この命が換わっても
「……え、錫花?」
木に挟まって身動きを取れないままでいたら、急に身体が軽くなった。何を言っているか分からないだろうが、多分向こう側で錫花が倒木の角度を緩めてくれたのだろう。視界は木に遮られて分からないが身体が動くようになったという事はそういう事だ。
色の塗られていない真っ白い地面に手を突いて体を起こす。不思議な感触だ。土でも鉄でも木でも草でもない。じゃあ文字通りのキャンパス―――紙なのかというとそれも違う。感触がない。目がみえているならなんてことのない変化だが、暗闇で視界が奪われるだとか怪我で目がみえなくなった場合は厄介だ。地面の感触がないなら歩いているという実感も湧かないだろう。平衡感覚は生きているので立っているか座っているかくらいはまだ分かるだろうが、こんな不安になる地面はない。感触がないのでは、空中を浮遊しているのと変わらない。
「錫花?」
「…………新宮さん。良かった」
「良かった? やっぱり声聞こえてなかったのか……? 俺は無事だよ、割と奇跡的に怪我もなくって感じだけど……」
様子がおかしい様に見えるのは気のせいではない筈だ。額から汗を流したまま身動きを取ろうとしないのは姿勢を楽にしているというよりそうせざるを得ないよう。その座り方も正座が崩れているみたいで、らしくない座り方だ。
「……何かあったのか?」
「いえ…………ちょっと、息切れを。良かったです、何もなくて」
「息切れ……悪い。俺が走り出したせいだよな。お前を散々連れ回したのに行くときは一人でぶっちぎっちゃって、悪かった。冷静じゃなかったよ」
身体を気遣うように傍に座り込むと、彼女は遠慮する事もなく俺に体を預けようとしてきた。遠慮自体は要らないからそれはいいとしても、錫花がしないような行動ばかりされると流石に心配の一つもしたくなってくる。
『おーい。言っとくけどこれ揺葉の携帯だぞー。俺を置いてくのは勝手だがそこ忘れるなよー』
「隼人お前はちょっと黙ってろ! おい、大丈夫か? 何があった」
「別に……何もないです。それよりも新宮さん、私は貴方を迎えに来て……事情は把握しています。私の方にも……央瀬さんから電話があって。新たに『オタケビ姫』を倒した後に神を造って『神話』を上書きするという計画は、良いと思います。実現すれば、また今まで通りの世界が帰ってくると……」
心音が素人にも分かるくらい早く。
体温が燃え上がるように高い。
何もないと言われても、まるで四〇度の高熱でも出したような異常にはとてもじゃないが目を背けられない。彼女は何かを隠している。隠し事はナシなんて言わないが、今にも危篤に陥りそうな状態を無視するのは人としてどうかと思う。
「―――えっと。はい。新宮さん、私は諸事情で今動けなくて……申し訳ないのですが、運んでもらえませんか?」
「怪我したのか?」
「…………怪我ではないですが、無理をしています。丹春さん達を保護した時のような無理を。だから申し訳ないのですが……おぶってくれると、嬉しいです」
そう言われると断る訳にもいかない。足腰の元気な俺が不自由を買うのは当然の事だ。背中を錫花に向けて差し出すと、殆どもたれかかるように身体が密着して、腕が首に掴まった。
―――あっつ!
身体が直に接触している部分は炎上でもしているみたいに熱いし、気にしなかったら焼け爛れるのではないだろうか。だがそれより気になるのは全体重をかける事を厭わなくなった怪我人? の体重は普段以上に重く感じるという事だ。
確かに錫花は身長が小さいからある程度は軽いが、それでも人間だ。十キロのゴミ袋だって十分重いだろう。俺はそう感じるから、錫花だって重い。彼女に自分の体重を引き受けようという気が無い今回は割増しで重く感じる。
でも、問題ない。足の感覚が曖昧なお陰か分からないが、無茶をしても身体が悲鳴を上げないのだ。重いけど、重いだけ。筋肉が疲れて物理的に力が入らないとか、骨が痛いとかそういう問題は一切気にしなくていい。まるで無敵になったようだ。
携帯を拾い上げて隼人の音声と合流。なぎ倒された森林は見通しが良くなって神社前の道のりがハッキリした。かなり遠い場所にあるが、遠いと言っても水平線の向こう側にある訳ではない。錫花だって走ってここに来たのだし、決して間に合わない事はない。
「それで……どうやって隼人を神にするんだ?」
「手順は……簡単な物もありますけど……素人に破られる様な単純なモノは危険もあるので、ちゃんとしたモノを組みたいと…………はぁ。思ってます。はぁ、それで……『オタケビ姫』を先に無力化する事が大切です。水都姫と同時に……出来ればいいんですけど」
その言い方だと、錫花の方から特別な案はないらしい。全部が全部任せるつもりはない。むしろそっち方面を任せるつもりで、力仕事は俺達がやるべきなのだ。幸い、一人じゃない。電話越しには隼人も居る。
「隼人。お前も勿論協力してくれるよな。多分お前が餌になってくれないとそもそも成功しないと思うぞ」
『勿論協力するぜ。神様が俺を求めてくれるなら、水都姫の方は付き合わない訳にもいかないだろうからな。パワーバランスは対等なようで歪だ。夜枝ちゃんと違ってアイツは多分対価を支払った訳じゃない』
「タダで契約したのか?」
『俺っていう見返りと、後は向こうの拗れ具合だろうな。さっきちょっと聞いたろ。水都姫はお前が好きなんだよ。いや、お前が好きじゃなきゃこんな事にはならなかったんだけどさ。それに夜枝ちゃんとの契約があったから『オタケビ姫』は対価なんて要らなかった筈だ。あの子は神様が自分を重ねるには十分すぎる気持ちだったからな』
「…………なんか、嫌だな。お前にもそんなつもりはないの分かってるんだけどさ。アイツが死なないといけなかったみたいな感じがやっぱ微妙っていうか」
「……霧里先輩も生きて居られるなら。それが一番いいん、ですけど」
だがそれはあり得ない。それはもう分かっている。分かり切っている。それでもと思わずに居られないのは俺が平和な世界に生きて来た証拠だ。どうにもならない死に報いるには、せめて彼女の想いを継ぐ事が手向けになる筈。
何としても、彼女以外の全員を蘇らせないと。
「それで、水都姫さんを無力化して欲しい場所が、あって。お二人には……はぁ。ううぐ! うううふぅぎ……!」
「錫花、お前ちょっと普通じゃないぞ。大丈夫か!?」
背中に目はないから、様子が分からない。俺が過敏になっているだけかもしれないが、死ぬのではという予感が頭を過っている。それは杞憂だと、信じたいが。
「契りの……場所。央瀬さんが……呪いを埋めた場所。学校で……あそこは、色んな呪いが重なっていた場所、です。私と……火楓さんで準備を進めるので…………校舎で時間稼ぎを―――お願いします。水都姫を無力化して、『オタケビ姫』の気が逸れているなら……はぁ。それが理想です」
『分かった。要するに校舎の中でかくれんぼしろって事だろ。丁度いいじゃねえか。元々学校で始まった恋愛だもんな』
「にげ、逃げ切れるのか? 今は揺葉があれだけど……」
『おいおい硝次。しっかりしてくれよなー。アイツが囮になってくれてんのは準備の余裕を作る意味もある。それに校舎で時間を使えって事ならお前にしか出来ない事があるだろ。だってお前、水都姫との馴れ初めなんて覚えてないじゃないか』
馴れ初め……という言い方には違和感しかない。
まるで今は親しい間柄であるかのようだが、今も昔もそんな関係だった記憶はない。水季君もその事で激昂していたが、覚えていないものは覚えていないのだ。それを何か、恋人のように言われても困る。
『女心に付け込むんだよ。犯人に動機を聞かない警察なんか居ないだろ? それと同じだ……お前は真実を知るべきだよ。それで俺と同じ恐怖を味わってみろ。誰かに病的に好かれるってのはどういう事なのかってな』
「まずは……神社へ。火楓さんが清めてくれると思います。早く……神社の色が抜けたら、使えなくなるでしょうから」
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