪いだ。もしも水都姫の呪いのままだったならこんな事にはなっていない筈。至って健常にモテていたなら俺は所謂従順ハーレムを築けていて、傷つく事なんてなかったと思う。
心当たりは一つしかない。
だが何故そんな事をする必要があったのか分からない。何故俺を好きな女に限定させたのか。呪いの抜け穴として心から好きな女性には通用しない弱点はあったが、それを二人が知っていたかは微妙な所だ。水季君が仮に知っていたとしても、それで女性を殺して何がしたい。あれはあれで、弟なりに姉を慕っていた筈だ。
「…………駄目だ。ごめん水都姫。話を聞いたけど、これだけじゃお前が何で俺を好きになったのか分からない。理由のない好きはもう結構だ。うんざりしてる。理由を教えてくれないか?」
「そ、それはあ、あの時の……ほ、ほら。中学校の時の一週間。く、クラスで男女組まなきゃいけなかった時あったよね。文化祭の……た、たまたま余って孤立した私を助けてくれたでしょ……!」
「…………孤立? いや、お前はグループで」
「手伝ってくれたじゃん! 覚えてるでしょ! ペン取ってくれたり、虫追い払ってくれたり。楽しかったよね、お互いにとって、と、特別な日、だよね……?」
………………それだけ?
作業の進捗が送れると先生にドヤされるからというだけの理由が真相になる。語るべき事情は特にない。だがそれが彼女にとっては何より大切だったらしい。そんな事、と口で言うのは簡単だ。だって実際簡単な雑用としか思っていなかった。
「あ、そう言えばあの時も隼人は……手伝ってなかったね」
「いや。いやいや。そりゃアイツは呪いのせいで」
「許せない! あ、あと少しだよ硝次君。今、神様が探してるの。ここにいるん、だよね?」
「え」
嫌な予感がして、振り返る。
そこには人型のシミが立体的に浮かび上がっており、気づけば俺の右手を掴むように広がっていた。
「え、ちょ―――!」
「ミぃ―――――――――――つゥ―――――カァ―――――――――」
シミの中の口が開くと、歯茎を焼きつくされて剥き出しになった血塗れの歯と真っ黒こげになって縮み上がった舌が浮かび上がって来た。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
持っていた松明で殴りつけるも手応えがない。ちゃんとまだ燃えている部分で殴ったのに、有効打じゃない!
「ラ̴͜͞ア҉̨̕ア҉̧͠ア҉͜͞ア҈̧͝ア̴̧̕ア̷҇͢ア̵̨͠ア̵̨͠ナ҉̢͝ア̶̨̕ア̸̡͝ア̵̢͠ア̵̧͠ア҈̛͢ア̷̢͡ア҈̧͠ア̴͜͡イ҈̛͢イ̷̡̕イ҈̡͝イ̸̡͡イ̸̡͡イ̷̛͢イ҉̨̛イ̷̢̛イ̴̡̛!!!!」
シミの手が俺の身体を引っ張って真っ暗闇の校内へ。強すぎる力に抗う事は許されず、一方的に廊下を引きずり回される。驚いた際にバットは手放してしまった。
「離せせえええええええええええええあああああああ! ああああ! ああ! ああ! ああああああああああああ!」
シミに掴まれた手を必死に叩くが、自分の皮膚が痛いだけだ。引っ張られている感覚に対して実体がない。これにどうすれば抗える。火はまるで有効ではなかった。水都姫は単に一般的な感性として怖がっただけで……というかあの時の身体のシミこそが『オタケビ姫』だったのか!
「あああ! ぎゃああああああああ! あああ ! ああああああ あああああああああああ!」
身体が擦り切れるなんてモンじゃない。服が護っていない場所がもうズタズタだ。足はもう肉が剥き出しで出血している。叫ぶような体力なんてないから合理的には温存するべきだが、痛すぎてそれどころじゃない。そんな合理とか、考えている余裕がない!
―――階段を通ったら殺される!
だが廊下を引きずり回されて根本的に体力を奪われた俺に抗う術なんてない。『オタケビ姫』は俺の事なんてどうでもいいか、もしくは隼人に俺の声を聞かせて出てくるように促しているのか。いずれにしても耐えないと駄目だ。全部無駄になる。
「ま、待って! 駄目だよ神様!」
一年の突き当りの教室まで引きずり回されていよいよ階段で卸される時かと覚悟していた時、息を切らせながら水都姫がやってきた。シミの動きが止まって一時的に身体の裂傷が止まる―――否、正確には傷口にシミが入り込んで塞いでいるだけだ。引きずられているだけ力が強くなっていたのはこれが原因か。このシミが全身に達した時、俺は死ぬだろう。
全身を表面から削り取られるような痛みは時にショック死と見紛うような苦痛を伴う。ぼんやりした視界が『オタケビ姫』のシミを見上げて、その姿を捉えていた。今はシミにしか見えないが、分かる事もある。水都姫を見つめるその瞳は、周辺の肉が焼きつくされて眼窩もろとも剥き出しになっていた。
「さ、さっき告白したら承知するって言ったよね! こ、殺さないから! 隼人の場所も教えなくていいよ、ど、どうせすぐ見つかる……こんなに暗いし。だ、だから告白するから聞かせて! へ、返事。こ、断るとかないよね。わ、私結構いい女だよ……?」
「…………………………………は、はぁ。そ、それは。た、確かに」
掴まれていた力から解放される。
彼女達がここに来たという事は、揺葉は死んだのだろう。俺もこの怪我じゃ遅かれ早かれそうなる。でも儀式さえ成功したなら生き返る事が出来るんじゃないだろうか。もう大分時間を稼いだと思うのは死に際だから……やりきったという事にしないと悔いが残るからだろうが。
「で、でもな。も、もう無理なんだよ告白。お前が……良い女じゃないからってのは違う。水都姫。三嶺水都姫。こ、こんな俺を……見てくれて。お前は…………世界一の、女だけど」
「う、うん!」
「で、でも告白は…………駄目なんだ。俺には……もう。妻が居る。配偶者、結婚、してるんだよ。は、はは。法律が許さないとか、関係ない。好きな人が居るんだったら、結婚するのが真実……の。愛」
「な、何? 急にそんな嘘ついて。そんな人いる訳ないよ。わ、私ずっと見てたから分かるもん。硝次君の事ずっと見てたから―――嘘吐かないで!」
「嘘…………嘘、なもんかよ。嘘なもんかよ!
服とズボンの中に挟んでいた紙切れを一つ、顔の前に突き出して見せつける。
―――ありがとな、夜枝。
お前がいなかったら、きっと出来なかったよ。
「………………………………う、嘘」
主観と認知の歪んだ彼女に対抗出来る決定的な物証。どれだけ気持ちがあろうとも、どれだけ理解があろうとも。法律によってその効力は保障されている。
俺と、湖岸知尋先生の婚姻届。
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