この愛の形

 神社に戻ると、火楓さんが奇妙な陣の中に先生を乗せて妙な儀式を行っていた。何処からか持ち込まれた神楽鈴を鳴らして、日本語とは思えない言語を唱えながらお腹に被せられた布にゆっくりと何かを入れている。

 布を貫通するなんてとも思ったが、布の中心には穴が開いており、そこに細い棒や砂……にしては白くて大きな粒を入れている。異様な光景に、戻ったは良いが呆気に取られていた。向こうから気づいてくれるなら都合が良かったが、その背中には得体の知れない迫力があり、境内に入って、拝殿の手前で立ち止まるのが精一杯だ。これ以上踏み込んだら死ぬような気もしている。

 そんな事はあり得ない?

 あり得なくても、今の俺は錫花を抱えている。迂闊な行動は避けたい。

「…………」

 背中からだと観察しても得られる情報には限界がある。何かをしている最中の彼よりは、物言わぬ死体となり果てた先生を目撃した方が分かりやすいか。先生はお腹に布を被せられた状態で天を仰いでいる。その顔から生前の面影は失われつつあるがまだ本人と認識出来る程度には変化していない。

「火、火楓さん」

 埒が明かないと思ったのか背中の錫花が声を掛ける。火楓さんは見もせずに手を突き出すと、冷たく一言。

「ちょっと待て」

「…………な、何してるんですか?」

「あまりこんな事はしたくないんだが、もしもの為の保険をな。俺の命と引き換えに知尋を蘇らせるようにしてる。使わないならそれに越した事はないがこうでもしないと俺が狂いそうだ」

 したくない理由については今更語らせなくてもいいだろう。先生はかつて加害者として暴れた挙句に全滅、一人ぼっちで生存した過去がある。実際の生存者については置いといて、それで先生が心の傷を負ったのは事実だ。

 生きていた火楓と差し置いて自分だけ生き残ったら今度こそ戻れないかもしれない。衝動のままに自殺する事も考えられる。彼はそこまで考えて、それでも死なせたままにはしたくなかった。まさしくエゴとも呼べるような善行だが、誰がそれを悪く言える。

 俺と揺葉だって、そのエゴで殺人を心に決めていたというのに。

「―――今度は……お前から離れないぞ」

 そう死体に向けて言って、今度は俺達の方へとやってくる。掌の中心からは刺し傷を水道にした出血が零れている。腕を抱えるようにして誤魔化しているが出血は酷く処置もされていない。だから顔色も心なしか悪いのだろうか。

「…………どうして背負われている?」

「いや、なんか錫花が急に動けないって事でさ」

「顔見りゃ一発だ。動くな」

 火楓さんは肩越しに錫花の仮面を外して素顔を見る。俺以外は確実に見た事があるその顔は決して珍しい物ではないだろう。同じ水鏡ならそれは猶更。だのに火楓さんは彼女の顔を見るや、目を見開いて後ずさった。

「お前、何してる! 俺にお前達の因果は断ち切れないんだぞ!」

「え? え? え?」

「…………ごめんなさい。ただ新宮さんが」

「ああ馬鹿。言うんじゃねえ。『魔法』が解ける。クソ、そうだよな、幾ら恋に盲目でもそんな目先の事を気にするような奴じゃない。ああマジで」

「何があったんですか!?」

「……降ろせ。自分の目で見やがれよ」

 言われるがままに拝殿の中まで連れて行かれると、端っこの方で俺は錫花を降ろした。顔には軽く仮面が被さっているため見えないが、それより目を引いたのは彼女の足。

 青く歪んで、人間の足とは思えない程ぐちゃぐちゃに潰れている。酷い脚だ。足裏が地面にまっすぐつかないと言えばどんな酷い状態になっているか分かるだろうか。だがそれはおかしい。ここに来るまでに何か災難があれば背負っていた俺もダメージを受けている。それ以前と言うなら、そもそも彼女は俺の所まで来られない。


 ―――いつから?


「錫花! お前いつこんな怪我を…………ああくそ、俺に応急処置の知識があればな!」

「んな事しても手遅れだ。取り敢えず説明しろ。何があった? どうしてこうなるんだ?」

 俺は今まで起きた事を手っ取り早く説明した。分かりやすかったとは思わないが分かってもらわないと困る。揺葉がいつまで時間を稼げるかなんてそんなのは分からないのだ。先程から携帯に話しかけても隼人から反応はないし、錫花は痛みを我慢する為に食いしばっているせいか、遂に歯茎から血が出るようになった。

 声を必死に我慢して、身体を動かす事もなく震えている。背負っていた時は無理をしていた? だが……いや、こんな重傷ならむしろあれだけ喋れたことに驚きだ。

「…………色が抜けた。そうか、確かに仕掛けるなら今しかないな。それで最終決戦に臨む前に俺に清めてもらえと」

「は、はい。でも今はそんな事より錫花の……」

「そんな事じゃねえ……ああ、分かった。どうせ俺は行かない、失敗するにしても成功するにしても知尋の傍に居るつもりだ。だから錫花に変わって俺が引き受けてやる。お前らは準備が出来たら学校に向かえ」

 火楓さんは聞く耳を持たない。

 錫花が喋れる状況にない(背中から降ろした途端悪化したとしか思えない)為、会話は俺が務める。

「どうして来てくれないんですか?」

「死ぬ時くらい好きな人の傍に居させてくれよ。別に俺が居なくてもお前達はやれるだろ。特に錫花。もう顔を隠す必要はない筈だ。拝殿の押し入れの方に神着も持ってきた。仮にも水鏡の血筋だろ、『怪異姫』は女性がやって初めてその力を発揮出来る」

「え? え? え? ちょっと全然意味分からないんですけど。神着ってのは―――」

「作業服みたいなもんだから気にするな。ただ、これは女性用しかないからこいつに瀕死になってもらっちゃ困る。央瀬隼人については先に学校にでも向かっているんだろう。取り敢えずおまじないをかけてやるからそれが終わったら向かえ。敗北条件は錫花の儀式を邪魔される事、もしくは央瀬隼人を奪われる事。それ以外は全部勝利だから、お前は死んでも時間を稼げ」

「し、死んでもって―――」



「稼げったら稼げ! 俺に方法は分からん! やれったらやれ!」



「は、はい!」









  学校に行けば逃げる事で頭が精一杯になってどうにもならなくなるだろう。

 だから一度、整理してみる。


  まずはこの事件の発端。


  それは俺と揺葉と隼人における恋愛関係のもつれだろう。

 

  新宮硝次→朱識揺葉

  央瀬隼人→朱識揺葉

  朱識揺葉→新宮硝次


 端的に言って俺と揺葉は両想いだったが、俺はそれに気づかないばかりか隼人が揺葉を好きという事にも気づいていなかった。一方で揺葉は隼人の好意に気づいており―――それを邪魔とも感じていた。

 きっかけは間違いなくここ。隼人の好意を鬱陶しく感じた彼女がちょっとした呪いでアイツをモテモテにしてしまった事が全ての始まりだ。厳密にいつ頃気づいたかは分からないが、とにかく高校に入る頃にはアイツも呪われている事に気が付いた。

 アイツから見れば俺は恋敵どころか揺葉にとっての意中の相手だったが、俺達は互いに親友と呼んで差し支えない仲。攻撃する事も出来なかったが、丁度呪いのせいで俺が踏み台にされて嫌な気分になっていた瞬間でもある。だからアイツは俺に呪いを移し替えようとした。

 それは丁度女子が隼人に告白を断らせまいと策を巡らせていた時であり、それを水都姫達が横取りを狙っていた時でもある。何もかもうまくいけばなんて事のない結果―――関係者の誰かは真相を把握出来るような状態で済んだかもしれない。

 

 おかしくなったのは、揺葉がこの時点で同じ高校に所属し、同じように横取りを狙っていたせい。


 俺も、隼人も、水都姫達も、或いは他の女子も知らなかった。だからまず察知されようがない。アイツが女子の呪いを成立させずに奪った事で、水都姫達は本来奪おうとしていた呪いを間違えて隼人の呪いを奪ってしまった。それが全ての始まり。しかも揺葉と違って隼人の呪いは成立したまま追加される形で呪いは発動した。

 俺は呪いによって不当にモテモテになり、また同時に俺を好きな女子は死んでしまうので、正気を狂わされた女子達が常軌を逸した行動を取るようになった。これが今回の騒動における全体像だ。呪いの外れた隼人はモテなくなり、俺を好きな女子は隼人を排斥したくなる。


 ―――じゃあ。


 それはどうやっても取り除けない狂気かと言われたらそれも違う。まず第一にこの呪いは俺の事が本当に好きであるなら呪いが通用しないという抜け道がある。どうしてそんな理屈が許されるかについて断定は出来ないが、隼人の呪いのせいだ。呪いを土台に新しい呪いを載せているから、基本ルールが土台の呪いに則っているのだろう。これは水都姫が犯人だろうという推理の助けにもなったし隠れ蓑にもなっていた。

 次に命の危機に瀕すれば一応正常な精神状態には戻るという欠点がある。女子達は俺を好きにならざるを得ないのに好きになると死んでしまうという板挟みにあって精神をおかしくしていた。その中で突然同じように命の危険に晒されたら精神状態を拘束するモノは一時的に無力化され、人格が戻る。尤も、危機に瀕している時点で正常な判断は緊急回避程度にしか役に立たない訳だが。


 ―――水都姫の目的は?


 分からない、と言いたい所だが答えなんて最初から出ている。『俺を好きな女子は死ね』という呪いは俺の事が好きじゃなくちゃやらないだろう。もしくは俺を困らせたかったか。

 誰にも迷惑を掛けてないからこその『無害』でもあると思っていたが、それは違った。夜枝も水都姫も俺の知らない所で影響を及ばされておかしくなっている。だから例えばそれに迷惑した人間が俺を陥れる為にという可能性は考えられなくもない。だがついさっきまで追い回されていた事も含めて水都姫が俺を好きなのは間違いないから、やはり最初の通りの結論になる。


 ―――オタケビ姫の目的は?


 隼人の身体が欲しい、という話は本当だろうか。疑う理由も特にないのだけど、ここが違うと合っているとでは時間稼ぎの難易度が変わってくる。実際に追い回された事とこの世界からずっと俺を見守っていた隼人本人が言うからには間違いないと思う。今回の『神』は夜枝に自分を重ねてしまうくらい人間味のある『神』だ。もし違ったとしても対話は可能だと信じたい。


 ―――水季君の目的は?


 呪いの成就した先に何があるのか。それはともかく、彼はそれを願っていない。協力者でありながら俺を殺そうとするのは水都姫の意に反している筈だ。地下壕で話した時の素振りからして、彼は俺に敵意がある。今は生死不明だけれど、彼はきっと俺を殺して―――おじゃんにするつもりがあった。


 騒動の全貌が見えてきている実感がある。

 これらを踏まえた上で、時間稼ぎをする事は可能かどうか。結論から言えば可能だろう。だが逃げ続けながら話しかけるのは体力が要る。向こうも舐めてくれる程の余裕はないだろうから、適当な発言は許されない。

 火楓さんはああいったが実行するのは錫花だ。彼女は水都姫を無力化して欲しいと言ったし、『オタケビ姫』の気を逸らしてくれとも言った。夜枝程結びつきが強くないという分析が正しいなら、気持ちが動揺するような決定的な発言が出来れば可能な筈だ。

 それも証拠があればいい。例えば―――水都姫の気持ちがどうであっても、その気持ちには応えられない決定的な証拠、とか。








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