あの世の果て 今際の際に恋をした
「神様だけが私の気持ち分かってくれたんです! 私は手を引かれるまま中へ……じゃあ、入ってみましょうか」
「……」
子供の頃は身体が小さかったからこんな犬の専用入り口みたいなトンネルにも平気で潜り込めたが今はどうだ。身体が大きくて、あちこちぶつかる事は入ろうとするまでもなく分かる。
「大丈夫ですよ♪ 神様はセンパイが大好きですから傷つけたりしません」
「男好きなんだろ。聞いたよ。でも何で出会えたかは分からないな。『オタケビ姫』は『神』なんだろ。『カシマさま』だって神話を知らなきゃ干渉出来なかった」
「じゃあセンパイ、『カシマさま』に操られてた子が神話を知ってたって言いたいの?」
「……あんな話聞かされたらいやでも興味を持つって言うか、気になるよな。一方的でも何でも知ってればいいんだから」
「うーん。そうですね。そういう事もあるでしょうね。今は夏ですから怪談話みたいな空気で切り出せるかもしれませんね!」
いまいち着地点の見えない区切り方をして、夜枝は一足早くトンネルの中を進んでいく。彼女が小柄だから出来る事で、俺が入るのはやっぱり無理があるような。それに後輩はスカート姿だから、直ぐに後追いすると中を覗く事になる。
「もう入ってきてもいいですよー。もう私は抜けましたから」
「は!?」
信じられなくて家の玄関から生垣の向こう側へと先回りしてみる。夜枝の姿なんて勿論ないし―――そもそも穴が、内側から見ると存在しない。
「え!?」
もう一度道路側へ戻ってみると、トンネルの中から夜枝がひらひらと小さな手を振って待っていた。
「ほら、こっちに来てください。はーやーくっ」
「…………」
アスファルトに跪いて、覗き込むと、中は暗くて先を見通せない。俺が見ようとしたら手は直ぐに引っ込んだが夜枝は何処から手を出していたのだろう。やっぱり肩幅がつっかえて入らないと思いつつも、入るしかないのだろうと腹をくくって身体を突っ込んでみる。
―――気味の悪い感覚だ。
子供の頃はこんな感覚あったっけと疑問に思っている。まるであちこち身体を触られているようにくすぐったい。頭に始まり、顔の輪郭を撫でるように、首から肩へと流れて胸をなぞり、臍から腰、腰から臀部、臀部から局部、局部から足。これが流水であってもまあまあ不愉快な感触なのに、どう考えても手足の肉質が動いているので不気味だ。
「夜枝? 何処だ?」
「先に進んでください。待ってますよー」
物理的にこんな真昼間に暗くなる景色が物理的にあり得るのだろうか。このトンネルは所詮生垣の隙間から産まれただけの抜け道だ。日光が外から漏れてもおかしくないのに、一切の光が届かないなんて。
不安な俺をそれでも突き動かしたのは、夜枝の自分語りだ。内容がどうという事ではなくて、近くで話してくれているという事が、心強かった。
「私は将来の心配をしている様で私をこれっぽっちも見てくれない両親より、無責任で自堕落な神様の方が好きでした。私が恋をしたなんて言って、両親は認めてくれなかったでしょう。話しても分かりません。成績の悪い私に自由なんてなかったんです」
「知らない人にはついていくなって教わらなかったのか?」
「知らない神様についていくなとは教わってませんよ……屁理屈ですね。じゃあもっと単純に言います。嫌いな人の言う事聞く訳ないじゃないですか」
それもそうだ。俺も女子の言う事なんて基本的には聞かないというか、従わざるを得ないような状況に置かれても尚反抗しようとした。先生にしろ隼人にしろ錫花にしろ、信用出来る人間ばかりいてくれたのは幸いだ。世の中にはどうしても割り切れない事だってあるだろう。
言う事なんて聞きたくないがそいつの言う事は絶対に正しいから聞くべきだと弾圧されたり。
言う事を聞かないとみんなが不幸になるから聞くべきであったり。
他人を助ける為だと思って取り敢えず従って欲しいと言われたり。
そういう状況に置かれていない分、まだマシな方だ俺は。
トンネルはまだ続く。小さな通路に見合わぬ長さと気味の悪い感触は終わらない。いっそ戻りたい気持ちにもなったが、夜枝の会話に耳を傾けている内は、そんな雑念も捨てられた。
「私は貴方とこれから交わる事のない運命を知っていました。両親が居る限りどうしようもない、両親が居なくなっても小さな子供だった私には何も出来ない。当時、名前すら知らなかった貴方へ辿り着く方法はありませんでした。男好きの神様がこの世で最も好きな感情は知っていますか?」
「…………劣情?」
「初恋です。初めてだからこその特別な気持ち。そして多くは続かない儚さが好きなんですって。神様にはもうそんな感情は残ってないから、そんな私達が羨ましいから、彼女は男性を虜にするんです。いつかきっと、自分が夢中になる男性が現れる事を祈って」
「言ってる意味が良く分からないぞ。初恋は初めての恋って意味だ。次があるなんてあり得ない」
「だから終わらないんじゃないんですか? もう手に入らない物を求めるってロマンがありますよね!」
身体中を触られているような感覚が離れていくにつれて出口の光が近づいてくる。何分地面を這っていたのだろう。光に向かって勢いよく頭を突き出すと、夜枝が笑顔で手を出して俺を待っていた。
「遅かったですね♪」
「…………ここは」
鮮明な記憶が。思い出せなかった事が嘘のように流れ込んでくる。そうだ、当時俺達は言葉を失ったのだ。町に見合わぬ大きな鳥居、不相応に広い敷地とあまりに大きすぎる拝殿。
こんな田舎に存在するには目立ちすぎる神社がそこにはあって。
「はい。今のセンパイなら分かりますよね? ここが何処なのか」
「…………もう一つの、『神話』世界」
昔は気付かなかったが、今なら様子がおかしい事に気が付ける。空は全体的にクレヨンの青色を使ったように拙くて、雲はパンのようにふわふわした線で書かれている。俺達は穴を通ってここにやってきたが神社には別の場所に入り口があって、そこから見る街並みは、いずれも落書きのようだった。
この神社を除く全てに現実感がない。
また、思い出した。揺葉が珍しく怖がって神社の外から出ようとしなかったのだ。だからここを一通り調べたらすぐに帰った。楽して入り口から出ようとした俺を引っ張ってまでアイツはあそこから出ようとした。当時はその意味が分からなかったけど、今は理解出来る。
牧歌的、或いは絵本のようなこの世界には現実味がなくて、それが何より不気味なのだ。本当の意味で何が起こるか分からない。文字通り別世界に迷い込んでしまったような感覚。
穴からそこへ行ってしまった俺達はいわば招かれざる客であり、ここを離れても入り口が残っている保証がない。だから敷地内から出たがらなかったのだ。
―――しかし、広いな。
夜枝に手を繋がれて、さながら初詣にやってきたようだ。彼女は脇目もふらず正面の階段を上がって、拝殿へと進んでいく。俺達が通過する度に、横の灯篭に白い灯が灯った。
「貴方の願い事はなんですか?」
「……?」
「叶えたい夢はありますか?」
「…………叶えてくれるんだとしたら、さっさとこの騒動を終わらせたいよ。それで……出来れば隼人の墓参りに行きたいな。こんな事件に巻き込みやがった奴を殺してから……ケジメとして行きたいな」
「他には?」
「平和になったら……学校どうなるんだろうな。もう死に過ぎたから駄目か? 今度こそ旅行とか行きたいよな。みんなで。勿論、お前も一緒にさ」
「…………私の夢は、丁度今叶ってますよ! 貴方とこうして神社に詣でたかったんです! 初詣という時期でもないですけど、一年の最初を好きな人と過ごすって何だかロマンがありますよね!」
階段を上っていく夜枝の表情は清々しく、どうにも俺にはそれが引っかかった。
「生まれてから一度もこんな場所に来た事無くて―――ずばりデートとしては、ここに行ってみたかったんです。良かったら一緒にお参りしてください! それで私の願いは御終いですから!」
繋いだ手は高く、遠く。
夜枝はこちらに見えないよう顔だけを背けて、声だけ笑っていた。
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