空白の中で推してしるべし
死体があるのは普通だった。誰かが殺されてその死体を見る事に抵抗はあったが、それ自体はもう、自分でもどうかというくらい慣れてしまった。いや、慣れないといけなかった。一々失禁して、発狂して、そんな事では命が持たない。持たなかった。弱い人間のままでは狂った女子の餌食となっていたか、もしくは何処かで自殺していた。
男も女も等しく死ぬようになって間もない頃。死体がない事は健全でありながら間違いなく不自然であった。
しかもお店の中というのがあまりにもきな臭い。ここは多かれ少なかれお客さんや店員が居る。そこは休業日でもない限り一切の例外はない。車だって駐車場には停まっていた。それを気のせいだと言い張るなら今すぐ硝子越しに確認してもいい。やっぱりある。
「夜枝。ちょっと店内を見て回ってくれないか? 事務室の方も頼む。死体が一個でもあればまだいいんだ」
「まさか生存者じゃなくて死体の方を探す事になるとはね。でもいいんですか? あの男の子に内緒でやるなんて」
「内緒のつもりはないけど……ただ、彼は何かを知っているんじゃないかとは思ってるよ。だって俺達と違ってずっとこの町に居たんだ。異変には人一倍敏感な筈。そんな彼が突っ込みもしないって事は、だいぶ前からここはもぬけの殻だったか、もしくは何か別の事情があるかだ」
「別の事情って?」
「それは分からないけどな。それとなくお会計でもしながら聞くつもりだ。お前はとにかく探ってくれ。出来ればバレないようにな」
かつては夜枝を信用出来ないと言ったその口で、俺は彼女を信用している。現状で『オタケビ姫』を詳しく知る当事者である以上この信じ方は危険かもしれないが―――途端に危険性が明らかになっただけで極論気味に拒絶する様な人間は人としてどうかと思う。
隣の商品棚で移動したのを見届けると、俺はわざと直ぐに嵩張るようにお弁当を積んでレジへ向かう。俺に潔癖のイメージはないだろうから、まあ怪しまれる事はない筈だ。実際、違う。
「うわあ僕が言うのもあれですけど随分積みましたね。何日分すか?」
「適当に欲しいモン入れたんだから聞かないでくれよな。お前が姉の分もと行ったんだし往復一回じゃ済まないぞ。取り敢えず会計してくれ」
「僕がバイトしてて良かったすね~使い方が分かる上にスムーズで。まあここじゃないですけど、会計なんてどこも似たようなもんですから」
「働いてたのか!? その格好で!?」
「いや女装はしてないっすね流石に。それじゃ姉ちゃんの代わりで働いてるみたいですけど、姉ちゃんにそんな社会性ないし」
弟ながら酷い言い草だ。働いているのは本当かもしれないが、それにしては動きがぎこちない気もするので少なくともレジ係ではないだろう。考えられるのはサービスカウンターに立っていて横から仕事を見ていたとか。
「釣りは結構っすね」
「俺が言うセリフ。この世界が元に戻ったらややこしくなるからちゃんと合わせろ。金額出るだろ」
「うっわだる。居ても敵だっただろうけど店員が一人くらい居たら楽なんすけどね。現実は上手くいかないなあ」
会話の自然な流れを意識しようとするなら、思いがけない幸運さえもつかみ取る必要がある。語るに落ちるとも言うように、相手から話を振ってきたならそれに全力で乗ればまず怪しまれる事がない。だって相手が自分から言い出した事だ。
「そう言えば店員の姿が一人も見えないな。死体すらない。ラッキーだと思ってたけどこの状況なら不自然すぎる。水季君は何か知らないのか?」
「僕が知ってたら色々言うと思いません? 誰かが掃除したんじゃないんですか?」
「その掃除をする意味が全体的に存在しないだろ。もう誰もが死んでもおかしくないんだ。商品が綺麗サッパリ残ってるのに人は空っぽなんて馬鹿げてる。仮に死体がなくても誰か一人くらい火事場泥棒を仕掛けるんじゃないか?」
「確かに。そう言われると僕も気になって来ましたけど、でもここについて調べても問題は解決しないと思うんですよね」
彼の言い分には一理ある。このお店の謎について分かっても『オタケビ姫』に近づける事はないだろう。しかし気になるモノは気になる。もしかしたら認識出来ていないだけで『オタケビ姫』の意識が女子全体の狂気をコントロールしている可能性だって考えられるのではないだろうか。
俺が難しい顔をして首を捻っていると、水季君は仕方なしに微笑んで会計済の商品をまとめた。
「こんな状態だし無理もないかもすけど、あんまり複雑に話を考えるのも良くないと思いますよ」
「もう一往復だな。夜枝の奴も手伝ってくれりゃいいが」
適当なぼやきを聞こえるように言いながら彼の視線を切るように違う商品棚へとカートを滑らせる。従業員用の出入り口は鮮魚コーナーの隣だ。出来るだけそちらに近い方が合流もしやすいか。
「センパイ、こっちこっち」
カートを見て判断したのだろう。夜枝がフライング気味に俺を呼んでその場で手招きしていた。出入口のドアがスイングしている事から、彼女も今しがた出て来たばかりだと分かる。
「どうだった?」
「死体、無かったですよ」
「はあ? 血痕とか肉片とか何でもいいけど、そういうのもか」
「顕微鏡で観察するとかルミノール反応とか見たら分からないですけど、肉眼じゃ確認出来なかったですね。うーん。これってどういう状況が考えられますかね? ちょっと想像も出来ないっていうか……」
手を動かして適当に調味料をカートに詰めながら夜枝は考え込んでいる。発言に間延びした音が多くてあまり意味を紡がないのは思考配分が傾いている証拠だ。
―――どういう場合かって?
誰かが死ぬのは当たり前になってしまい、それは俺達の認識を平然と塗り潰した。死んで当たり前、死ななければ奇跡。女性は無法の限りを尽くし、男性はひたすらその悪逆を浴びせかけられる。今では性別の垣根を超えたバトルロイヤルが始まっているそうだが、だとしても塗り替えられた大前提は覆らない。
誰の何の以降もなければ不特定多数の個々人の意思がこの状況を認めないだろう。
人もいない。死体もない。お店も荒らされていない。
「……連れ去ったとか?」
「はい?」
「ハーメルンの笛吹きみたいな感じだよ。誰かが大勢を連れて行ったならこの状況は説明がつく。向こうの細かい状況は覚えてるか? 傘立ての傘とか、靴とか。惣菜の人間は靴を履き替えると思うが」
「あー言われてみると……靴は色んな靴がありましたかね……ブーツとかは流石に仕事で使わないと思うし、私靴と考えたら履き替える事もなくお店を出て行ったって言えますね。ただ傘は全く無かったと思いますよ」
「全くなかったのか? それも中々珍しいと思うけどな……確かに今年は雨が少ないけどない訳じゃなかった。その過程で誰か一本くらい忘れそうなモンだ。私物だけならともかくビニール傘なんてすぐ買えるからって雑に扱う奴もいるだろうに」
「ロッカーは開けられる場所と開けられない場所がありましたね。開けられる場所には色んな人の私物がありましたよ」
―――やっぱり連れ去ったのか?
自分の意思、という建前の強制力で全員連行されたと考えれば説明出来るが、何の為に? 誰が? どうやって?
「…………センパイ?」
「何か気づけそうな気がする。夜枝、悪いが今度は俺が裏に行きたい。あの様子じゃ裏を全部見てきたんじゃないんだろ? だったら残った場所を俺が調べるよ。時間稼ぎは任せていいか?」
掌を構えると、夜枝は見覚えのある表情で嬉しそうにハイタッチをした。
「任せて!」
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