とある恋のハジマリ
「……………ん…………んん」
目が覚めると、見覚えのあるガスマスクと零れ落ちんばかりの豊満なバストが目に入った。真下から見上げているので仕方ない。素顔は見た事なくてもそれだけで錫花と分かる。誇れるような事でもないが、彼女の身体にどれだけ魅了されていたと思う。
「…………新宮さん?」
「錫花…………だよ、な。俺、刺されて…………あれ」
お腹を触るが、あの温い感覚は何処にもなくなってしまった。身体を起こして周囲を見回す。廃墟の手前の草むらに横たわっていたようだ。周囲には錫花と―――少し離れた所から揺葉がこちらを見ている。
「…………全然分からん。そうだ、冬癒は!? そうだよ錫花、冬癒が俺の所に来たんだ! それで―――」
「……何を言っているんですか? 冬癒ちゃんはずっと私達の所に居ましたよ」
「な、え。じゃああれは―――」
「偽物よ偽物。あー心配して損した!」
わざとらしく大きな声をあげながら揺葉が近寄ってくる。こういう言い方はまるで俺が思春期真っ只中だが、異性として意識している女子が二人も居て、どちらも胸が大きいとなると目のやり場に非常に困る。その場にしゃがむ錫花はまだしも揺葉なんて歩く度にぶるんぶるんとビキニが揺れて。
―――意外と余裕あるな、俺。
しかしそれも否定できない。傷なんて何処にもないし、あれだけ走り回った筈が疲れていない。本当にただ一瞬だけ気絶していたみたいで。というか全てが胡蝶の夢のようで。もしもこの場に揺葉が居なかったら全部幻覚で済ませていたかもしれない。
彼女と合流するにはどうあってもあの出来事が必要だった。だから夢ではない。
「アンタの妹はあの時点で偽物だったの。分かる?」
「…………じゃあ手首も嘘、か?」
「あー…………それねー。私もそんな断言出来ないけど部分的に本当かも……って感じかな」
「どういう事だよ」
アンタと別れた後に柳馬さんに助けてもらって聞いたのよ。もし偽物だった場合も手首は持っていくべきだったのかどうかって。そしたら偽物の手首を現実に持ち出したらアンタを介して本物に呪いを掛けるだろうからやめた方がいいってね。アンタ今は持ってないんでしょ? って事は私の予感は当たったって訳」
二人の手を借りて立ち上がる。怪我をしていないので大袈裟な処置だったが錫花が珍しく頑固になって譲らなかったのでお言葉に甘えた。二人の肩に手を回したまま夜枝達が待つ海岸へと向かう。
やっぱりこんな重傷者みたいな扱いは大袈裟だと思う。
「―――するとお前は、最初から偽物だって思ってたのか?」
「私からアンタの動きは見えてたのにあの子の姿は見えてなかったし、あの子もアンタの背中を追いかけてたはずなのに見失ったとか訳分かんない事言ってるから当然でしょ。ただあの時の硝次君に言っても私の信用が消えるだけだろうし、確信があった訳でもないから言わなかっただけ。鳳鳳先生や柳馬さんみたいに博識じゃないからさ、お互い。博打だったのよね」
「あの人達は大丈夫なのかな……」
「怒らせたのはアンタだけみたいだし、問題ないでしょ。もう外よ? それよりも自分の心配したら? 他人の心配ばっかりして、そういう所好きだけど、今は命取りになるわよ」
「いや、俺はもうごらんの通りの健康体でございまして……」
この二人には何が視えているのだろうとさえ思っている。錫花も黙って足を進めていた。どうして妙に空気が重いのかと思っていたがようやく分かった。いやはや、分からなかった俺が悪い。
揺葉と俺には面識がある。
錫花と俺には面識がある。
だがお互いに面識はない。所謂友達の友達状態で、話が盛り上がる道理はない。俺から繋げてやらないと。
「二人はもう話したのか?」
「いえ」
「硝次君、私これでも部外者だから、説明するならあっちについてからでいいでしょ。一応、アンタが町に戻る時にはまた別れるけど、それまでは一緒に居るつもりだから」
「…………お前は何か悪い事した訳じゃないだろ。帰る時くらい一緒に」
「隼人君の呪いを奪った奴は私の存在に絶対気づいてないと思うから、そのアドバンテージは捨てないわ。向こう戻ったら連絡はいつも通り携帯でね。姿を現すタイミングはこっちで決めるから」
揺葉が怒っている事に気づいたのはこの時だ。言葉が心なしか強い圧を持ち、その瞳は何処か、姿形の知れぬ犯人へと向けられている。自分で言うと変だが、俺が好きだから、結果的に俺を困らせた奴に対して怒りを向けているのかもしれない……ほんと、こういう言い方はナルシストみたいで嫌いだ。だが揺葉の気持ちを否定するのはそれ以上に男としてどうかと思う。
「…………それに、隼人君を殺したあの町でアンタと一緒に居たら、なんか呪われる気がする。だから、それが叶う日は全部終わった時かな」
「央瀬さんを殺した……?」
「それも後で説明するわ、錫花って言ったっけ、アンタは硝次君の事が好きなの?」
「……………………はい」
言葉に詰まったような逡巡もしくは乙女の恥じらい。空気に紛れそうな声は確かに肯定を意味していた。
「そっか。は~こういうのが嫌だったのよ。アンタの良さに気づいてるのは私だけで良かったのに……ね、硝次君?」
「お、俺にどう答えて欲しいんだよ!」
厳密には一人違うけれど、在りし日のようにけらけらと笑いあってみる。恋心を知られてもそれはそれでと俺を揶揄う。朱識揺葉はそういう女子だ。呪いとか関係なしに俺は好きで、一緒に居ると楽しい。
『君が隣町に留まっていたからまだ君にちょっかいを掛ければ女子的には無事で済んだんだ。だが君が居なくなったら後はおかしくなる一方。対価だけが支払われる。俺にここまで聞くんだから止めようと思ってるんだろうが……覚悟した方がいいぞ。戻ったら地獄が待ってる』
ほんの少しだけ、楽しむ事を赦してくれ。
どうも向こうと現実とでは時間の流れ方が違うらしく、俺は八時間程留守にしたつもりだが夜枝の反応を見るに実際は二時間程度だったらしい。「遅いです!」と怒られたが、無事に帰って来た事には先生諸共喜んでいた。
「冬癒! 大丈夫か!?」
「何が?」
冬癒はやっぱり無事だった。揺葉や向坂さんを疑ったのではない。事情を何も知らずちゃんと待っていたはずなのにしきりに手首を気にするように擦っているからどうしても無視できなかったのだ。
指摘すると本人も気づいておらず、直ぐにやめた。
「それじゃあセンパイも帰ってきてくれたし改めて花火っちゃいましょ~!」
水着の上から白いパーカーを着た夜枝が指に花火を挟みながらぴょんぴょん跳ねる。線香花火は静かな趣がある筈だが彼女はそうではないらしい。一本一本渡されて、俺達は思い思いの場所で花火を散らした。
「本当は浴衣姿でやりたいですけど、しょうがないですよね。そんな場合じゃないんですから」
「火傷しないで下さいね。新宮さん」
同じように上からパーカーを着た錫花に注意され、花火を遠くへ追いやる。まるで自分達は安全かのような言い方だが、上を防御しているだけで下はビキニパンツのままだ。
だが砂で壁を高低差を作っており、火が届く可能性は低い。あまりにも万全な安全策に声が出ない。
「これ、私も参加していい訳? 硝次君はともかく貴方達は聞きたい事があるんじゃ」
「そんなの後々です。どうせ帰ったら事件解決まで楽しめないじゃないですか」
「早く解決しないと被害は広がるかもしれないが、新宮硝次君はそもそも何も悪くない筈だっていうのが彼女の見解でね。悪いが理解してやってくれ。思い出が欲しいのさ」
まだ三人には俺が向坂さんから聞いた事は話していない。だが専門家の錫花が居る以上は、あの状況を放置して他所に遊びに行く事にどんなリスクがあるか分からない訳ではないらしい。
仮に今すぐ戻った所で手遅れは手遅れ。俺は決して救世主ではないし、そもそも今回の遠出だって無意味に遊びたかったからではない。向坂さんには言わなかっただけでちゃんと収穫はあった。
花火が終わったら話すつもりだ。身体に疲労が残っていないのはきっとこの時の為だと信じて。
線香花火の飛散が小さくなって、光は潰れるように消えていく。
始まってみれば夜枝も静かに、ただ儚い火花を眺めていた。目を伏せ呼吸を静かに、思う所があるように口を噤んで。
「来年も来よう。必ず。呪いを終わらせて、生きてさ。今度は揺葉も一緒に」
「―――へっ。簡単に言うじゃん。一体どんな奴がこの呪いに関わってるかも分かってないんでしょ?」
「いや、向坂さんが知ってたよ。『オタケビ姫』だっけか。呪いにそいつが絡んでるみたいな話を聞いた」
「え」
夜枝がにわかに花火を落としたかと思うと、俺の方を見て瞬きを繰り返している。恐怖で顔を引き攣らせ、それとは矛盾して口元に笑みを浮かべる夜枝の表情は人間的ではなく、見覚えがあるとは言い難い。
「知ってます。それ」
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