新宮硝次の覚悟
俺は『無害』だ。男子からも女子からも敵視され過ぎず、それなりに好かれ、それなりに当てにされる。特別秀でた長所もなければ短所はちょっと成績が低いくらいで、それは別に有害になる訳でもない。落ちこぼれでも出る杭でもない存在は嫌いになる理由もなければ特別肩入れするだけの理由もない。
毒にも薬にもならないからこその『無害』。
そういう立場だったから俺はずっと隼人の親友で居られた。何やら策謀巡る隼人の争奪戦に一切巻き込まれず、呑気に日々を過ごす事が出来た。それが幸せだと信じていた。
『アイツ、自分を無害って言うけど馬鹿らしいぜ正直。俺がモテすぎてて、お前がさっき言ったみたいに利用され続けるからなんだろうけどさ。自分に対する好意に気づかねえんだわ』
それが全ての始まりだった。
俺がそんなだから揺葉は気持ちを拗らせ。
俺が心配だから隼人は気を利かせたつもりで。
そんな俺がまた何かしたから、誰かが俺に呪いをかけた。
でも何も覚えていない。夜枝の言う通り、俺は『無害』としての振る舞いを覚えていない。それが自分にとって当たり前だった時間が長すぎた。不良が時たま親切にするのとは訳が違う。親切な奴がただいつも通り親切にしてただけだ。それを居一々覚えている訳がない。
だって意識した親切ではないから。人を選んでどうこうした事もない。俺にとっては日常だと言っただろう、一々記憶している方がどうかしている。そんな特殊能力があればもう少し出る杭ではあった。
「………………ざけんなよ」
「…………」
「ふざっっけんなよおおおおおおおおお…………!」
『無害』はもう存在しない。 あらゆる意味でそれは続けられなくなった。隼人を殺した奴を絶対に殺す。そう思った時から平和は崩れ、『無害』を名乗るのは意地でしかなかった。
どんな事があっても殺すつもりだったのに。犯人は目の前に居るのに。
「おまえ……お゙まえな゙あ! おま…………おまっ……えぇえええええ!」
揺葉の肩を掴んだまま、身体が動かない。殺さなければならない義務とは裏腹に涙が零れて足が震えてきた。寒い訳じゃない。怖い訳でもない。ただ、立てない。崩れ落ちる。自分でも、自分がどうしたいのかが分からない。
「あ゙あ゙! あ、ぅ。うぐぅぅ。ふざげん……な! あ、あ、あぐ……!」
「硝次君…………」
自分の喉を手で絞める。泣くとまともに喋れない。喋らないと伝わらない。伝わらないと分からない。泣いて分かってくれるのは赤ちゃんまでだ。俺は、俺にはまだ、喋る力がある。
「……んな。んな事言うなよぉぉぉぉ! もっと、もっと悪役になってくれよッ! おおぉぉぉぉぉぉおおお! 殺させて……くれよぉ…………!」
俺を助けるという事なら、嘘をついてほしかった。身勝手かもしれないけど、こんな事を言われて殺せる訳がない。何故殺せる。何故復讐を優先出来る。親友二人の本音を聞いて、何故俺だけが意地を張れる。
「ぁぁぁああ…………ああああああああ…………」
何も知らなかった奴が一丁前に自分の願いだけかなえるなんて、そんな分からない話ってないだろう。揺葉だから殺せないんじゃない。俺に殺す資格なんてなかったから触れないのだ。
こんな状態で無理やり殺そうとするなら、それこそ俺の気分は晴れないし、それどころか二度とは治らない傷を負うだろう。揺葉はその場で膝を突いて、俺の背中に手を回して抱きしめる。
「…………もっとさ、違うやり方があったんじゃないかって思うのよね。あんな事になった当日、私が直ぐに姿を現して三人で協力するとかさ。私から全部ぶちまけてやればアイツもアンタに謝りやすかったと思うの」
「ぁぁ…………あああぁぁぁぁぁああああ…………」
「でもそうはならなかった。私はアイツにバレたくなかったもの。まさかこんな事になるなんて分かってたら……どうだったかな。やったのかな。分かんない。そもそもアンタに呪いを掛けたとして、私達のとどう混ざったらこんな事になるのかも想像出来ないし……聞いてる?」
「うるさいうるさぁい! 俺の……為を……思うなら…………殺しやすい理由をくれよおぉぉぉぉ……!」
「―――ごめん。私は幾らでも嘘を吐けるけど、アンタに対する気持ちだけは嘘吐けないや。隼人君があんな風に焚きつけるんだから、誤魔化したくない。殺されるのは別にいいけど、殺しやすくなる理由なんて思いつかない」
感情は決壊し、次から次へと相反しては曖昧に、ただ無整理に流れていく。とてもとても、誰にも見せられない様な情けない姿。新宮硝次のアイデンティティが揺らぎ、またその信念が崩れた瞬間だ。
揺葉も飽くまで沈黙を貫き、俺が泣き止むまで抱擁をやめない。それがまた、辛くて。情けなくて。
泣き続けた。
廃墟の部屋に戻って、ベッドの上。
「ごめん。落ち着いた」
「気にしてないわ。気持ちの整理はついた?」
揺葉は俺の噎び泣きをずっと聞いて苦しかっただろうに、顔色一つ変えずに俺を見つめている。俺との約束通りビキニ姿で来てくれた事がほんの少しだけ周囲の緊張感を和らげている。
散々泣いて、疲れた。後悔する事も、怒る事も、悲しむ事も馬鹿馬鹿しい。ぼんやり彼女の全体を眺めていると、揺葉は肩をすくめてくるりと身体を一回転した。
「私を見て落ち着くなら幾らでも見てどうぞ。パレオの下だけはちょっと、恥ずかしいかも」
「…………?」
傾げた首に答えを示すように揺葉はほんの少し水色のパレオを捲って鼠径部をむき出しにする。
布が見えない。
「下も、見たい?」
「…………な、な、な」
「悩殺目的って言ったでしょ? 痴女なんて言わないでよ、今までアンタの出会った女子の八割くらい痴女なんだから、私なんて可愛いもんでしょ」
俺の感情が、もっと下らなくなる。真面目な話ができる雰囲気が崩れたのも大きいか。ともかく、今は悲しんでいられない。こういう話の流れになったなら、俺も立ち直らなくては。
「お、お前な。その出会ってきた痴女が俺は嫌いだったから良かったんだ。お前はその…………」
「その?」
「……………………まだ、好きだよ。揺葉」
「――――――」
互いに目を逸らしたのが何となく分かる。ある意味でそれが、整理をつけた俺の答えだ。今から殺そうとする奴にこんな気持ちは伝えない。それならばせめて『好きだった』と伝えていた。
「でもお前の事、許したくはない」
「まあ、そうでしょうね」
「だから一緒に、犯人を突き止めるのに協力してくれ」
もう一人の実行犯。
女子の呪い→揺葉が土台を奪って使用。願いは『思い出す』事。
揺葉の呪い→気づいた隼人が多分奪って使用。願いは『新宮硝次がモテる』事。
そして誰かが隼人のを奪って使用した。願いは分からない。
ヤミウラナイが成立していないのは揺葉が不成立にさせていたからだが、俺が異常にモテるようになった事実は存在する。だからそのもう一人は、隼人の呪いを継続させたまま重ねた。
それが可能かどうかは分からないが、同じ人物に呪いを掛けるのなら不可能ではないと思う。揺葉がわざわざ破棄したのは対象が隼人だからだろうし、『神』とやらが関わっているなら猶更無理が出来るのではないだろうか。
今の状況を整理するとこんな感じだ。俺にわざわざかけるという事は、犯人は俺に恨みがあるか、それか…………勘違いしたか。
「……私にも死ぬリスクを背負えって事?」
「いーや死なない。だってお前、ちゃんと俺をサポート出来てたし、俺に呪いをかける手際も良かったぞ、話を聞いてる限りはな。じゃあ詳しいんだろ。専門家が二人も居てくれるなら死ぬ心配なんかしなくていい筈だ」
というか詳しくなければここまで裏から動く事も出来ないだろう。まるで挙動を知っているみたいに完璧だった。本当にあんな事が無ければずっと気づけなかっただろうし、そんなリスクを払ってでも俺を助けに来てくれた彼女には頭しか下がらない。
「あーそれね。別に私が詳しい訳じゃないのよ。引っ越した後、ちょっと変な目に遭っちゃってね。その時鳳鳳先生にたまたま助けてもらったの」
「誰だよ」
「作家……かな。本人もそう言ってたし、私も実際買った事あるし。その変な目っていうのが丁度今のアンタみたいに警察に頼るんじゃどうしようもない状況で、そこから命からがら逃げだす為に色々教えてくれたのよ。それで、ちょっと詳しいの。すっかりファンになっちゃった!」
「…………それと俺に呪いをかけた話は繋がるのか?」
「鳳鳳先生の本を片っ端から買ってきて、ノンフィクションっぽい物を試したのよね。そうしたら丁度効果が見込めた呪いがあったから、戻ってきてアンタに使ったって訳」
そんな話は聞いた事もなかったけれど、これまで聞く機会にさえ恵まれなかったなら無理もないか。隼人も恐らく知らない……
「……え、じゃあ最初にアイツにかけたモテる呪いってのは?」
「あんなの、消しゴムのカバーに好きな人の名前書いて卒業までバレなかったら結ばれる程度のおまじないのつもりでやったに決まってるでしょ? ただ思ったより効果があっただけ! やたら手順が多そうな物って、なんかすごく効果がありそうに見えるじゃないの!」
「それはそうだな」
手間暇かかった物には特別な力がある、という風潮。俺は千羽鶴で理解している。あの難しい鶴を千匹も作るならとてつもない力を秘めているんだと。尚現実は千匹も作らない場合が殆どの模様。
「だから詳しいって言ってもニワカよ。本職には劣る。痴女具合もね。他の女だったらこういう状況だと絶対に襲うんだろうなって思いながら喋ってるのよ?」
「何か痴女っぽい事言ってみるか?」
「うーん…………私の胸、縦にずりずり出来るくらい大きいけど、してみる?」
らしくもなく谷間を寄せて前傾になった次の瞬間、揺葉は顔を赤くして背中を向けた。
「ご、ごめん! 電話エッチと違って対面は恥ずい! 今のなし! 忘れて!」
「…………ははは。やっぱお前中途半端だ。でも、それでもお前の力が欲しい。お前を殺せなかった分は、そいつに向けるから」
「それは駄目。私が殺してやらなきゃ。アンタの人生潰してまで殺す価値はないわよ」
「じゃあ二人で、殺ろう」
ベッドから立ち上がって、揺葉の前に手を差し伸べる。深い意味はない。ただ直前まで自分を殺させようとした奴が、矛盾させてでも咄嗟に気を遣って俺を守ろうとしてくれた事が嬉しかっただけ。
「最初からこういえば良かった。朱識揺葉。俺と一緒に―――地獄に堕ちてくれないか」
「………………」
揺葉は手を押しのけて、勢い余らせて俺に抱き着く。
「何処までも―――ついてってやるわよ。馬鹿」
剥き出しの背中を抱きしめる。そのままベッドに倒れ込んで、揺葉を下に。
もう一度、抱きしめた。
「やっと、会えた…………おかえり、揺葉」
「ずっとこうしたかった…………ただいま、硝次君」
ガタン。
控えめに言っても良い仲直りの雰囲気だったが、余計な物音がぶち壊しにしてくれた。二人して机の方に目をやると、
「ふ、冬癒…………お前何でここに居るんだ?」
妹が、気まずそうな四つん這い状態で、こちらを見つめていた。
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