信じたいけど愛してる
事情を話すべきか、少し悩んだ。揺葉を信じていない訳ではなくとも、向坂さんに託された言葉がどうにも気になって、逡巡させてくれる。自分が信じた方と逆。だからほぼ絶対の信頼を置いてる親友と言えども、疑わない訳にはいかなくなった。
「おーい。鏡の中って何よ」
「え、ああ…………うーん。えっと。何でもない」
「何でもなかったらそんな迷わないのよね。また私何かした? 疑ってんでしょ。その感じだと」
「…………」
「ノーパンかどうかで本人確認もどうかと思うけど、さっき別れて合流したと思ったらこれじゃ、何かあったって思うのが自然でしょ。ほら、言ってみなさいよ」
ここがどんな場所かという緊張感は置き去りにされているとしか思えない。それとも覚えている上で個室の中だからとある種吊り橋効果が働いているのか、揺葉に腕を掴まれベッドに引きずり倒された。
鏡に入る前と違って清潔なベッドは、恐ろしい事は全て夢だったと思わせんばかりに整っており、或いはこれから起きるのだとしても今は安心感を覚えさせた。
「な、何でも…………ないってば」
「あんまり適当な事言うと拷問するわよ」
「ご、拷問!?」
「人間の身体は正直なの。今のアンタにこういう事すんのは酷だとか思わないでもないけど、私って鬼だから。後十秒黙ってたら太腿と言わず色々触らせてアンタの脳みそ馬鹿にしてやる。下半身に脳みそ移動させたら黙るなんて無理よ」
「ば……やめろお前! 堂々とハニトラ仕掛ける奴があるか! 今はそんな事してる場合じゃないだろ!」
「ええい、煩い煩い! 隠し事は無し! 私だって全部話したんだからアンタが隠すのは卑怯! 呪いのせいでアンタを好きになったあっさい女と一緒にしてもらっちゃ困るわよ、私の気持ちは本物だから、避妊なんかしてやらない! 子供産んでやる!」
「何その脅し! 待っておかしい、分かった話すから暴走するな! やめろ! お前とそういう事するのは嫌じゃないけど今は違い過ぎる!」
わざわざ拷問と彼女が言ったのは俺が散々呪いを受けた女子に体で迫られた事を知っているからだろう。確かに好きでもない人間にそういう迫られ方をされるのは懲り懲りだが、錫花然り好きになった女子にされる分には……
とはいえ、やっぱりそんな場合じゃない。冬癒を一秒でも早く見つけないと。
「はあ、自分が信じた方と逆……ねえ」
観念して全てを話すと、彼女は俺の額に強めのデコピンをして、「これで水に流す」と腕を組んだ。
「ここが鏡の中の世界ってのも信じがたいけど、アンタがそこまで信じてる人なら信じてもいいかな。話聞いてると、詳しそうだし」
「お前はどうやってここに来たんだ?」
「どうやってって、エレベーターで急にアンタと分断されてからずっとこっちに居たわ。綺麗な部屋だけど、死体が沢山あったでしょ? 鍵が死体とセットになってるから入りたい部屋があったら死体を探さないといけない訳。虱潰しでもいいけど、たまに死体の中に怪物が居るから出来れば慎重にやらないとね。私も何回か死にそうになったし」
「あの死体は……元々あったのか?」
「それがいまいち分からないのよね。館内歩いてると誰かが走ってたり泣き喚く声が聞こえるから。こういう場所じゃ誰か居なくても声くらい聞こえるから、その辺りはちょっと……分からない、かな」
押し倒された状況から一転、和解した事で俺達は膝に布団を掛けながら壁に背中を預けて手を繋いでいた。誰にも見られていないけれど、恋人繋ぎは布団の中で。心から安心すると同時に、少しだけ恥ずかしい。
「お前が持ってる指は一体?」
「ああ、それはね……アンタと同じで人に会ったの。情緒不安定な感じで危なかったから私の方から逃げたんだけどその人に渡されてね。『大事な人と会いたいならそれを使えばいい』なんていうから使ったの」
「……ちょっと借りるな」
指を借り受けると、俺の指に嵌まっていた指輪があっさりと抜けてベッドの上に落下。恐る恐る女性の指に合わせてみると―――ピッタリ嵌まって。
「ありがとう…………」
部屋の中心から聞こえた儚い声に気を取られた瞬間、手の上にあった指は姿を消していた。
「…………消えた」
「……良く分からないけど、こういう親切が後々響いたらいいわね」
「まあこれについては一旦気にしないでおこう。ちょっと気になったんだけどその人の名前って聞いたのか?」
「そりゃまともに話は通じたから聞いたわよ。確か……雫って名前だったかな」
「雫……」
聞き覚えがあるという程昔に聞いた訳でもない。直ぐに思い出せた。向坂さんが探している人だ。それも最初の出会いを思い返せばその『雫』という女性が妻にあたる。
「その人、綺麗だったか?」
「んー……まあ綺麗ね。年齢は聞いてないけど多分年上かな。雰囲気が何となくそんな感じだった。何? ナンパ?」
「違う。本人照合をな」
俺は特に顔を思い出せないが冬癒が見惚れるくらいなのでかなりの美人だと想定出来る。揺葉からも同じ感想が出たなら間違いなく向坂さんの探している人だ。確かあの人は自分が来るまで保護しておいてくれと言っていたっけ。
「揺葉。悪いけどその人もう一度探したいと思ってる。協力してくれないか」
「別にいいけど、この流れだとあれ? アンタを助けた人の恋人とか?」
「まあそんな所だな。向坂さんにはずっと助けてもらいっぱなしだったしこういう事になるなら俺も一回くらい恩返しを―――」
「向坂さん!?」
方針も決まって善は急げと扉に向かう俺を引き止めたのが揺葉だ。いつになく目を見開いて、唇を震わせている。
「ちょっと待って、その人の名前教えて!?」
「え、なになになに? 何で?」
「良いから!」
「りゅ、柳馬だったと思うけど」
「柳馬!」
やけになれなれしい呼び方をしているが、年齢を考えても知り合いとは思えない。だがまるで、憧れの人に会ったみたいだ。実際これが漫画だったら心を時めかせる擬音が入っていても不思議はないくらい、感動している。
「ちょっとねえマジ! それ先に言ってよ! ああ私が馬鹿だった! 一ミリでもアンタが騙されてる可能性を考慮した! あり得ない! マジで言ってんの!?」
「勝手に盛り上がってる所悪いんだけどあの人そんな有名じゃないだろ。芸能人だったら流石の俺も知ってるし」
「芸能人じゃなくて―――鳳鳳先生って覚えてるわよね。私を助けてくれた作家。あの人の本って話の大筋は友達と体験したノンフィクションなの。で、そこにリューマっていう親友が出るんだけど、助けてもらった際に色々聞いたの。ノンフィクションにしては嘘っぽすぎる話が多すぎるって。だから親友の名前を聞いたわ、その一人が向坂柳馬!」
「ええ…………?」
まくし立てるように喋りつづける揺葉の言葉には俺を騙そうという意図が見えない。そもそもここで騙したからなんだ。それに、鳳鳳先生とやらの友達であるのが事実ならやたらと余裕があって詳しいのも頷ける。ここに限らずずっと妙な場所に行き続けていたなら、流石に落ち着いてしまうのか。
「成程ね、その人が言うなら信じるのも頷けるわ! でも私、鏡の中に入った記憶がないのよね。後、そんな人が自分の恋人と鏡で分断されてる事に気づかないのもおかしい」
「偽物って事か?」
「偽物ならとっくにアンタ殺されてるでしょ。そうじゃなくて、もうひとカラクリあるのよ。自覚なしに鏡の中の世界へ足を運ばせる方法があるの。雫さんも多分気づいてないから…………合流出来ないって訳ね!」
「合流出来る訳ない―――って事は、冬癒もこっちに!?」
「その可能性はあるわ、私が出会わなかっただけで。柳馬さんと一緒に行動しててそっちじゃ見つからなかったんでしょ? ならこっちの可能性が高いわ。本当はちょっと名残惜しいけど話は後! とにかく雫さん見つけないと!」
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