恋煩いの陽炎

「お兄ちゃん私舐めすぎだから。見ててよ、泳げるんだから」

「お―見とく見とく。浮き輪膨らませながらな」

 持ち運ぶにはここで膨らませた方が効率が良いと思ったが、計算を見誤ったか。だが多く持ってくるにはこうするしかなかった。ボートなんて彼女達が来るまで保留にしてある。仮拠点としてレジャーシートの上には置いてあるが、早く来てくれないと盗まれ……んな訳ないか。

「ほらー! めっちゃ泳げるじゃん! 私凄い!」

「泳げるって分かってたのに何でそんな嬉しそうなんだ……?」

 学校のプールでは泳げていた、とかだろうか。俺も冬癒も成長してから、家族でプールに行くという事が滅法無くなってしまった。寂しいと思う反面、よくよく考えるとそうでもない。プールなんて行かなくても俺は十分楽しかったし、学校のプールも小学校の頃なら自由で、揺葉の水着姿によく見惚れていたっけ。

 冬癒が脱ぎ捨てた上着を畳んで、俺も波打ち際へ。この浮き輪だが、サイズ的に俺が使えるモノじゃない。ビート板代わりに力を抜いて泳ぎつつ、優雅とは言い難い泳ぎを見せる妹に明け渡した。

「ほらよっ」

「む。うわきだ!」

「誤解しかねえ! 浮き輪をどう間違えたらそうなるんだよ。焦ったぞ」

「焦ったという事は……お兄ちゃん、心当たりあるんだ。最低」

「まず恋人が居ないのにか!?」

「え、あの中の誰かと恋人なんじゃないの? 錫花ちゃん私と同い年なら……ちょっと複雑な気分だけど。でも凄く大人っぽいし」

「お前の中では錫花決定なのかよッ。全員友人だよ。先生を友人呼ばわりするのはなんかちょっと気が引けるけど」

 年齢差にしてニ十歳以上。年の離れた友人という概念は理解しているがそれにしてもちょっと離れすぎている。あまり友達という年ではない。先生の事は好きなのだが、もう少ししっくりくる表現はないものか。

「錫花ちゃん、何であんなにスタイルいいんだろうね。食生活?」

「食生活でああなるんだったら苦労はしないと思うが」

 水鏡の血について説明する必要はない。適当にはぐらかせるならそれに越した事はない筈だ。

「ていうか納得した。それなら私の友達とか気に入らないよね。あんな子が居るんだもん」

「あれはそれ以前の問題で、常識が欠けてただろうが。幾ら美人でも常識外れな奴はちょっとな。錫花はその辺、割としっかりしてる。たまにお嬢様が出て妙なズレ方は見えるけど」

「お嬢様なの? じゃあお兄ちゃんが結婚したら逆玉の輿? 私金持ちになれる?」

 何でもない発言のつもりが思ったより食いつかれた。冬癒はバタバタ泳ぐのをやめると浮き輪の上に身を乗り出して食い気味に距離を詰めてくる。前傾姿勢が重心をずらし、妹は瞬く間に落下した。

「きゃあああああ!」

「何してんだお前ばあああああ!」

 前のめりになった方向には当然俺が居たので、そのまま巻き添えを食らう。自分が沈められた所でどうとも思わないが、冬癒は別だ。腕を突きあげて彼女を海面から引き上げると、頭から浮き輪を通して事故の再発防止に努める。

「げほっ、げほげほ! うげーしょっぱ!」

「大馬鹿かお前! 浮き輪の使い道がちげーから!」

「けっけっけ。うー! そう言えば私水中ゴーグルないと目開けられないんだった……! 取ってくるー!」

「え、さっきヤマカンで泳いでたのか……?」

 とんでもないカミングアウトに困惑を隠せない。冬癒を引き連れて仮拠点まで戻ると、背中から不意を突くように声を掛けられた。


「せーんっぱい♡」


 猫撫で声に怖気が差しつつも振り返ると、黒を基調としたフリルビキニを着た夜枝が後ろ手を組んで首を傾げていた。彼女くらいの美人にもなるとシンプルに黒いビキニがそれだけで大人っぽさを出していると言うか、胸のフリルでボリュームがかさましされて、結果的に凹凸のバランスが良くなる。彫刻家が磨き抜いたようなくびれと合わせて何と美麗な肉体だろう。フリルパンツに隠れた小さなお尻がなんとも度し難く、蠱惑的な魅力に溢れている。

「夜枝…………」

「どうですか? 感想とか? センパイに見せる為だけに選んだんです! 何でも言ってくれて構いませんよ! それとも……行動で示してくれるんですか?」

 普段は言動と行動で軽く引き気味な俺でも、この水着にはちょっと、目を奪われている。足のつま先から髪のてっぺんまで見て、ドキドキしていた。普段も異性として少しは意識しているが、水着姿となると別格だ。グラマーなスタイルだけでは持ちえないような色気が溢れている。

「夜枝さん! キレイ!」

「ありがと、冬癒ちゃん♪ で、どうですかセンパイ? 襲いたくなりました? 人目も憚らず私を独り占めしたいですか?」

「…………そ、そうは言わない、けど。にあ、にに、にあ、にあ、にあってると思う……ぞ」

「? 目を逸らさないで下さいよ」

「う、うるさい! ちょっと……何でもない。ドキドキしてるだけだ。きっと泳いで疲れたんだな」

「お兄ちゃん見惚れるの分かるよ。すっごいもん!」

「言うな! 何でお前だけ先に来るんだよ! 先生と錫花はどうした?」

「先生はまあ…………錫ちゃんはもうすぐきますよ。ただちょっと、恥ずかしがっちゃって!」

「恥ずかしい……?」

 そう言って、冬癒と夜枝を交互に見遣る。俺は男だからあまり想像がつかなかったけど、そういうモノなのか。いや、そういうモノでなくてはおかしいのか。冬癒はまだしも夜枝は胸と股以外に大して隠している場所もない。

「ああ、そういう……やっぱり恥ずかしいのか」

「センパイ? 何を勘違いしてるのか知りませんけど、水着は衣装ですよ? 確かに露出は多いですけど、着衣泳じゃないんですから。これを恥ずかしがるんだったら、裸と何が違うんですかね?」

「……まあ。それはそうなんだけど」

「私は自分の体にとても自信があるので他の方に見られても一向にかまいませんし、その過程でセンパイが骨抜きになってくれるなら最高です♪ 錫ちゃんが恥ずかしがってるのは水着その物というより、センパイがどう見てくれるかっていう部分ですね。ほら、センパイに顔見せてないじゃないですか」

 変な恰好になるのは想像に難くないが、それは錫花にとって当たり前の事だ。それを気にしていたのは最初だけで、今となってはもう何とも思わない。顔が見えてる見えてないの違いだけでアイツの可愛さが薄れる訳じゃない。確かに顔は知らないが、その事は良く分かっているつもりだ。

 ふと、話を横で聞いていた冬癒が当たり前の疑問に口を挟んだ。

「そう言えば、どうして錫花ちゃんは顔を隠してるの?」

「…………どうしてって言われてもな。その場の流れみたいな」

「機会を見逃し続けたって事あるよね。それに、センパイは顔なんて分からなくても守ってくれるから。でもそれはそれとしてやっぱり恥ずかしい。錫ちゃん、センパイの事大好きだから」

「えーやっぱり! なんかそんな気がしたんだ! やっぱり複雑だけどお兄ちゃんモテてる!」

「冬癒。お前以上にそれを横で聞かせられてる俺が複雑な気持ちなのを忘れるなよ?」

 でも好きじゃないとあんな事はしてくれないというのも分かっている。だから元々気持ちなんて伝わっていて、見る人によっては両想いという言い方も出来るが、そういう事ではないだろう。

 恥ずかしいモノは恥ずかしい。丁度俺が半裸を何となく恥ずかしがるように。泳いだ手前もう脱いではいるが、それと似たような気持ちと思えば汲み取りたくもなる。

「真面目にそれより気になるのは、錫花はそれでもナンパされるのかって事だな。ナンパさせたくはならないけど、今一人ならされてるかもしれない」

「錫ちゃんちっちゃいから危ない人っぽさが足りなくてされてそう。身体はこの海に着てるどんな人よりいいし。あそこで口説かれてる女子大生とかよりもずっと」

「比較は良くないと思う。女性にはそれぞれ女性の良さがあってだな」

「センパイの言いたい事も分かるけど、私も同じ女性ですから。男受けするかどうかについては一段と厳しく評価しますよ」

 さて、と夜枝はバッグを降ろして、中から小さく折り畳んだテントを持ってきた。






「遊ぶのもいいですけど、せっかくだから全員揃うまで待ちたいですよね♪ センパイ、設営お願いします!」

 

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