頽廃ユートピア
「………………あぁ…………」
そんな気の抜けた言葉しか今は出てこない。
ただ、呆然と。
目の前の現実を受け入れられないでいた。ここは現実ではない。だってお化けが居るから。当てのない答え。散漫する思考。脈絡のない自問自答。偏に混乱。目の前に転がった腕は、ほんの少し前まで妹にくっついていた肉体だった。
「硝次君…………」
「―――揺葉。また俺を、騙したのか」
「騙したって?」
「ふざけんな! お化けは俺を狙ってるんじゃないのかよ!」
俺を狙ってくれるならそれでもよかった。いや、俺を狙ってくれるならその方が良かった。冬癒はヤミウラナイもとい呪いと一切の関係がなく、今だって危険な目に遭わされる道理がない。
「それが分かり切ってたら、私が全部仕組んだみたいじゃない。無理よ、全部は。私は確かに詳しい、けど詳しいだけ。元々硝次君一人は安全に連れ帰る算段だったのに、突然もう一人増えて対応しろっての? ………………ごめんなさい」
「………………いや、俺の方こそごめん。無茶言うなって話、だよな。頭じゃ分かってる。勝手に来たアイツが悪い。自業自得なんだ。でも…………でも、だからってさぁ…………」
これはあんまりではないか。ただ勝手に来ただけなのにこの仕打ちだ。切り離された腕は、もう二度と元に戻る事はないのだろう。それなのに俺ときたら手を拾って、持って行こうとしている。足が震えて、この場から動けもしないのに。
「たった一人の……妹……なんだよ。今回の事とは全く関係ない……ただ遊びに乗っかっただけだ。愉しもうとしただけで…………だ、だから。だから! ああああ…………あああ~!」
チン。
冬癒を連れ去ったエレベーターが戻って来た。血塗れのエレベーターは口を開けて、今か今かと次なる犠牲者を待ち望んでいる。
「…………硝次君」
側面に立つ揺葉が俺の身体を立ち上がらせて、明滅した電球に照らされるエレベーターを注視した。
「アンタの妹の事なんてどうでもいいってい言ったけど、硝次君のそういう顔見たくないから、前言撤回。取り返しに行こう」
「――――――――――い、生きてる、よな」
「怖がらせるつもりもないから正直に言うわね。鳳鳳先生もこんな感じで妙な空間に迷い込むんだけど、脱出する時には都合よく無傷って訳にもいかないの。一筋縄じゃいかない脱出劇に両腕を潰されたり、脚をもがれた事もあるみたい。でも脱出出来た時には元に戻ってた。信じられない事かもだけど、今は似た状況にあると信じて追ってみない? それとも……階段を下りて、帰る?」
「行く!」
ここで我が身可愛さに帰る選択肢を取っても、俺には何も残らない。それこそ夜枝にも錫花にも先生にも顔向け出来なくなる。揺葉を一度は糾弾した癖に、何故見殺しにするような真似を?
二人でエレベーターに乗り込む。冬癒の時と違って自動的には下りないようだ。タッチパネルには『三階』『二階』『一階』『 階』 『 』がある。
「どの階に行く?」
「『 階』に行こう」
扉を閉めてタッチパネルを押し込むと、廃墟とは思えない滑らかさでエレベーターは下に移動を始めた。
「……あの時、足首を掴まれた気がするんだ」
「ん?」
「転んだ時だよ。お前に助け起こされた時。転んだなんて変だ。お前よりは足元スッキリしてるんだぞ」
「私もんな長いパレオ着た覚えないわよ。これ外しちゃったらいよいよ痴女確定だしね。確かにおかしな所で転んだとは思ってたけど、掴まれたなら納得。ただの脅かしとも考えにくいから。やっぱり狙われたのはアンタで、妹はたまたまだったのかしら」
「……その鳳鳳先生ってのは、信じていいのか? 何から何までフィクションだったら許せる気がしない」
「リアリティを売りにし過ぎてほぼノンフィクションが売りの作家だから、信じていいと思う。先生が無理なら私を信じて。きっと、上手くいくから」
「…………じゃあ、信じる」
「命に代えるつもりはないけど、アンタの妹は必ず連れ帰る。ただ、何が起きるか分かんないのはこれまでと同じだから、アンタも注意してね。自衛が出来る程知識があるとも思ってないけど、何か起きるかもってくらいは考えておくと、もしかしたら何とかなるかも」
「えらくふわっとしてるな」
「さっきも言った通りここには噂が定着しない。色んな噂があって、被害に遭った人の口が一向に揃わないの。霊の全てが見えるなんて馬鹿な事は言わないわ、だから何も分からない。まずそれ自体おかしな事じゃない?」
死の原因が何にせよ、そこに未練があるなら幽霊になったりならなかったり。ちょっと詳しくないから説明が曖昧か。ならば例えを変えよう。
テストが厳しい学校があったとする。
そこに通おうとする人が学校について調べたら『テストが難しい』という情報を手に入れられる筈だ。噂なんて、要は特筆するべき特徴が広まっているだけ。やたら美人が多い高校はそういう噂が広まるだろうし、やたら人生の成功者が集う高校も然り。オカルトでも無根拠でも、何かしら代表する様な特徴が生まれてしまったならそれが噂になる。
何もプラスな事ばかりではなく、例えば『毎年一人が自殺する高校』ならばそういう噂が広まっているし、直ぐに拾えるだろう。そういう風評が困るから多くの学校は隠蔽に走る訳で。
「鳳鳳先生ってのは、呼べないのか?」
「電話番号なんて知らないわよ。そもそも携帯が使えないんじゃ連絡出来たとしてもその手段がない。そっちこそホテルの方に居る誰かと連絡取れない訳? 何も文明の利器に頼れとは言ってないんだけど」
「……どういう事だ?」
その返事で全てを察したらしい。
「何でもない」
揺葉は諦めたように手を広げた。
「センパイ、まだかなまだかな~♪」
「霧里先輩、いつになく浮かれていますね」
「しょうがないよ。こういう思い出を作るのは初めてなんだろう。錫花ちゃんだってそうじゃないの? ああ、家族とやった事あるとか?」
「いえ……楽しみではありますが、ほんの少し心配で。ここの妙な気配、夜になってからずっと強くなってます。揺葉さんを出し抜いて話を聞きに行くだけとはいえ、何かあったらと思うと」
錫花ちゃんも随分ストレートに気持ちを示すようになったなあ、と感傷に浸り気味。年は取りたくないものだねと勝手に苦笑する。本当に心底、羨ましいよ。水鏡家はそうやって素直な気持ちを露わにして、それで今まで意中の人と結ばれてきたんだろうから。
霧里夜枝ちゃんの方はいまいち感情が読めない事もあるけれど、今回は素直に受け取るべきだと思う。花火、私も楽しみにしてる。仮にも婚姻届を持ってる私が斜に構えるんじゃ、旅行としてよろしくない。
「花火は夏の風物詩だけど、線香花火はまたそれと違って何だか静かな趣があるよね。色々テーブルゲームを用意してたみたいだけど、終わったらそれで遊ぶのかい?」
「それはセンパイ次第ですね! いい雰囲気だったらそのまま寝ます! 二日は泊まりますし、明日に持ち越しでもいいじゃないですか、ねっ? それよりも湖岸先生、ちゃーんと準備出来てますよね?」
「…………………錫花ちゃんは出来てるの?」
「私は…………はい。何だか恥ずかしいですけど」
「もう、さっき着てたばかりなのに変な事言うね。錫ちゃん、今更恥じらい乙女仕草なんて必要ないよ。錫ちゃんも私と同じくらい卑しいんだから……さ」
「い、いや……!? 撤回してください霧里先輩。流石に看過できません」
「じゃあ錫ちゃん、センパイといい雰囲気になったらエッチしないの?」
錫花ちゃんは顔を赤くしたままベッドの上で黙り込んでしまった。股の間に手を置いてもじもじしている様子が何だか初々しい。昔の自分を見ている気分だった。
「霧里夜枝ちゃん。後輩をいじめるのはそのくらいにしてあげなよ」
「あ、卑しい筆頭の湖岸知尋先生!」
「否定はしないよ。ただ妙なのは、自分自身も卑しいと言った事だ。普通、こういう時は自分を省く」
何故自分が卑しいと思ったのか。単なるおふざけではない筈。これまでの発言や行動からして、彼女は新宮硝次君にだけは、殊更に真摯だ。
「君はいつ、彼を好きになったんだい?」
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