夜辺の惑いと過去の恋

「いえーい! センパイ、ピースピース!」

 水鉄砲バトルロイヤルは割り切れない人数で始まったので何度かチームを変えて対戦する事となった。サバイバルゲームみたいに厳密なルールは用意されていない。水が当たったら冷たいので誰でも分かるが、ゾンビ行為は見逃している。認められているのは自己申告による退場もとい休憩のみ。

「ああもう何やってるんですかセンパイ、近距離で撃ち合っても負けるに決まってます!」

「水鉄砲にライフルなんてあるとか聞いてなかったぞ。何故使いこなせる」

「私、子供の頃はスナイパーになりたかったんですよ。好きな人のハートをこうずどんっと打ち抜きたくて♪」

 ゴーグルを額に掛けてウィンクする夜枝の表情にはこれまた見覚えがあって本心とは思えない。しかも言っている事が良く分からなかったので反応に困って曖昧な返事を返すと、銃口がこちらに向いてしこたま水を掛けられた。

「味方だろ!」

「ふん。少しは気の利いた返事を返せないんですか」

 敬語を忘れた冷たい口調。それは彼女と初めて会った時の……恐らく、素の口調。

「お前なあ……伏せろ!」


「ひゃっほー! 乱射だ乱射だひゃーははははははは!」


 冬癒が敵チームになって、まさか乱射狂の性質があったとは知らなんだ。銃を二挺持ちしたかと思うと狙いも碌につけないで手当たり次第に発砲している。相方の先生が唯一水の飛んでこない背後に立っているのが何よりの証拠だ。

「これ疲れるまで戦い続けるのイカれたルールだな。こういうのって普通ビーチでやるもんだろ!」

「そうは言いますけど、ここは誰のプライベートビーチでもないですからね。周りに迷惑が掛かっても面倒ですし、それなら海の中でやるしかない……ふひっ!」

 水面から半分だけ顔を出した夜枝の額を正確に打ち抜いた一撃。背後に構えた先生もまたライフルタイプの水鉄砲を持っていた。詰まる所あのチームはハッピーになった冬癒を盾に裏から先生が狙撃をし続ける陰湿な戦い方を生業としている。

「お兄ちゃんは~ぶっとばーす♪ 覚悟しろよおおおお!」

「お前性格変わってるな!」

「だってお兄ちゃん、小学校くらいの時は全然遊んでくれなかったじゃん! ばーか! これは今までため込んだ怒りだ! くらえええええええ!」

「うわああああああああああ!」

 その頃と言うと、隼人と揺葉が居た頃か。アイツ等が原因とは言わない。妹の事を異性と認識した事は一度としてないが、ある日突然仲良くする事が恥ずかしくなる事がある。その時どんな気持ちだったのかは……今の俺に聞かないで欲しい。記憶なんて都合が良いものだ。

「何だよそんなに無視はしてないだろ!」

「した! したもん! 私覚えてるから! 忘れてるお兄ちゃん酷い!」

 そう、記憶なんて都合が良すぎる。幾ら仲良くするのが恥ずかしいからってたまには絡む。好きな番組がやっていたとか、お寿司を頼んだとか。だから冬癒の思い出は悪い方向に補正が掛かっている。良い思い出程記憶に残らないという奴だ。


 丁度、俺が揺葉の顔を思い出せない様に。


 あんなに好きだったのに。

 今は声すら思い出せない。

「ああもう―――そうやって可哀想ぶるのはいいけどなあ!? 二人共背中がお留守だぜ! 夜枝!」

「はいはい」

 


「きゃあああああああ!」

「くそ逃げられなああああああああ!」



「っしゃあみろや! 俺も攻める、行くぞ!」

 たとえ水の弾丸で蜂の巣にされようともこの機は逃さない。夜枝と俺とで狙い撃ちだ。錫花は絶賛休憩中。

「ちょ、降参降参! これ以上は腰が!」

「湖岸先生、老体アピールかなり怠いですよ♪ センパイの次くらいに楽しんでるじゃないですか!」

「いや本当に疲れたんだよ! こんな風に騒いだの久しぶばばばばば!」

「冬癒! 神妙にしやがれ! お前の負けだ!」

「くっそー! 離せえええええ!」

 

 ふと、妙な視線を感じた。


 違う。俺にそんな特殊能力はない。気配というか、理由なんて突き詰めたら分からなくなる。何となくそう思っただけだ。浜の方を見ると、錫花がガスマスクを外してのんびりメロンソーダを楽しんでいた。テントの壁を利用して半身になっているので顔は見えない。そもそも距離が遠すぎるので壁がなくとも大して見えないが……左目だけがこちらを見つめている。

 視線の正体は彼女……ではない筈だ。

「……ん。お兄ちゃん?」

「ちょいタンマ。夜枝。なんか適当にガールズトーク宜しく」

「センパイに無茶ぶりされたのでしますね。ずばり冬癒ちゃん。センパイが好きな食べ物とか教えてくれると―――」

「私が蚊帳の外だけど」

「湖岸先生は料理そんな出来ないじゃないですか。当てしてもらおうと思うなら頑張ってください」

「…………しゅん」

 三人が話しているので不自然には思われまい。少し浜辺を見回すと、やっぱり居た。今度は先生をナンパから救った男性がビーチチェアに腰かけてこちらを見ている。やっぱり先生の事が気になるのだろうか。いや、サングラスをかけているからもしかしたら眠っているだけかもしれないが。

「…………」

「センパイ?」
















錫花と交代する形で浜に戻って来た。男性は俺が戻って来るや逃げるように姿を消そうとしたのでその背中を慌てて追跡。幸いそこまで本気で逃げるつもりはないらしく、直ぐに追いついた。

「ちょっと、待ってください!」

「…………道でも聞きたいのか?」

「……湖岸先生に、声かけなくていいんですか?」

「………………何を言ってる? 俺は他人だ」

「じゃあ質問を変えます。その他人が、どうしてナンパを遠ざけたんですか?」

「……理由は要らない。困ってたから助けただけだ」

 男性は振り返ると、サングラスを少し外して、水面のように澄んだ瞳を俺に向けて、目を細める。

「どうやら、大変な呪いにかかっているらしいな」

「は、はい? …………見て分かるんですか?」

「そうだな、それだけ強い呪いなら感じられる。くれぐれも覚えておく事だ。愛とはこの世で最も強烈な呪いだと。その人を好きになったあまり周りが見えなくなる。その人の事以外どうでもいい。偏った天秤は愛情によって公正公平を欺瞞する―――や、俺達が言えた事ではないな。忘れてくれ」

 煙に巻くような物言いと共に男性は今度こそ浜を後にする。その背中を追おうとするも、消え入る様な声が、それを遮った。




「知尋に幸せを感じさせてやってくれ。俺には出来なかった事だ。ただの一回も……飢えを満たせなかった」




 …………人の恋路に足を踏み入れるなんて失礼千万どころの話ではないけれど。


 後悔しても遅く、取り返しのつかない被害から後ろ向きな思考を抱えるようになった先生と。

 報われなかった献身は恨まず、飽くまで己の力不足とし、関わり合いを避けようとする彼を見ていると。

 何だか腹が立ってきた。そもそも関わり合いを避けたいのに何でこんな場所に居るのだろう。揺葉みたいにずっと近くに居たとか? それなら猶更、二人は会うべきだ。俺だって先生の事は好きだし、異性としても多少意識している。だけれどそれとこれとは別問題。

 過去にケジメをつける為にも、何とかして二人を引き合わせたい。




「―――って訳なんだけど、どうにか出来ないか?」




「それ、砂に埋められながら聞く事じゃないと思います♪」

 仁義なき戦いも終わり、一時の休息。夜枝が穴を掘って俺を入れたそうにしていたので従ってみた。丁度先生とも距離が取れたので相談した次第。顔以外の全てを固められているというのはなかなかどうして恐ろしい。だが胴体に夜枝が乗ってもまるで重さを感じない。相対的な話。

「そうですねー。後三時間くらいで日が……落ちると思います。落ちたら撤収で一度ホテルに戻って休憩と夜食。それからまた遊ぶので……やりようはあると思いますよ?」

「また遊ぶのか?」

「夏の夜と言えば花火じゃないですか! ビーチの端っこの方だったら人も居ないから趣を感じられますよ!」

「あー。花火か。線香花火……そういややった事ないな」

「センパイ、花火大会派ですか? なら猶更やりましょう? 出来れば二人きりがいいけど……今回は我慢します。みんなで集まる時にわざと湖岸先生に最後に来てもらえれば時間は作れると思いますけど、問題はその気にさせる方法ですよ。私にはちっとも思いつきません」

「…………本人に言ってもなんか断りそうな気がするんだよな」

「じゃあこの話は無かった事に」

「待て待て。早いぞ結論が」

 夜枝は俺の口元に指をあてると、作り物っぽく微笑んだ。

「センパイ、目的忘れてませんか? センパイの親友を呼び出す為にこうして目一杯楽しんでるんです。貴方はやる事一杯なんですよ。他の人の事なんか気にしてる場合ですか?」

 そう言われると弱いが、いつまでもすれ違っていたら不幸にしかならない。じゃあこの際本音を言うが、あの男性の事はどうでもいい。いつまでも先生に囚われていて欲しくないだけだ。それが何か変わるかもしれないなら助けてやりたいだろう。

 俺は先生に命を救われているんだから。

「…………ほんと、昔からそういう所は変わらないんですね。まあそういう所を好きになったんですけど」

「……お前、いつから俺を知ってるんだ?」






「――――――言っても覚えてないよ。だって貴方は『無害』で優しかったから。優しくする事は息をするように当然だったから。優しくした人の事なんか一々覚えてない。『無害』はとても良い事だったのかもしれないけれど、貴方のその当然の優しさに救われた人にとってはこれ以上ない残酷だったって…………気づいてた?」

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