未来からの葬送

 この手首が本当に冬癒の物かは分からないが、手首を着られたのはアイツだけなので間違いないという理屈にはいくつもの穴がある。けれどいいじゃないか、希望を持っても。今まで頼れる人に助けられてどうにかやってきて、それでも冬癒に関連する物は一切見つからなかった。

 ようやく見つけられたのだから、精神的な安定を取り戻す為にも喜んでおきたい。『信じた方と逆』という言葉も、具体的に何が逆になりうるのかが曖昧だから盲目的に信じるのはちょっと自分自身の本能が許さない。まるで今までの人生経験を否定されているようではないか。

「良かった…………本当に………ううぅ……!」

 男の啜り泣きはなんてみっともないのだろう。自分が一番そう思っている。でもこれが、これを探していたのだ。泣くのがみっともないという話なら冬癒と二度と出会えないまま脱出出来てしまう方はなんといえばいい? 泣く事すら出来ないし取り返しも付かない。そうなるくらいだったら今の方がずっとマシだ。

「……大丈夫? 取り敢えず外に出ましょうか。手首素手で持つのもアレでしょ。エントランスは安全っぽいし。立てる?」

「ぐす……すん…………うん」

 揺葉が肩に手を回して無理のない歩きで俺の背中を押してくれる。親友は徹頭徹尾トイレでの奇行に難色を示していたが俺の行動については何も言わない。こういう所が昔から好きだった。

「ちょっとタオルとかないのかしら。廃墟だから探しても無駄? でもこっちは綺麗だしあるかもね。ちょっと探すから待ってて」

「ないと思うぞ。俺の方は無かったし」

「『反対の方を信じろ』なんでしょ? そっちになかったならこっちにあるって思ってもいいんじゃない? 探す価値くらいはあるでしょ」

 綺麗なタオルなんて見つかったらむしろそっちの方が怖いと思うが。鏡の中の何が恐ろしいって、こんな綺麗なのに電気が通ってなくて人っ子一人見当たらない事だ。物が何もない真っ白い密室が怖いように、情報が無さすぎる空間も考え物だ。未知は恐怖であるなら、知るべき知がないのもまた恐怖。知らないのも知りようがないのも、同じ『未だ知らず』である事には変わらない。

「タオルはないけど見つけて来たわよ」

「はやっ。うっそマジで?」

 そんな俺のネガティブな仮説を覆すように揺葉は一分で戻って来た。タオルではないのに戻ってくるとは思わなかったが、差し出された布切れを見て直ぐに察しがついた。

 死体が着ていた服を千切って持ってきたのだ。確かに手首を保護するのには使えるが、自分から言い出したのにタオル捜索を諦めるのが早すぎる。諦めるより前に思いついたのかもしれないが、何というか、切り替え方がスムーズで怖い。

「有難う……包むか」

「悪いけどそれは自分でやって。トイレから出て来た身体の一部とか触れないから」

「その割には、そこに突っ込んだ俺の手には触ってたような」

「アンタは別。好きだから」

 日常生活で聞いたら照れて会話どころじゃなくなるような発言も今はそんな場合じゃないと分かっている。今度は冬癒本人を見つける番だ。何処にいるかなんて分からないが、鏡の外で行った場所へ向かえば何か分かるのではないだろうか。


 ―――覚えてるよな。


 ほんの数時間前の事だろう。忘れている訳がない。そう、エントランスから冬癒っぽい後ろ姿を見かけて階段を上ったのだ。今度はその姿もないが、あったとしても慌てる必要はない。あれはどれだけ追いかけても時間の無駄だった。

 過去の映像を想起しながら階段を上っていく。具体的にどれだけ上ったかは覚えていないがそもそも向こう側と同じなら幾ら上っても意味がない。無我夢中で上ったのは覚えているし、それが明らかにホテルの階層と合わなかった事だけは覚えてる。

 後は赤いワンピースの女性が居た部屋を見つければ……

「明るいと分からないな。違う部屋見てるみたいだ」

「一階だけ暗いのは何でだろ……あ、何処の部屋に入るにも死体から鍵を探さないと駄目だからね。ほら、鍵かかってるでしょ」

「う……手分けして探すか……? 死体偽装の化け物を見分ける方法は?」

「ないけどなんか壊れた救急車のサイレンみたいな唸り声がするから、それが聞こえたらどの死体からも離れた方がいいわ。取り敢えず避難場所を決めておきましょう。お互いの部屋の距離が遠ければどっちか逃げられるし。死体探りは私に任せて」

「……手首触るのは嫌なのに死体触るのはオーケーなんだな」

「何処にも入れないんじゃ仕方ないでしょ。それともアンタが鍵かかった扉を漫画みたいに蹴り開けられるの?」

「うーん」

 無意識の行動は思い出しにくい。あの人が居る部屋は何処だっただろう。死体の鍵隠しがなくても思い出しにくい。電気が点いているなら別世界だ。何処だったか……都合よく思い出せる事もない。

 試しに近くのドアを蹴ってみると、手応えのある揺れ方をした。

「…………あれ」

 もう一度蹴ってみる。手応えしかない。このまま繰り返したら本当に開くのではないだろうか。

「ちょっとー! マジで試してんの? 時間の無駄だからやめときなって」

「いや、開けそうなんだよ。ちょっと試してみる」

 扉を崩すというよりは鍵を壊して開くイメージ。押しのけるように足に力を込めて向こう側へ。びくともしなければ俺だって諦める。でも蹴る度に開きそうではないか。これは繰り返すしかない。

「お、お、お。壊れるぞこれ! なあ揺葉! 壊れるって!」

「本当に? それドアチェーンがついてるだけじゃないの?」

「ドアチェーンなんてないだろこのホテル。ほら見ろってもうすぐ開―――」

 次の蹴りの手ごたえが無くなった。

 扉が固くなったのではなく、それ自体の感触が無くなった。余所見をしていたので空ぶったのだが、扉は外開きの筈が内側へ開き、眩しい程の光源に晒された廊下から一転、真っ黒い空間が俺を見つめている。

「―――え、開いたの?」

「――――――」

「おーい、硝次君?」

「―――――――」






 身体が動かない。






 声も出ない、身体も自由が利かない。助けを求めようにも揺葉の方へ視線が動かない。何者かに支配された身体はゆっくり部屋の中へと入っていき、暗闇の中へと呑み込まれていく。

「――――――」

「ちょっと!? え、待ってよ硝次君! ねえ」

 光が差し込まない。部屋の奥には壁があると思われたが、黒く塗りつぶされて奥行きが不明だ。身体が部屋の中心に入ったと同時に体の自由を取り戻したが、それとほぼ同時に内開きになっていた扉がバタンと閉まった。

「ちょ―――揺葉! 助けて!」

「はあ!? アンタ自分で入った癖に! ていうか開けなさいよ!」

「身体が勝手に入ったんだよ! か、か、身体が俺のせいじゃない! 違うんだって! くそ! 違う、こんなつもりじゃなかった!」

 扉を蹴る音が聞こえるものの、俺の時と違ってびくともしない。

「鍵! 鍵を探せ! 多分それで開くから!」

「都合悪すぎ! ていうかルールくらい統一しなさいよ! 何でこんな……アンタはオッケーで私は駄目って何!? 死ぬのやめてよ! そこに居てね!?」



 うーうぅ~ぅう~うううぅ~うううう~。



 音量の目盛りを常に弄っているような不安定なサイレンもというめき声。掠れた喉から出た声に黒板の引っ掻きを足したような不愉快な音。

「…………やっば」

「…………逃げろ揺葉! 俺はいいから!」

 

 …………反応が消える。


「おい、揺葉! え、逃げたのか? おい、おーい!」

 今度はこちら側から扉を叩いてみる。後ろには何があるか分からないので決して振り返らない。多分どんな事があってもする気はなかった。扉に張り付いたまま何度も拳で叩いて確認するも、彼女の反応はついぞ帰ってこなくなった。

「―――クソ、開けろ! せめて確認させろよ! 逃げたかどうかを! クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ!」

 極限状態における恐怖は焦燥と苛立ちに変わる。扉に当たっても仕方ないのに何度も何度も身体を叩きつけて部屋から出ようと努力した。果たしてそんな空しい努力が通じたのか、突然扉はすんなりと開き、本来通り外開きで廊下の景色を映し出した。

 目の前には冬癒。顔が裂けて口が。











「ムカエニキタヨ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る