融霊性天眼智

 エレベーターは流れる水のように淀みなく下降し続けているが、一向に扉が開く気配もなければ下降も終わらない。

「おい、揺葉。そもそもいつになったら到着するんだよこれは」

「……そもそも存在しない階に向かってるっぽいから分からないわ。でもアンタの妹も同じ箱に乗ったんだから、いつかは着くと思うん……だけど」

「なあ、早く開けろよ! こいつはいつ開くんだよ!」

 漠然と誰かに聞いてみたが、エレベーターは低い駆動音を唸らせるばかりで何も答えてくれない。喋る口などついてないので当然なのだが、一刻も早く冬癒を見つけないと何となく命が危ないような気がして、焦っている。

「早く助けないと、助けなきゃいけないのに……」

「硝次君。焦る気持ちは分かるけど、ボタンを連打したって何も変わらないと思うわ。大人しく待たないと。階段を選んだのってこういう万が一の不測を避ける為でもあったんだけど。動いたとしてもね」

「悪かったな、妹に緊張感が無くて!」

「いや、そうじゃなくて……」

 自分でもどうかと思うくらいピリピリしている。分かっているのだ、無駄な抵抗という事くらいは。だがどうにも、閉所恐怖症とかではないが、いつまでもこんな狭い場所に閉じ籠っているとそれ自体が無駄な行動という気がしてきて、腹が立つ。

 何か出来る事はないのかと探して、やっぱりやる事なんかない。エレベーターの中でやれる事と言えば揺葉と会話する事だけだ。

「―――なあ揺葉。真面目な話さ、冬癒は生きてると思うか? 気休めとかいいから、本音を聞きたいんだ」

「何それ、答えでも誘導してるの? まあいいけど、真面目な話ね? まだ生きてると思うわよ。気休めじゃなくてね?」

「……根拠を聞かせてくれ」

「ほうら、やっぱり誘導尋問。私に死んでると思うって言わせたかった訳? 根拠なんてないわよ。それが根拠」

「はあ?」

 トンチをしろと言った覚えはないし、トンチかどうかも怪しい。少し考えたが、何処がどうかかっているのかも分からなかった。揺葉はふざけていない。格好は水着で、しかもパレオの下は生まれたままの姿になっているけれど、それでも真面目な面持ちで、俺を見つめている。

「怪異と遭遇して誰かが消えた。でも死体が見つかるまでは生きてる。見つからない限り死んだとは断言出来ない」

「…………って本に書いてあったのか? そういうのを気休めって言うんだぞ」

「はあ? 鳳鳳先生馬鹿にしてる? 現実主義と悲観主義は違うわよ。何でもかんでもネガティブフィルターかけて俺は現実分かってる感が一番ダサいんだから。ていうか、私を信じてくれるんじゃないの?」

「…………」

 人間、発言に対して感情がままならない事だってあるだろう。彼女にそう言われるまで俺は自分の発言を忘れていた。それくらい冷静じゃいられない。そうでないなら、揺葉の事は信用しているが彼女が敬愛する先生の事は良く分からないので胡散臭く思っているか。

「……その鳳鳳先生ってのは、いつもこんな目に遭ってるのか?」

「自分から向かってるのよ。頭おかしいでしょ? 正気じゃないでしょ。でもそういう人の言う事だから今は助けにな―――きゃッ」

 変化は突然に。エレベーターが大きく揺れたかと思うと、動きを止めた。揺葉は崩れた姿勢を戻せないまま俺の方へ寄りかかってくる。故意ではなく、床が斜めに傾いたら誰だってこうなる。俺も、角に追いやられた。

「ちょっと待って! 心の準備出来てない!」

「揺葉!? 何が起きてる!」

「何が起きてるもクソもあるかー! これ…………落ちるでしょうが!」

「はぁ――――――ッ?」

 絶望的な状況の理解。驚く声を挙げる暇もなく、エレベーターは支えを失って完全に落下。



「「うびゃああああああああああああああああああああ!」」



 現実的に考えて俺達に助かる見込みは万に一つ程度しかない。だが果たしてここは現実なのかという問題もある。俺達は存在しない階に向かって下りて行った。エレベーターは動いてしまった。

 たとえそれが片道切符だとしても文句は言えない。行けただけ幸運と考えるべきだ。

 勿論、この瞬間を凌げたらの話。
















「……………………ぅ…………ぅううう」

 最初に見たのは、自分の顔。暫くしてそれが鏡に映る景色だと気が付いた。怪我をしていない。だが身体があちこち痛む。果たしてこれを奇跡と呼ぶべきかは微妙だ。身動き一つ取れない重傷は避けられても、あちこち打ったと思うから、きっと歩くたびに微妙な痛みを感じる。それは妹を見つけたとて、何処かで大きく足を引っ張る要素となるだろう。

「……揺、は……?」

 何故生き残った事を素直に喜べないのか。最たる理由は親友である彼女が何処にもいないからだ。まさか俺より軽装で無傷という事もあるまい。仮に無傷だったとして何故俺を置いていく必要がある。何らかの力で引き離されたと考える方が自然だ。

 つまり、俺は一人ぼっち。

「…………いただだだだだだだだだ! あいだだだだだだだだだだ!」

 自分で勝手に叫んで、喘いで、それでも身体を動かす。どうにか上体を起こすと、今度は足。こんな傾いた空間でいつまでも寝転んでいたらそれこそ身体をおかしくする。突き動かす衝動は決して生ぬるい感情じゃない。冬癒だけなら、或いは挫けていた可能性もある。

 親友を二度も失うのは御免だ。ただそれだけを動機に、無理を言ってこの身体を支配する。酷い痛みも、親友を失う事に比べたら問題じゃない。

「くっ…………うぐ!」

立ち上がろうとして、再び転んだ。怪我をした状態でこんな歪んだ空間に居るのはやはり都合が悪いか。幸い扉は開いていたので、這いずってでも外を目指して、どうにか全身を脱出させる。

「…………は、はあ?」

 


 一階だった。




 思考回路にバグが生じて、上手くまとまらない。何故一階と分かったかというと、窓ガラスから見覚えのあるホテルやら海やら、ついさっき通った道が見えているからだ。月明かりのお陰で夜にしては見通しが良いからすぐわかる。何か妙な感じはするが……ともかく外は外だ。外と繋がっているならここは一階で間違いない。


 ―――助けを呼びに戻るか?


 揺葉はともかく冬癒の危機と分かれば力を貸してくれるだろう。問題はそんな悠長な事をしている場合があるのかという事だけで……多分、ない。ないけど、一人ぼっちはとても不安だ。

 何せ知識がないものだから、これがどういう状況かなんてわかりっこない。そうだ、知っている奴を探すべきだ。冬癒の事は心配だけど、このままだと助ける前に俺が死にそうだ。それじゃあ元も子もない。

 だからまずは、親友から。

「……揺葉! いるのか!?」

 廃墟の中で騒ぎ立てる変質者と思われてもいい。今はとにかく揺葉を。ただそれだけを考えて。外に居る可能性はこの際割り切って、手当たり次第に部屋に入ってみる。一階はエントランスで、他に誰か居そうな部屋は客室と比べれば少ない。

 受付のカウンターを乗り越えて後ろの扉を開けた。

「…………あ?」

 トイレに出た。これも、やっぱり分からない。男子トイレなのも分からないし、奥の個室だけが閉じているのも分かる筈がない。

 耳を澄ますと、何かを啜る音が聞こえる。


 じゅる。じゅる。


 じゅる。じゅる。


 奥の個室からだ。

「…………」

 ごくりと唾を呑む音すら過敏に聞こえる。知らず息をひそめて足音を殺し、ゆっくりと音の源へと近づいて行く。一歩、二歩、三歩。何が何を啜っているのかなんて分からない。見ないといけない。だが気づかれても行けない。何となくそんな気がしている。

 さあドアノブまであと少し。手を伸ばしてもまだ足りない。後もう一歩。もう一歩だけ近づけば。




 ぴちゃっ。




 足元の水たまりを踏んだと同時に。音が、止んだ。

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