愛の証明は為された

「…………凄い今更なのは分かってるんだけどさ、水鏡一族ってなんか凄いんだな」

 両足が使い物にならなくなっていたのに、外で彼女を待っていたら無事に治してきた錫花がやってきた。最早原理など気にしていない。大体ここは『神話』の世界だ。現実と照らし合わせる事自体が馬鹿らしい、そもそも事の発端は呪いなどと非現実的な代物で、今更疑う余地はない。

「……怖がらないんですね」

「何を怖がる必要があるんだよ。むしろ…………」

 見惚れている、というのは呑気だろうか。

 火楓さんが持ってきた神着は花嫁装束ないしは死に装束に近い印象を受ける。白い着物の上から更に白い袴を履いている。袴にはうっすらと水面を思わせる波紋が錫色で施されており、それがつま先までを覆い隠している。

 着物は振袖のように袖が広がっており、軽く手を動かすだけでもはためく音が聞こえる。手には大幣、神楽鈴、そして小瓶に入った―――何だろう。水か何かかと思ったがそれは白い砂だ。中には何粒かの米と、錫花の髪の毛が入っている。

「さあ、行きましょう」

「火楓さんは大丈夫なのか? お前の足の怪我を……引き受けたんだろ?」

「問題ないと思います。私が勝手な事をしたのが悪いんですから、心配する資格も……」

 この世界から色が抜けつつある事は外で待たされていた俺が一番よく分かっていた。神社にはまだ影響が及んでいないものの、俺達はこれから学校に行く。道路はとうに真っ白で地面の感覚がない。自分の位置は確かに歩いているとまるで宙を浮いているような錯覚に陥る。

 どうやってもおっかなびっくり歩くしかないと思っていたが、錫花が踏んだ場所が水のように揺らいだかと思うと、まだ無事な神社の色が滲んで白いキャンパスのような道路を淡く塗り潰す。

 何が起きているのだろうか。

 歩く音からして下駄。袴でよく見えないが、下駄まで白いのは珍しい。コツ、コツ、コツ。学校へ向けて足を進めていく。

「私の後ろをついてきてください。大丈夫ですから」

「お、おう」

 

 ―――俺も、準備は万全だ。


 もしかしたら、全てはこの時の為だったのかというくらい覚悟を決めている。それはあまりにも都合が良すぎた。だけれども、世の中そんなものだ。都合が良いなんて言うけれど、これまでの出来事がどれだけ俺に都合悪く傾いていたか。

 先回りされている可能性は考えない。揺葉を信じている。仮面は火楓さんが被っていた物を貰ったし、先回りと言ったってどうしても学校には来られない筈だ。『神話』の中が広すぎるあまり、行くべき場所が無数にある。入ってくるのかどうかも良く分からないが、行こうとするならまずは神社になるだろう。

「具体的にはどうするんだ? 俺が水都姫を無力化して『オタケビ姫』の気を逸らしてる間さ……専門的だっていうなら、答えなくても良いけど」

「央瀬さんを『神』にして『神話』を上書きする。この装束は神の葬送を行う時に使われます。信仰を失った神、名前を忘れられた神は時に悪性を帯びてしまいます。本来はそうなる前に私達が儀式で以て神を看取り、その神性を祓い清める……『偽物』の神には効果覿面でしょう。央瀬さんを『神』にするのは一先ず『オタケビ姫』を解決してからです。邪魔をされても、儀式は中断できません。襲われたら私は殺されます」

 錫花は仮面を叩いて、肩越しにこちらへ振り向いた。

「今まで、顔を見ないでくれて有難うございました」

「え?」

「呪いとは秘密。丑の刻参りのように、今の私は秘密を纏っています。霊力が……満ちています。自分に呪いを掛けていない分過剰気味ですけど、これなら万が一にも儀式に失敗する事はないです。今までずっと隠してたから、改めて出すのは少し恥ずかしいですね」

「…………やっぱり水鏡家の話なんて良く分かんねえよ、詳しくないからさ。俺はお前を信じてやれる事をやるよ。顔を見なかった事がここで報われるなら都合がいいや。絶対に成功させよう。夜枝と、先生の為にも」

「―――はい」

 これから始まるのは、恋に狂った人生の話。

 『無害』に在ろうとした俺と、『幸福』を願った聖人と、恋に焦がれた神様の。

 

 


 それぞれが想う結末に向けての、最後の戦いだ。
















 校舎に到着した。

 かつては何処ぞ誰ぞの人間が多くの女子に追い回されていたが、所詮は少女達の夢の跡。ここにはもう何もない。まっさらな日常風景が佇んでいた。


 ピンポーン パンポーン


『よう。俺は合流済みだ。悪いな、勝手に携帯から離れちまって。でもそうじゃなきゃ間に合わないと思った』

「は、隼人!?」

 道中で合流出来ればと思っていたが、どうも彼は先に到着していたらしい。錫花は気にも留めずグラウンドの真ん中まで歩き―――かつて夜枝と共に箱を掘り出した場所に立つと、瓶の中に入っていた砂をさっと周囲に撒いて大幣を振った。

「早速始めるので、新宮さんは校内で央瀬さんと合流してください。私も貴方を信じます」

「あ、ああ……任せろ! 絶対時間は稼いでやる!」

 その為の切り札は持ってきた。

 校舎内へ入る扉は何処も閉ざされていたが窓を割ればいいだけの話だ。ここは現実じゃないと知っているからこそできる横暴。校内放送から声が聞こえたという事は、アイツは放送室に居る。

「隼人!」

 会いたい。

 一度だけでいい。

 声だけじゃなくて、その姿を見たい。

 放送室の扉に手を掛けて、勢いよく開く。中に飛び込むと、顔の半分を包帯で隠し妙に厚着をしている親友の姿が―――そこには。

 そこには――――――

「は、はや。隼人……………は、はやと? 隼人なの? なんだよな?」

 親友と思わしき男は大きく溜息を吐くと、悲しそうに目を細めて自嘲気味に嗤う。

「だから姿を見せるのは嫌だったんだよ。こんなゾンビみたいな姿で会いたくなかった。見ての通り身体は殆ど腐ってるし、顔に至っちゃ謎の大火傷だ。多分『オタケビ姫』が求めてる印って所か? お前の知ってる俺じゃないだろうが、まあその―――うおッ?」

 飛び込んでいた。

 抱きしめていた。

 見た目は違っても確かにその話しかたは俺の知る親友で。その笑い方は確かに央瀬隼人という男で。俺だってもっとドライに再会を喜びたかった。フラットな気持ちでこれからの作戦に取り組みたかった。でも無理だ。

 死んだ親友ともう一度話せた。もう一度会えた。万感の喜びに身体が抗えない。神様が居るなら感謝してもいい。ずっと伝えたかった事も伝えられなくて。俺は。

「隼人ぉうぅぉうぉうぉう! ごめん…………ごめん!」

「お、おう。別にいいけど何を謝ってんだよ。もうお互い腹は割っただろ? 今更気に病む事なんてお互いにない筈だけどな」

「それでも謝らないといけないんだ俺は! お前に原因があろうとなかろうと、俺のせいでお前は殺されたんだから! ごめん……ごめんなさい…………!」

 男らしくないとか、好きに言えばいい。親友に会えて喜んでいる事の何が悪い。死んだ人間に会いたいという願いが叶ったのに泣いて何が悪いって言うんだ。その願いは一般化しているくらい、多くの人間が願う事だというのに。

「あー……泣くなよ硝次。そういうのはほら、俺の役目じゃなくて揺葉のだろ。全部自業自得、身から出た何とかかんとか。恨んじゃいない。お前を恨んだ事なんて人生一秒でもない。揺葉に関しては別だけどな」

 不器用なりに慰められると俺も段々己の衝動が恥ずかしくなってくる。慌てて身体を離すと、改めてその半分死んでいるような身体について尋ねた。

「…………身体、ぐす。大丈夫なのか?」

「いや、全く大丈夫じゃない。お前に土葬されたもんで身体が崩れ落ちつつある。この国じゃ火葬が基本だぞ硝次? ぶっちゃけると、俺の命にもタイムリミットがある。向こうに時間があるかないかは関係ない。俺が死んだらどうせ打つ手がなくなるんだ。そう言う意味でも先に来たかった。ほらよ」

 厚着に隠れた左手を突き出した瞬間、彼の薬指がボロっと落ちて放送室の床でベシャっと腐葉土のように広がった。腐敗は最早腐敗と呼ぶのも烏滸がましい程進行しているようだ。むしろ何で身体が原型を保っているのか不思議なくらい。

「―――じゃ、じゃあお前が死ぬまでに終わらせないといけないな」

「その通りだ。一応確認しとくが、条件は水都姫の無力化、『オタケビ姫』の気を逸らすって事でいいんだよな?」

 頷いて、続きを促す。

「よっしゃ。まあこんな印つけてくれるくらいだ、『姫』の方は俺が引きつけられるだろうが、問題はお前が大好きで仕方ない契約者の方だ。何か案はあるのか?」

 無言でそれを取り出して、放送室の机に出してやる。隼人は無事な方の腕で拾い上げて、感心したように大声で笑った!


「はっはっは! そういえばあったなあこんなの! 行ける、行けるぞ硝次! すげえな!」


 当初の約束通り、もしくは本来の形通り。俺と隼人で呪いを終わらせる。

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