私を勿忘いで

「…………夜枝」

 好きになる資格はないって、こういう事だったのか。アイツは『オタケビ姫』が騒動の根幹に居ると知って自分が原因だと気付いたのだ。水都姫の誤算というのはつまるところ彼女よりも先に接触した人間が居ると気付かなかったという意味だ。その正体こそ霧里夜枝であり、神様はどうも契約者の情報を特に明かしたりはしないようだ。

「……錫花。お前は犯人が分かってるのか?」

「…………いえ。私はこちらに引きずり込まれるまで女子に追い回されていただけですから」

「三嶺水都姫だ。アイツが『オタケビ姫』と接触した可能性が高い」

「……そうなんですか?」

 俺は彼女と別れてからの経緯を全て話した。決定的になったのは教室で見つかったあのメモか。男も女も見境なく襲われるって話を聞いてたのに実際襲われてたって言えるのは俺達だけで、その話をした水都姫達が襲われた所は見なかった。

「しかし何であんな迂闊なメモが残ってたんだろうな。あれがなきゃ気づかなかった……いや、アイツは当事者だから知ってただろうけどさ」

「……新宮さん、目を離してたんですよね? でしたらそのメモは霧里先輩が自前で用意した物だと思いますよ」

「え?」

「直接『オタケビ姫』について言及出来ないから誘導する為に書いたんだと思います。私の推測になりますが、『オタケビ姫』を思わず知ってると言ってしまった時点でギリギリだったと思います。多分、本当は呪いの解き方も全部知ってたんです。でも言えなかった。それは契約違反になるから。でもいつまでも隠しておくと新宮さんを困らせてしまうから、清算したんだと思います」

 

 …………もしもあの時、なんてモノはない。


 それは一体何年前の話だ。見ず知らずの女の子をそこまで手厚く保護するような道理はない。幾ら俺が『無害』でも、度を過ぎた世話まではしない。過ぎたるは猶及ばざるが如し。何事も加減だ。

 それにあの時どういう訳か夜枝を助けられたとしても、それは俺の知っている彼女ではなく、元々の彼女だ。残念ながら顔は今でも思い出せない。呪いとは言うまい。単に記憶に残っていないだけだ。

「しかし水都姫さんが犯人なら湖岸先生は既に手遅れ……という事になりますね……」

「―――そうだ! 引きずり込まれる前に何があった? ていうかお前はどうやってここに来たんだ? ここに来るには穴から入る必要があると思ったんだけど!」

 だから夜枝もあそこまで誘導したのだろう。そしてアイツのせいで現実が『神話』に侵食されていた事も踏まえると、『霧里夜枝』について知る事が言うなれば『神話』を知るトリガーでもあった。だから改めて穴が出現したのだ。

 こう考えると疑問なのは、夜枝が契約した後ならいざ知らず、俺と揺葉が最初に入れた理由だが―――鳳鳳先生とやらに出会ってのめり込んだというだけで、揺葉は昔からオカルト方面には詳しかった筈だ。じゃなきゃ隼人に呪いなんか掛けられない。しかも出鱈目でも思い込みでもなく、本当に効力のある呪いだった。

「分からないんですか? 町中に聞こえてたのに」

「聞こえてた? ……いや、すまん。山中に居たから聞こえてなかったかもな」

「町内放送ですね。引きずり込まれたのであれが『オタケビ姫』の『神話』でしょうか。しかしどうして山中に?」

「山中の古民家に逃げて来たんだ。女子に追われてたからな」

 しかしそれだとやっぱり古民家に誘い込んだのは意図的だったか。つくづくタイミングは完璧だ。そして大胆過ぎる作戦でもある。俺達には聞こえず。町中に居た人間全員を『神話』の世界に引きずり込めば短時間で全員を消す事が可能になる。

「そうですか。私達は女子に追われていましたが、途中包囲されてしまいました。先生が囮になって助けてくれましたが逃げてる最中に放送が聞こえて気づいたらここに」

「……囮。そうか。お前の言う通り、先生は死んでたよ。神社の中で……そっか。お前を護る為に…………」

 これで大体の状況は共有出来た。気になる事があるとすれば揺葉の現在位置だがそれはお互い知る術がない。先生も夜枝もいない以上、錫花と火楓と三人でこの呪いを解くしかないのだ。


 ―――しかしお面を点けっぱなしは息苦しいんだな。


 いつ外していいかも分からないので着けたままにしておくしかないのも難しい。

「これからどうする? 俺はどうすればいい?」

 錫花は椅子から立ち上がると、「ついてきてください」と言って廊下に出た。そしてさっきは降りて来た階段を上がって二階に俺を案内する。部屋を移動した所で特別解決につながるとも思えなかったが、寝室を模された部屋はカーテンを閉め切って明かりを遮断し、床の上に建てられた蝋燭一本だけがまともな光源としか言えなかった。

「何だこの部屋!?」

 段ボールで作られているから安っぽく見えるがこの世界自体安っぽいので限度があったのだろう。多分これは祭壇だ。神社の中にあった物と似た構造をしている。棒が二本立てられたその間にあるのは髪……長さからして、錫花のモノか。それは血液で満たされた小瓶の中に入って、ぶくぶくと奇妙な音を立てている。

「これ自体は大した呪術ではないです。犯人が不明なまま呪殺を行おうとしただけで……」

「……可能だったのか?」

「その血は現実世界で採取した女子の……呪いの影響を受けた人達の血です。十分に可能と判断しましたがこの世界だと効力は薄いみたいですね。『オタケビ姫』が介入しているせいで阻害されます」

「そ、そうか」

 錫花に先を越されたくないという気持ちを覚えた自分がおかしいのだろうか。復讐するなら二人で。錫花の手は汚してほしくない。

「こうなると『オタケビ姫』を無力化する所から始めないと行けないのですが……扉、閉めてください。続きをします」

 言われた通り扉を閉める。錫花が手を払って蝋燭を消したら真っ暗闇の感性だ。何処に何があるか把握できていないので身動きが取れない。間もなく仮面を置く音が彼女の方から聞こえて来た。

「ひたり。ひたり。ひたり。ぬれもょぅい、かなうぃて、しからめかな」

水落写みぞちにうつり屍亡殻かばねのなきがら血潮粧ちしおめかしの御焚火姫おたきびひめよ。汝悉なんじことごとくあいた男児おののごの血肉盃ちにくをさかずき如何求なにをもとむ

 張りつめた空気、痺れる聴覚。錫花の透き通るような声は部屋全体に響いて語り掛けている。ここには俺と彼女の二人しか居ないのに、そこに誰か居るみたいに、重苦しい。息が詰まる。そうだ、多くの人間が閉所に詰まっていたら息苦しいと感じるあれに似ている。

 無数の何かが、ここに居る。

 泡を立てた小瓶が音を立てて震える。祭壇の扉に建てられた風車がカラカラと回り、吹き込む筈のない温い風が俺と錫花の間を通った。


 背中を、冷たい指先が触れる。


「……………………善き哉」

 仮面をごそごそと被る音がする。電気が点いてようやく、俺の身体は心霊的な重圧から解放された。

「分かりましたか?」

「い、いや。何も」

「歩きながら話します。外に出ましょうか」

「え……あ。ああそうだ。火楓さんが神社に居るから一旦寄って欲しいな。いつまでも帰らないと心配されるだろうし」


















「確か『神話』の世界って心の世界なんだよな。その割には何でこんな現実を真似してるっぽいんだ。『カシマ』の時はこんな事なかっただろ」

「霧里先輩を通して現実を侵食していたので、イメージが刷り込まれたんだと思います。『オタケビ姫』にとって心の世界とは霧里先輩が見た聞いた風景だったという事でしょう。あの人が契約に際して与えたのは自分の身体ですから。繋がりは水都姫さんと比較にならない程強固だった筈です」

 この世界には狂った女子も男子も居ない。錫花によると殆ど全員名前を見失って存在を維持出来なくなったか、『オタケビ姫』に喰われたからしい。しかし夜枝のメモと向坂さんの発言も合わせるならそろそろ手遅れになっても良い頃なのにまだ呪いは成就しないのか、という疑問があった。

 家を出た時に質問した所、今になって答えが返ってくる。

「『オタケビ姫』が求めているのは選ばれた男の身体です。町中全てを丸ごと巻き込んでも見つからなかったという事でしょう。後、考えられるとすれば霧里先輩のお陰ですね」

「夜枝の?」

「『神』を無力化する方法は単純です。干渉を打ち切ってしまえばいい。つまりどうにか水都姫さんと『姫』の契約を無効にすれば良いのですが、霧里先輩が生きていた場合それをしてもまだ干渉は続いていたでしょう。何年も時間をかけて現実を侵食していたので割合にして相当傾いていた筈。例えるなら……そうですね。浮いたお金で軽くお金を貸したつもりだったのに自分の資金源が根っこから消えたみたいな……。ですから相応に力も弱まっていると思います」


 ………………。


 錫花は事実と所感しか述べていないし、それはきっと正しいのだろう。

 だがそんな事は言わないで欲しい。夜枝はまるで生きているべきじゃなかったみたいな。悲しい事を言わないでくれ。本人がそう思っていたとしても俺は……

「よく考えたら変な話だなそれ。そんなに夜枝が大切なら隔離しときゃいいのに何で自由にさせたんだ? 自害すると思わなかったのか?」

「…………『オタケビ姫』の神話、聞いていないのでしたね。それを聞けば何となく分かると思います」

「―――そういえばさっき、『御焚火姫』って言ってたな」

「はい」







「それでは、終ぞ叶わなかった恋の話をりましょう」 

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