ヤンデレ系ヒロイン症候群
残された奇蹟
湖岸先生も死んだ。
夜枝は、消えて居なくなってしまった。
錫花の行方は分からず、携帯が繋がらないので揺葉と連絡を取る事も不可能。
いや、それ以前の問題かもしれない。
隼人を失った。冬癒を連れて行かれた。
その時から俺という人間には何も残っていなかったのだ。『無害』とは無益。俺の生きる意味はなんだ? 哲学の話じゃない。もっと単純に誰が俺に生きててほしいと思っている?
そう思ってくれる人はもう何処にもいない。あの初めて見た笑顔も、二度は見られない。
「おい」
「………………」
「おい、にいみやしょうじ。無視なんかしていいと思っているのか? おい!」
振り返ると、海岸で見た事のある男性―――水鏡火楓が俺の背中の前に立っていた。波紋のあしらわれた紋付袴を着ている。この季節には到底似つかわしくない、重苦しい恰好だ。
「…………」
「落ち込むのは勝手だが、その前に質問に答えろ。何があった」
「……放っておいてくれ。もう、俺は……あいた!?」
革靴のつま先が脳天を蹴り上げる。抗議の目線で見上げると、彼の額にはおよそ人間らしくない青筋が幾つも浮かんでいた。
「おい勘違いするなよ。お前の事なんかどうでもいいんだ。俺は! 知尋に死んでほしくなかった! 勝手に殺してくれやがって……俺はお前に任せたつもりなんだがな! どう言い訳するつもりか聞かせてもらおうじゃねえか! ああ!?」
何度も何度も身体を蹴られて段々頭に血が上ってきた。先生の知り合いだかなんだか知らないが、この人は所詮部外者だ。部外者に俺の気持ちなんて分からない。全て見透かしたような口調が、どうにも腹が立つ。
「ふざけんな! 俺だってこんな事になってほしくなかったよ! 先生が勝手に消えて……夜枝が…………何が任せただよ勝手に押し付けやがって! 好きな女くらい自分で守ってくれよ! なんで会いたがらない!」
「俺が会ったら…………知尋は前に進めない。だから助けるにしてもこっそりとやるつもりだった、死ななければな! おい何で殺した! 言えよ! 知尋を犠牲にしなきゃいけない理由をよ!」
「俺が殺したんじゃない! 先生はもっとずっと前から死んでた! 水鏡ならそれくらい分かれよ! 向坂さんならきっと見ただけで分かってくれたぞ!」
「…………あ? 見たら、だと?」
感情的になって言い返した言葉だったが、思いのほか火楓は真剣に受け止めて先生の死体を眺める。
「…………成程な」
「え? …………何か分かったんですか?」
「……『神話』の入り方は知ってるか?」
「え。『神話』の中身を知って、興味を持つ……でしたよね」
「合ってる。俺達が今いるこの場所も『神話』の世界だ。『オタケビ姫』とやらの神話を知ってお前はここに来たんだろうが、知尋は多分そういうのじゃなしに連れ込まれた」
「そんな事ってあるんですか?」
「知尋はここで死んだんじゃなくて、現実世界の方で殺されかかった所を無理やり連れ出されたんだろうな。見て分かるのはこれくらいか……後は錫花を見つけなきゃ分からない。が、それが出来るのはお前だけだ」
「へ……?」
「さっきも言った通りここは『神話』の世界だ。『オタケビ姫』の望む世界と言ってもいい。何でかこの神社の中だけは安全だが、外に出たらそうもいかない。『神話』を知ってるなら分かるだろう。顔を隠さなきゃいけないんだ。だが顔を隠しておくと自分の名前を忘れて存在を……って、何でこんな事説明させるんだ。もう持ってるじゃないか」
揶揄ったのか? と溜め息を吐く火楓の視線の先には夜枝に預けられた紙人形があった。お腹に俺の名前が書かれており、その筆跡は今は亡き彼女のモノである。
―――もしかして、アイツ。
ここまで見越して、先に渡しておいてくれたのか。にいみやしょうじという言葉をどうも文字として認識出来なくなっていたと思ったが、『新宮硝次』。そうかそれが俺の名前……。
一方で他の人の名前はちゃんと認識出来るから分からなくなるのは飽くまで自分から見た自分の名前なのか。
「…………どうした?」
「……何でもない、です。じゃあ……錫花を探しに行きましょうか。俺も聞きたい事が出来たし、犯人も多分、アイツを探してるから」
「から?」
「先に見つけたら、向こうから勝手に来てくれると思いませんか?」
「…………」
火楓は敢えて何も言わずに、鞄に入れていた般若のお面を俺に渡した。
「俺はこの敷地から出ない。お前が探しに行け」
「何かやりたい事があるんですか?」
「それも合ってるが、せめて死んでる時くらい好きな女の傍に居てやりたいってだけだ。『神話』世界での死が現実と同義かは分からない。特にここは『神』が居た場所だ。お前が『神』を殺すか、呪いを無効化させる事が出来たなら生き返る見込みはある。最初から最後まで騒動の中心に居たのはお前なんだろ。俺が専門家でも、それはお前にしか出来ない事だ」
お面を受け取り、顔に付ける。視界が極端に狭まってまともな視界を確保していない。見えているのは真正面だけだ。
「……俺が錫花を連れて帰ってくるまで、そこにある骨を保存しておいてください。戻ってきたら改めて、埋葬します」
「―――知り合いか?」
「―――――――――」
知らないけれど、知っている。
知らなかったのに、知っていた。
もう二度と会う事のない、彼女の事。
今度こそ忘れたりしないと、心に誓って。
「…………」
落書きみたいな世界を歩いていると、自分の存在もこのふざけた世界のように嘘なんじゃないかと思えてくる。それは得体の知れない不安であり、自分の名前を定期的に見ないとやがて確信に変わる予感があった。
町の様子は意外な事に、元居た世界と全く同じだ。ストリートビューを頑張ってクレヨンや絵の具で描き直したと言えば分かりやすいか。さっきの神社の様に見知らぬ場所が追加されている事を除けば殆ど元の町だ。チープな現実とも言うべきこの世界には、女子の血痕もなければ破壊された形跡もない。
こっちでは隼人の家は燃やされていないし。
先生が車を激突させた家も無事だ。
「…………」
それなら心当たりがある。
元は夜枝が貸した隼人の家―――アイツが死んでからは俺達の集合場所になっていた。道筋が同じなら絶対に辿り着ける。見慣れた家も自由帳のページを張り付けたようなハリボテになっているが、扉としては機能するようだ。
「…………錫花、居るか?」
「…………新宮さんっ?」
丁度、二階から降りてくる所と遭遇した。再会を喜ぶべきなのだろうが諸々の事情から身動きが出来ないでいると、彼女の方から近づいてきて、手を握ってきた。
「無事だったんですね……良かった………」
「錫花。その………………本当はもっとこれ自体について色々聞かないといけない筈なんだけど。その前に…………知りたい事があるんだ」
「………………霧里先輩の事ですか?」
「良く……分かったな?」
こんな所で話すのもなんだから、と彼女に連れられてリビングへ行く。とことんまで再現された空間は机が段ボールで台所が画用紙なのを除けば完璧だ。床の隅っこを見ると塗り残しがあり、真っ白くなっている。子供の落書きに綿密さを求めるのも違うと言えばそうだが。
「ずっと口止めされていたので、言えませんでした。でもそこが発端だともっと早く知っていたら……すみません。言い逃れはしないです。私もまた、霧里先輩と共犯ですから」
「謝罪なんていい。誰が悪いか言い出したらキリがない。それよりもそこだ。夜枝は…………何なんだ? 正体は……普通の人間じゃないんだよな」
「あの人自体は普通の人間ですよ。私も『カシマ様』の時に気づくべきだったんです。神話を知らない人間がどうして干渉されるのか。答えはとても単純な話で、私達が元居た世界もまた『神話』の世界だったんですよ」
「―――は?」
「霧里先輩は貴方に再会したいが為に『オタケビ姫』と接触し、恐らく契約しました。新宮さんが良く知るあの身体は霧里先輩ではなく、元は『オタケビ姫』自体か『オタケビ姫』に捧げられた女の身体です。身体をスワップしたんですよ。それによって起こる不都合も当然あったと思いますが、スワップした身体が現実にあった事で『オタケビ姫』は現実に『神話』で干渉する事が出来た……だから『カシマ様』も干渉出来たんです」
いつもの仮面のせいで表情こそ見えないが、彼女の声は微かに震えていた。次に切り出す言葉を、自分で責めているみたいに。
「だから―――今回の呪いの犯人も、簡単に『契約』出来たんです。神話を知らなくても偶然遭遇するリスクがこの町にはありました…………霧里先輩が、生きていた間は」
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