天に還らざる症候を
「昔、昔のお話です。新宮さんはお焚き上げについてご存じでしょうか」
「……遺品を供養する奴だったよな」
「そうですね。魂の籠った品を炎で処分する。その人が信じている宗教にもよりますが、概ね故人の元へ返したり天へ還したりする意味があります。大昔、この世界を支配していたのは科学よりも宗教、神秘への信仰でした。時代と場所が違えば神に今後の事を聞く事自体が祭事となるような、そんな時代。万象一切神に因る産物であるとの世界観から、彼女は神の使いとされ、遺品を天に還す仕事をしていました。火を使って天に還す仕事は彼女以外の人間には許可されなかったので、村民からはオタケビ姫―――もとい
「自由が禁止ってのは……泊まり込みで休みがないとか?」
「朝起きる時から夜眠る時まで。神事につきっきり。姫はお焚き上げだけを仕事にしていた訳ではないですからね。その仕事を行う権利があったのが彼女だけだったんです」
「……ちょっと、想像するのは難しいな」
「しかし神の使いとされた彼女も所詮は人の身体。ある日出会った男性に恋をしてしまいました。俗世と関わる機会がないと恋愛的な免疫も生まれません。神に仕える事が全てだった彼女にはアプローチの方法も分かりません。何より職務に関わらない会話は禁じられています。その気持ちを断ち切ろうとしても方法が分からない。神は何も答えてくれない。一方的な初恋程空しいものはないですね。男性は好かれているという事も知りませんでした。彼女が一方的に拗らせていただけ。その気持ちに整理が付けられない一方、幸せでもありました。その気持ちは穢される事も踏み躙られる事もない。ただ生きていただけの彼女は初めて人間らしい気持ちを持ってその時生まれたと言えるのかもしれません。しかしそれも長くは続きませんでした。神主にそれを悟られてしまったのです」
「…………何で?」
「人とは生物。生物には生殖の本能があり、神の使いだった彼女も恋を知った事で人へと堕ちました。身体は正直ですからね。自らを慰めている声でも聞こえればすぐに分かると思います」
―――自らを慰める、ね。
「色欲を知った彼女は最早神の使いでは居られない。穢れてしまった彼女は使命を解かれ、最後に自らの意思で体に火をつける事を強いられました。神に因る産物は神の求めた運命から外れる事を赦されない。宗教観としては自らを天に還す事で神の使いとしての不具合を治すというモノです。天に還るその瞬間を監視される中で、彼女は最期まで全てを呪いました。己の自由を認めなかった人も、それを縛る神も、知る事のない男性に恋をした自分も。自らを焼くという行為にはどれほどの痛みが伴ったでしょう。苦悶と呪詛の込められた断末魔は三日三晩続いたと言います。それが『オタケビ姫』の真実です」
「………………じゃあ夜枝が自由にさせられてたのは」
「自分に重なったのだと思います。だから身体を貸し出した。霧里先輩には同じ思いをして欲しくなくて……いや、先輩の身体越しに恋愛を楽しみたくて。男好きなのは自分の気持ちに応えてくれる男性が他に居ると信じているから。『神』となった今ではかつての人格は腐り果て、悪性のみが残っています。きっと水都姫さんも同じような経緯でしょう」
『神話』の内容とかつての『姫』の内情に意見はない。しかし気になるのはそんな自己中神様が水都姫の呪いに力を貸したその理由。夜枝のメモは俺を誘導する目的があっても全くの嘘ではなかった筈だ。
『我が神のお告げによって願いは叶う。多くの贄を食らいて我が神の身体は完成す。契りを交わしたその場所で私は貴方が欲しい』
神のお告げとは『オタケビ姫』の指示で、我が神の身体とは―――『オタケビ姫』の肉体? 契りを交わしたその場所は……流石に心当たりがない。
「神話について話し終わったので、戻しますね。先程、私はどうすればこの呪いを解けるかを調べました。その為にはまず『オタケビ姫』の介入を止めないといけませんが、それにはまず彼女が求める男の身体を見つけ出さないといけません。見つけたらその身体にその人を証明する品をセットしてお焚き上げするんです。『カシマさま』の時と同じように、神の求めている事を行えば手を貸す理由はなくなる筈……」
「問題はその男の身体が何処にあるか、だよな」
「食べるという行為では決して満たされません。だけど偽物の『神』である彼女にはもうお焚き上げが出来ない……食べる前に見つけないといけません。問題はこちらに引きずり込まれた顔を隠していない人間は殆ど全員食べられたから、見つける以前に候補者が居ないという事ですが」
「俺、じゃないよな」
錫花は足を止めると、俺の手を握って、祈るように首を下げた。
「新宮さんは私が護ります」
互いに外では仮面を外せない。それでも顔は近づいて、仮面同士が渇いた音を立てる。
「誰にも貴方は渡しません」
「錫花」
「火楓さん。ご無事で何よりです」
神社に戻ってくると、階段の中腹で火楓さんが俺達を待っていた。戻る道すがら、錫花は全ての情報を部外者である彼に共有。拝殿に戻ってくると、夜枝の白骨死体が眼鏡と共に綺麗な場所へ移動されており、また先生の死体は引きずり出された臓腑が全て戻されていた。
それを無礼にも手水舎で洗い流したせいだろう。あそこが真っ赤に染まっていたのは。
「……先生…………霧里先輩…………」
「その選ばれし男の身体とやらを見つけなきゃいけないんだな。因みにそれはどっちの世界にあるんだ?」
「どっちとは?」
「町内放送でこっちに引きずり込んだ奴が全員食べられたのは知っている。だからそいつは同じように町内放送を聞いてないんじゃないか? 結果として新宮硝次も一時期は孤立していたんだろ」
「あ、確かに」
「それに身体が欲しいだけなら死体でも構わない訳だ。死体に声なんか聞こえてない訳だから現実世界にまだ残ってる死体がお眼鏡にかなう可能性もある。話を聞いてるとそっちにも心当たりがないんだろ。なら誰かが現実世界に戻って調べる必要があるな。ただ、当てずっぽうは恐らく駄目だ。ある程度確信をもって行う必要がある。俺が死体を集めてくるから、どれを燃やすかはお前達で決めろ」
「生きてる人がまだ居るんだったら、候補を絞るまでもなくそいつって分かって楽なんですけどね……自覚があるなら狙われないように避け…………」
嫌な可能性が頭をよぎったが、それは違うと信じたい。あの人はついてこなかったから、もしも正解なら詰んでいる。最初からそんな想像はしたくない。
「この祭壇は何ですか?」
「これは……夜枝に言われた通り藁を燃やした時に火を使った場所で」
「新宮さんではなくて」
「…………ああ、これか」
火楓さんは先生の死体を優しく抱き上げると、臓腑が漏れ出ないように優しく横へどかして、どこからか持ってきた畳の上に寝かせる。祭壇に溜まる血は相変わらず溝から流れて盃を満たしている。白い灯はとっくに消えていた。
「軽く検死の真似事をしてみたんだが、どうも知尋は自分で自分の臓物を引きずり出したみたいだ」
「―――はッ!?」
「えっ?」
まあ聞けよ、と火楓さんはこちらも視ずに先生の死体を眺めている。俺が見た時は目をうっすら開いたままだったが、今しっかりと閉じているのは彼がやったのだろう。生前は触れ合う事も避けていた反動からか、今は髪を撫でて死体を落ち着かせているようにも見える。
「な、なんでそんな事を?」
「…………お前等も知っての通りって知らないな。知尋の呪いはまだ解かれた訳じゃない。コイツ以外の全員が全滅したのと、コイツが遠くへ行ったから効力を失っているだけだ。『ひきすさま』の力はまだ繋がってる。知尋を見つけ出すまでの何十年。俺はあの神様の事を調べてた。今は縁結びの神様って事になってる様だが、そりゃ大きな勘違いだ」
「ちょ、ちょっと待ってください。でも俺は先生から『ヤミウラナイ』について聞いたんですよ? あれが縁結びじゃなかったらそもそも先生達は暴走する訳が」
「いーや、そうとも限らない。『ヤミウラナイ』とは『
「―――では、暴走したのは?」
「原因は色々ある。知尋は血液を用意したとだけ思ってるんだろうが、実際に捧げられたのは当時あのカスに孕まされた同級生の赤子だ。勿論対価自体は正しい。産まれて間もない子供一人、それが万能薬を使う条件だ。ただ、元々病気を引き取る神だ。サービス精神たっぷりなもんで、一度呼び出すと周りの奴らの病気もチェックする。それでついでに引き取ってくれる。駄目だったのは範囲だ。何処まで病気とみなされるかって部分が想像以上に広かった」
生き証人は今となっては彼一人だけ。当事者もまた彼一人だけ。彼が語らなければ知りようがない。湖岸知尋先生の為だけに全てを賭したような男の覚悟は、俺達とは比べられない。
「恋ってのは容器だ。そう名付けられるから諦める事も割り切る事も出来る。『ひきすさま』にとっては好きな人一人振り向かせたいが為に本来の用途とずれて呼び出した女子がよっぽど醜く見えたんだろうな。『恋』を心の病巣とみなして引き取っちまった。そうした結果、感情のコントロールがきかなくなって―――あの事件だ」
いつ如何なる時も鮮明に。まるで俺が隼人を失った時のように。火楓さんは過去を見つめて呟いた。
「お前とアイツの違いは、元々モテてたかどうかだ。元々モテてたアイツに振り向いてほしくて知尋達は馬鹿をした。お前は呪われてからモテるようになった」
「所で―――同時に発生した社会現象の事もシンドロームって言うんだ。だったらあれは病気だ、色んな意味でな。敢えて名付けるなら―――ヒロイン
「知尋はどうにか『ひきすさま』をこっちまで呼び出したくて、こんな馬鹿な事をしたんだ。同じ様に判定されるなら、お前を助けられるだろうと……恐らくそう思ってな」
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