死に往くものこそ うつくしい
「分からない事がある」
階段を上り切って、拝殿を目の前にした俺達は鳥居を潜る前に足を止めた。
「何ですか?」
「自分で言うのも変だけど、お前は俺の事が……好きだったんだろ。なら初めて会った時、あんな変な性格で対応しなくても良かったと思うんだ。お前が凄いヤバイ奴だと思ってた」
「じゃあ聞きますけど、私がセンパイに従順で、いつも尻尾振ってたら貴方は信用しましたか? あんな事になっちゃって、女性不信だった筈です。そんな時に突然優しい子が現れても信用出来ました? 出来ませんよね? 錫ちゃんを信じたのだってあの子が顔を隠してて命を助けてくれたからだった筈です。先生は……私は良く分からないですけど」
ぐうの音も出ない反論だ。確かにあの時優しくされても猫を被ってるようにしか見えない。どうせ俺の身体目当てだろうと怯えるか全力で逃げた筈だ。発言も行動も実際やばかったが、それでも無理に身体を重ねようとはしなかった。執拗に追い回してくる事もなかったし、他の男子に危害を加えるような真似をしなかった。
隼人に対しては大分グレーだったけど、住居を失った彼に家を与えたのも夜枝だ。錫花が利用している事から、厳密な管理者は水鏡家なのだと思うけど。
「質問がないなら手順通りにお参りしましょうか」
「ま、待てよ。変な挙動はともかくせめてあの時会ってますよねとか言ってくれたら俺は……」
「実際忘れてたじゃないですか。何の意味もない事です。ただ私は貴方と話したくて、困ってる貴方の力になりたくて変な女になっていただけです。嫌われても良かった。変態扱いも構わなかった。貴方と話せれば、傍に居られたらそれで良かったんです。だからほら、今はなんて事ないでしょ?」
手水舎の手順なんて曖昧だけど、夜枝の説明を受けてしっかりと手を清めた。説明するだけで彼女は俺に清めて欲しいようで手を差し出したまま動かない。こういう行為がありかなしかも分からない素人だが、詣でる神社が正常でないから一々気にするのも馬鹿らしいか。
「錫ちゃんと出会ったのは最近の事で、前にも言った通り私の方からは偶然で、彼女の方から会いに来ました。『神様』に接触したからでしょうね。それとも水鏡の血がそんな凄いのかな、あの子は最初から私の正体に気づいてましたよ」
「…………」
「あ、具体的な『神様』の名前までは気付いてなかったと思いますよ。ただ私が変な事には気づいてたってだけで。そこは勘違いしないであげてください! 何がしたいかを私に聞いて、私の望みを聞いてくれてただけです。私が変な女として拒絶されていたら親切な女子であるあの子は受け入れられる筈だって、そこまで読んでました。実際成功しましたよねっ―――まあ、あの子までセンパイ好きになっちゃったのは誤算だったんですけど」
賽銭箱までの僅かな道のり。歩いている内に俺もぼんやりルールを思い出したが、参道は中央を避けて歩くのではなかったか?
「そういうのは、気にしないのか?」
「錫ちゃんいい子だし、センパイがかっこいいのは分かるから好きになっても別に? それにさ、センパイが困ってるこれまでの事件全部。元を辿ると私が悪いの」
「は?」
「私が貴方を好きになったから。貴方の傍に居たいと思ったから。貴方と話したいと思ったから。一年後輩なんて嘘をついてまで、それでも近くにいたかった。知り合いたかった。それが全部間違ってました。センパイ、貴方を困らせる事になるなら私はこんな気持ちを持つべきじゃなかった。央瀬先輩は死んじゃって、貴方の日常を完全に壊してしまいました。許してくれなんて言いません。私にはもう、好きになる資格なんてないと分かってます」
賽銭箱の前に二人で立つ。お金は持っているがお金を入れていいのか悩んでいると不意に夜枝が携帯を構えた。
「ツーショット、しましょうか♪」
「…………何で?」
「デートの思い出は必要じゃないですか!」
多分、この神社について誰よりも詳しいのは彼女だ。拝殿を背景に二人で顔を並べて写真を撮る。カメラに映る夜枝の表情は最初で最期の輝きを、満面の笑みに一筋の涙を流しながら、力強いピースを。そして俺の頬にキスをした。
「えへへ♪ うん、最高の一枚が撮れましたね! 有難うございます、センパイ!」
そう言って夜枝は携帯を賽銭箱の中へ。家から持ってきていた紙人形に俺の名前を書くと、胸に押し付けて来た。
「ちゃんと持っておいてくださいね。失くしたら泣きますよ」
「―――もう泣いてるだろ」
「………………」
夜枝はスケッチブックを賽銭箱の角に置いて、紐を引っ張って鐘を鳴らす。
「やだなあセンパイ! 私が泣いてるなんてそんな嘘! こんなに楽しいのに泣く訳ないじゃないですか! さ、センパイも鳴らしてください! お願いする時間ですよ!」
「―――夜枝! お前何でそこまで本音を隠したがるんだよ。最後のデートって言うなら最後くらい」
「私は何にも隠してませんよ! 最期のデートだからこそ、悔いのないようにしたいんです。辛気臭いの嫌いです。さ、お願いしましょうか! せっかくだから声に出してもいいですよ!」
二拝二拍手一拝。願い事は祈る最中に心の中で行う筈だ。せっかくも何も声になんて出さない。俺は、さっき話した通りの願いを込める。
「センパイが、幸せになれますように…………」
真横で聞こえた祈りの言葉は、さながら祝福。もしくは手向けの言葉。彼女がもう一度鐘を鳴らした瞬間、拝殿の障子が開いて、奥に藁で囲まれた何かが見える。
「さ、センパイ! お先にどうぞ?」
「…………中に、何があるんだ?」
「さあ。それは私にも。でも事件を解決する為のモノです。あの藁に火をつけてみれば分かると思います。それでなんですけど、ついでにこのスケッチブックも燃やしてください。私にはもう、不要ですから!」
「……?」
嫌な予感は、ずっとしている。
だけどここまで来て引き返す事も出来ない。先生の事も錫花の事も探さずここまでやってきたのだ。賽銭箱の上からスケッチブックを取ると、慎重な足取りで拝殿の中へと進んでいく。
藁に遮られて見えなかったが一番奥には祭壇が設置されており、御神体と思わしき場所は空っぽで、供物を置くと思われるスペースには臓腑を引きずり出された湖岸知尋が倒れていた。
「―――先生!?」
正方形の側溝に流血が溜まり、それは物理的な挙動を無視して杯を満たしていく。
「先生! 湖岸先生! しっかりしてください! 先生!」
「――――――」
素人にも分かる出血多量。先生はとうに命を引き取っている。それでもあきらめられなくて声をかけ続けた。この人が死ぬなんてあり得ない。認めたくない。血の気が失せて青白い肌になっても、それでもまだ生きていると信じたかった。
「先生――――――先生――――――――――」
「………………………………火を…………………………………」
「え!?」
それは確かに先生の声だったが、口は動いていない。だが確かに聞こえた。「火を」と。見ると先生の血で満たされた杯がそれに反応して白い灯をともすようになっている。最早杯というよりも燭台みたいだ。
燃やせば助かるのだろうと決めつけて、いやそれしかないと確信した。杯の首を手に取ると、投げつけるように藁の山へ。藁の癖に中々燃え広がらないので夜枝から貰ったスケッチブックを投げ入れると、一転して景気よく焔が広がっていく。
「――――――夜枝?」
動作として、どうしても振り返る事になって気が付いた。賽銭箱の前に立っていた後輩の姿は何処にもない。
「夜枝! 何処だ!」
硝次を両手で掴みながら境内を見回すもその姿は確認出来ない。階段を下りたのかと鳥居の所まで戻ったが、やはりそこには誰も居ないし―――そもそも俺達がやってきた穴が存在しなかった。
「何処だ! 夜枝! 夜枝!」
「 ばいばい せんぱい」
声は、拝殿の方からだ。
踵を返して戻ってくると、藁はすっかり燃え尽きて、割れて中身が飛び出した大きな瓶だけが残っていた。割れ方を見るに瓶に閉じ込められていたのは小学生くらいの子供の白骨死体で、傍にはレンズが割れてフレームの焦げ付いた眼鏡だけが残っている。
「あ……………………………………ああ」
俺の知り合いに眼鏡を掛けている人物は一人も居ない。
居なかった。
居なかったのだ。
「あああ ああ あああああああああ あ あ ああああ あ ああ あ あ ああああああああああああああああああああああああああああああああ あああああ ああああ ああああ ああ ああ あ あ ああああああああああああああああうわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
霧里夜枝という人物はいない。
それは身の丈に合わぬ恋をした少女の。
一歳下と言わず、もっとずっと幼かった少女の初恋が見出した胡蝶の夢。
全ては幻、なのに。
彼女の笑顔が焼き付いて、離れない。
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