重ねた恋の摩天楼
「………………」
湖岸知尋先生は生き方を見失っていたように思う。あの日あの時をきっと無限に後悔していて、自分なんて生きているべきではないとずっと思っていた筈だ。勿論それが俺達には理解されない我儘な卑屈さだと分かった上で抱え込んだ。理屈でどんなに間違っていても、割り切れない事はある。
自分の命の使い方を見つけた時、彼女は何を思ったのだろう。俺には想像しようともきっと全てが正しくない。一度全てを失ってみない事には、その思考を理解するなんてとてもとても。
「…………俺も、止められたら良かったんだ。あのカスを好きになるのはやめろって、呪いなんかする前にな」
「……止めなかったのは、どうしてですか?」
「惚れた弱みって奴だな。友達が犯罪をしてたら止めるのが真の友達って言うけど、隠れて通報するとかならまだしも面と向かって止めるのは勇気がいるだろ? 正しさは置いといて恨まれる、失望される、嫌われるかもしれない。俺の場合は呪いをするなんてその時は知らなかったから、犯罪かどうかも分からない。ただ俺が気に喰わない奴を好きになってただけだ。それを止める理由はどう考えても俺の我儘だった。子供孕ませた癖に責任も取らねえカスだった事が理由になるか? それを教えても惚れる女が多かったからアイツはどうしようもないんだ。あのカスと交際出来たらって夢見る知尋は本当に…………俺じゃ足りないくらい、可愛くてな。考え方を変えたんだ。一度くっつくまで応援して、クソさに気づいたらどんな手使っても引きはがしてやろうってな」
死後硬直の剥がれた手を握り締めて火楓さんはまるで先生の傍を離れようとしない。生前はきっと出来なかった行為。そして彼が本当はしたかったコト。全ては手遅れのまま、しかし懐かしもうにも醜いだけの疵。
「……まあ、知尋が全くアイツの好みじゃなかったのは不幸中の幸いだったがな。手を出されたらって思うとゾっとするよ。断言しても良い、間違いなく俺が殺してたからな」
「……先生が生き返ったら、ちゃんと気持ち伝えてくださいね。まだ、間に合うと思いますから」
「その話はまた後で。それよりも先生はどうして自分の身体を? 生まれて間もない赤子が条件でしたよね」
「知尋は条件を勘違いしているからな。血液だけでいいと思ったんだろう。どれだけ必要かも把握してないからこんな真似を……結果だけ見れば全くの無駄だが、考え方は間違ってない。というよりそうしないと呪いを止めた所で全くの無意味になってしまう」
―――無意味?
ただでさえこの状況をどう打破するべきかも悩ましいのに、それが全て無意味になると言われては流す事も出来ない。
「水都姫と『オタケビ姫』を止めるだけじゃ駄目なんですか?」
「ここは霧里夜枝って奴のせいで何年も『神話』と現実の境目が曖昧になってたんだろ。『オタケビ姫』の干渉を無効化して呪いを解いたら残るのはゴーストタウンだけだ。忽然と姿を消した人々を野次馬が囃し立てるだろう。俺達だけが生き残ったともなれば当然目立つ。今回無関係なうちの者にはとっくに避難してもらってるが、お前は家がここにあるんだろ―――おっと、勘違いするなよ。最初は『オタケビ姫』さえどうにかすればと思ったがその霧里夜枝のせいで事情が変わったんだ。俺も知尋を死なせたくない。だからやり方は間違ってないと言ったんだ」
「他の『神話』でこの町を包めば、少なくとも死体を食べられていない湖岸先生は助かると思います。後は……冬癒ちゃんが食べられてないなら、彼女も」
「あ、甘い事言うみたいだけどさ。今まで死んだ人全員ってのは……無理なのか?」
それで隼人が復活しなくても、それはまだいい。個人的には全く良くないけど、アイツ一人蘇っても町としての体裁は保てないから。俺が気にしているのは呪いを認識しないまま一方的に食べられた無辜の人々の事だ。彼らが生き返るなら……まだ何とか、ここは町として維持出来る。
「『神話』は万能じゃない。知尋が蘇るにしても知尋が知ってる、知尋の存在が知られてる『神話』が必要だ。殆どの奴らは関わる事はおろか認識もしてなかったんだから助けようがない。既に食べられた奴はこの『神話』と一体化してるから、それもやっぱり助けようがない。新宮硝次、お前も腹を括れ。俺達と同じようにほぼ全滅の道は決定的だ」
「いえ、もう一つ手段はありますよ」
錫花が仮面に手を掛けて、外すような素振りを見せた。
「あの時みたいに、私が『神』を引き受ければ、丸く収まると思います」
神を引き受けるとはどういう事か。
それは火楓さん曰く、『神』を受け入れて同化する事で『神話』を書き換える行為。ただしそれをすれば錫花は二度とこちら側には戻ってこられず、彼女と会う事も出来なくなる。また、呼び方が変容した『オタケビ姫』や在り方が捻じ曲げられた『ひきすさま』のように『水鏡錫花』の存在は変容し、原形をなくしていくらしい。
それさえ呑み込めば全てが元通りになると言われても、気軽に決断する事は出来なかった。ゆっくり構える時間もないのに無理に時間を貰って、今は夜枝だった骨を拝殿の裏手に埋葬している最中だ。
「噂話をしてやる」
隣で土を掘っていた火楓さんが不意に口を開いて、独り言のように語りだした。
「蟲毒を使って幸福を維持していた町があった」
「…………」
「ただその幸福は、一つの家系を犠牲にし続ける形で続いていた物らしい。お前が今向き合ってるのはそういう問題だ。大丈夫、それよりは簡単な話だろう。錫花が死んでも水鏡家は続く。ただお前が―――辛いだけだ」
「その町は……今もあるんですか?」
「呪いなんて永遠には続かない。何処かで必ず馬鹿が壊す。お前が馬鹿かどうか俺には分からないが、これまで何度も後悔してきたお前なら分かる筈だ。多数が生きればそれが正義。日常が帰ってくればそれが正しい。本当にそうなのか? と」
大きく開いた土の窪みに夜枝の骨を入れると、火楓さんが手際よく土を被せて埋めていく。骨はもう見えなくなった。
「どっちが正しいかなんて俺は言わない。みんなにとっての正しさと、お前にとっての正しさは違うからな。迷った時は自分の心を信じろ。胸を張れ。この呪いにケリをつけられるのは中心に居たお前だけだ。お前だけが決断できる事だ。だから、お前の判断がどうであっても絶対的に正しいんだ」
「…………でも。でも俺には判断出来ません。どっちがいいかなんて……どっちが………………どっちも…………嫌ですよ……」
将来の不安。
そんな漠然としたものじゃなくて、もっと確かなモノ。錫花を犠牲にしたくない我儘は、そもそも具体的な道筋が見えていない。奇跡的に成功したとしても町の人間はほぼ全滅。水都姫は俺と揺葉が殺すから、生き延びるのは水鏡二人と俺と冬癒と揺葉、後は水季君くらい。学生としての立場を殆ど失い、自分の家族も失い、故郷も失う。
ならばこれからどう生きていけばいい? 将来いい会社に就けるかどうかよりももっと直接的に。命の使い方が分からない。
錫花を犠牲にすれば全てが解決すると言っても、俺は彼女の事が好きだ。犠牲にしたくない。だからあの時も無茶をした。夜枝に始まり俺と親友と良く分からない水都姫から廻った呪いなのに、彼女は自分から首を突っ込んで助けてくれているのだ。そんな彼女を犠牲にするなんて何かが間違っている。でも具体的な道筋はハッキリしているし、手順によっては今ここで実行出来るだろう。
それで彼女以外の全員が救われたら、ハッピーエンドなのか?
「…………なら錫花と話し合ってみるか?」
「え?」
「将来の事だ。当事者同士で話せばいい。俺は知尋が蘇るならどっちでもいいからな。生き残った全員で共犯者になるか、それとも錫花を殺した犯人にお前がなるか。アイツは昔から自我が薄いっていうか、周囲の利益の為なら軽々しく自己犠牲するようなきらいがあるガキでな。だけど今は……迷ってるみたいだ。仮面の中で泣いてるのに気づいたか? お互い言いたい事があるならハッキリ言った方が良い。俺と知尋みたいにすれ違っても、嫌だろ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます