真贋相まみえる
部屋を出ると、死体の数に変化が起きていた。気のせいと捉えるには扉の前に律儀に置かれていたので無理がある。幾ら俺でも規則的に並んでいた物体に突然歯抜けが生じたら分かるのだ。
「あ、やっぱりまだ居たのね」
「何の話だ?」
「死体の皮被った化け物が歩いてるみたいなの。足が速いからまず逃げられない。扉は開けられないから部屋に逃げ込めば回避は出来るけど、この世界って別にゲームじゃないから待ち伏せされないなんて考えは捨ててね」
「……どうやって出るんだよ」
「出られないけど」
「は?」
「他にターゲットが居るか、部屋同士が繋がってるかすれば逃げられるけど、密室なら終わり。だから私達的には他に迷い込んでる人が居た方が都合が良いかもね。そういう意味じゃ雫さんが居てくれるだけでまだ逃げられる可能性はあるか」
俺と比べると流石に肝が据わっているが、向坂さん程余裕はない。顔は強張っているし視線はあちこちに散って一定しない。成程、こういう場所はダイレクトに経験が物を言うらしい。化け物と聞いて縮み上がり揺葉の手を強く握る俺が言うのも何だか。見下しているつもりはない。それを言い出したら俺が一番下になる。
「因みに一個確認しときたいんだけど、アンタ、見ず知らずの人も助けるクチ?」
「……そんな余裕が俺達にあるのか!? 冬癒でさえ助かるかどうかも分からないのに! 助ける方法が検討も付かない内は何もしねえよ!」
「……あっそ。出来れば一人もいない事を祈るわ」
一先ず冬癒が最優先。もし他に人が居てその時助ける方法が明確なら助ける。これは別に親切ではない。ただ単に助けないのは脱出した後に気分が悪い。自分が悪者になるのを避けたいだけだ。方法も曖昧なのに助けに行くのは自殺行為。川でおぼれた人間を体一つで助けに向かうようなものだ。
死体の並ぶ廊下を抜けて一先ずエントランスへと向かう。鏡の世界と言えども同じホテルだ。何処へアクセスするにも一番近いのはあそこになる。要領は同じで見知らぬ場所に来た訳ではない。階段が続かなくなるまで下りようと勢いよく足をかけた瞬間、下の階の異様な暗さに思わず足が止まってしまった。勢いが殺しきれず、危うい足取りで踊り場まで下りてしまう。
「とっとっと…………え?」
上の階との光度の違いに混乱している。死体さえなければ元の場所に帰ったかと思うような明るさと比較すると、下は停電しているような暗さだ。その癖床や天井は新築かというくらい綺麗で不自然に汚れも誇りもない。これはこれで不気味だ。何か居たらそれがもうおかしいというくらい、ここには存在してからの年季がなかった。
「揺葉。お前下行ったか?」
踊り場に留まって親友の意見を待っている。彼女が覗き込んでノータイムで頭を振った。
「元々下に居たのよ。エレベーターが落ちたでしょ? ……これは知らない。私がアンタ待ってる間に変わっちゃったかな」
「そんな事ってあるのか?」
「私に聞かないでよ。噂が定着しないから知らないって言ってるでしょ」
「……」
向坂さんは質問をしたらそれだけ答えが返って来ただけにもどかしくなった。知らないのは怖い。何をすればいいか分からない。彼はここがホテルだと言ったが、鏡の中の世界も同じだとするなら……どうなるのだろう。
かなり怖いが、行かないという選択肢はない。二人分のライトで出来るだけの視界を確保しながら一階へ降りてみる。二階とはまるで正反対。綺麗過ぎてやっぱり廃墟という印象からはかけ離れている。
「揺葉。これって声……抑えた方が良いか?」
「…………どうだろ。でも呼び寄せる声には注意ね」
それは大体罠だからと有識者からのアドバイスには従う。声を潜めて姿だけで雫という女性を探さないといけないのか。冬癒の声が聞こえたら冷静で居られる自信がない。
「最初、気づいたらここに居たのよね。ほら、エレベーターが落ちてる」
「…………電源がな」
ここだけが不自然に起動していたらそれはそれで恐ろしかったが、自動ドアが閉じているのでここが同じように落下したかは不明だ。揺葉を疑う訳ではないけど、あんまりにも綺麗だからどうしても信じられない。
暗闇に視界を制限されているから正確な事は言えないが、大まかにはやはり俺の知る廃墟と同じだ。鏡の世界というだけあって物や扉の配置が左右反転している。それ以外は……静かにしていると足音が聞こえるだけで特に何もない。
「そう言えば、漫画で見た知識なんだけど、足音でその人の身長とか体重が大体分かるみたいな話があるんだよ」
「で?」
「この足音、雫さんか冬癒のどっちかじゃないかなって思うんだけど、聞き分けられないか?」
「無茶言わないでよ。その怪しい知識が合ってたとしてもんな技術ないわ」
駄目で元々な提案だったが、彼女に呆れられている内にふと思いついた事があった。正しいかどうかは分からないが、試す価値はあるだろう。発端は揺葉との再会時、指輪と指が合流した瞬間消えた事だ。
俺が向こう側の世界で会ったあの女性は『指』を探していた。鏡の世界に残っていた『指』と作用したのなら、そういう関連性を探るのが実は大事ではないかと。最悪冬癒本人が見つからなくてもまずは手首を見つけたい。根拠なしの仮定でも試してみた方が良いだろう。
揺葉を連れてカウンターの奥へ。左右反転していようと中身は変わらないと思って確認してみれば―――案の定、トイレだった。
「え、構造どうなってんの?」
「…………一番奥、だったよな」
「何が」
「お前と分断された後に結構情けなく探し回ってさ。そしたらこっちに入って……酷い目に遭った」
指と指輪はきっとお互い探していて、それがたまたま所有者同士で利用されたからああいう結末になったと考えている。トイレで俺が味わったのは地獄だ。危うく本当に死ぬ所だった。トイレの水で溺れるなんて死ぬ事がまず嫌なのに死に方がもう最悪で。
個室を開けてみると、別に声はしない。そもそもトイレは一杯の髪の毛で詰まっており水が流せる状態にない。水の表面が黒く染まる程に埋もれているから、試すまでもなくこれは元々詰まっている。
「うわ、最悪…………」
「…………」
ライトで照らしても何か見えたりはしないが、取り敢えず知識がないからと言って思考放棄するのも違うだろう。今度は揺葉が傍にいるから同じ目に遭ったとしても大丈夫。そう自分の体に言い聞かせながら決意を新たに水の中へ手を突っ込んだ。
「げ! アンタ何してんの!?」
「何かあるんじゃないかって……悪いけど傍に居てくれ。向こうの世界で襲われた経験があるから」
「…………絵面かなりキツイからライトは切るわね」
見ず知らずの髪の毛がまるで海藻みたいに絡みついてきて不愉快だ。水が生温いのは何故だ? 日差しの強い場所に溜まった水たまりに手を入れているみたいだ。ぬかるんでいる。手が滑る。それでも奥で、何かを掴んだ。
「お…………」
やっぱり何かあった。向こう側で何かしら起きた場所にはやっぱり変化があると思っていいと思う。これが何かまではちょっと把握できない。水の中が流石に気持ち悪すぎて、そっちの不快感が圧勝中だ。
「……大丈夫? その髪の毛に手が引っ張られてるとか言わないでよ」
「どうも大丈夫みたいだ。ちょっと待ってろ、何か見つけたから引っ張り上げる」
髪の毛を振り払いながら便器の底で見つけた物を地上へと引きずり出した。気分としては手を洗う場所が今すぐにでも欲しいが、見つけた物体を見てそんな気など何処かで飛んで行ってしまった。
それこそ確証はまたもないのだけれど。
「これ…………もしかして」
「…………ああ、冬癒の手首だ! やった、やったぞ! 向坂さんに言われた通りまずは先に見つけられた! やったー!」
髪に紛れて眠っていたのは、ふやけた小さな女の子の手首だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます