陽だまり血だまり恋溜まり
『新宮』の表札は欠けてなどいない。それがわかれば十分だった。先生達と合流して、今ではすっかり別荘の様になってしまった隼人の家に戻ってくる。話をする前に夕食の準備をしたいらしい。
俺は二階の個室で夜枝と二人きりになって、マッサージを受けていた。
「あいだだだだっだだだだだ! ちょ、夜枝! 痛い! 痛い痛い痛い!」
「センパイ、我慢してください。ベンチで寝てたんだから自業自得ですよ」
いつだったか、先生のマッサージをした時は俺が夜枝の立場に居た。寄る年波に身体を蝕まれた訳もなし、確かに固い所で寝ると身体は痛むがそれ程でもないと勝手に考えていた。
想定は実に甘く、己の身体がどれだけ強靭だと思っていたのかと恥じ入るばかり。男と言えども所詮は人間一人。身体の強さなんてたかが知れていた。
「おかしいな……寝てた時は気持ち良かったんだけど」
「錫ちゃん曰く、呪いで精神が衰弱してたみたいなのでそれのせいじゃないですか♪ でも良かったです。センパイのハジメテは私が貰う予定だったので、寝てる間に誰かに奪われたらと思うと、気が気でなくて……」
「……何だよ」
「丁度二人きりなので、たった今襲ってしまおうかと考えています♪」
背中に身体を密着させて、耳元で囁く夜枝の言動が悪戯だという事は理解している。本来の彼女は静かで、もっと渇いている。短い付き合いでも、短いなりにそれくらは理解した。
だが年の近い女子に近くで囁かれるというのは条件反射で嫌な汗を掻くというか、その気があるのかもしれないと身体を固くしてしまう。
「センパイ、動揺しましたね?」
「…………お前なあ。いたたたた! 俺を揶揄いたくてこの役目を買っただろ?」
「あ、いえ。それは違いますよ。買いましたけど、揶揄う為じゃなくて、ちゃんとセンパイには元気になって欲しいから。私、貴方が大変な目に遭っても愉しめると思いますけど、こんな終わり方はちょっと違うので!」
「捻くれてるな」
「センパイが慌てふためくから面白いのに、こんなあっさり終わったら解釈違いというだけですよ? ふふッ、それに、センパイが壊れちゃったらハジメテを貰う時は私から奪わないといけないじゃないですか。私、これでも奪われる方が好きなんです♪ いつかセンパイの意思で、夜這いに来てください♡」
「気持ち悪い。ちゃんとマッサージはしてる所まで含めてなあああああ!? ……先生は、俺の比じゃないくらい疲れてるんだろうか」
今から未来を憂うにはまだ何も解決していないが、年を重ねるのが少し怖い。あらゆる痛みや苦しみから逃げようとするとたった今ここで死ぬしかないのは分かっているが、だからってじゃあ死のうとはならない。少なくとも今は、錫花が悲しむ。
「疲れたって話ならみんな疲れてますよ。あーあ、こんなに町中走るなんていつ以来ですかね。中学のマラソン以来? でも安心してください。錫ちゃんが下で作ってる料理は精力増進効果がある食材をメインにしてるそうですよ? 疲労回復、スタミナ増強、性機能向上! きっと食べたらセンパイも色々元気になっちゃいますからねッ!」
「あーそれはそれは…………いいかもな。あー」
夜枝の痴女ズムに則った発言に付き合ってやる気も起きない。年齢が気になるのはなにも、先生だけのせいではない。今日は本当に濃密な一日だった。冬癒の友達とデートしたかと思うと、学校で大虐殺が始まったり。『カシマ様』を倒す為に神話の世界に潜り込んだり、かと思えば水季君のお陰で隼人の真意を知る事となり、見舞いに行けば誘拐された挙句に呪詛を掛けられ。
これが一日の内の出来事なんて嘘だ。
要所で休んでいたけど、それもまだ足りない。高校において授業の疲れなどたった十分で取れる訳がないように、時間が足りなさすぎる。俺に掛けられた呪いを解く手がかりが何処にもないので行動を詰め込みたい気持ちは分かるが、それにしても限度があるからちゃんと休めと、過去の俺に言ってやりたい。
「………………夜枝。もっと腰の方頼む」
「え、センパイ。注文が多いですよ」
「一回しか言ってねえよ」
「仕方ないですね……」
明日から学校に……一応向かう訳だが、どうなる事やら。最早楽しみがあるとすれば存在するかどうかも分からない夏休みに、このメンバーで出かけたり出かけなかったりする事だけだ。
「……………あー水着が見たい」
「へ?」
「あーあーあーあーあーあーあーあーあーあ見たいなー。水着が見たいな―。見たいなー見たいな―」
「せ、センパイ?」
「………………」
「あ、頭おかしくなったの? 急に水着が見たいとか……え、本当に大丈夫?」
疲れている。
たまに奇声が出ても許してくれと、声には出さず言っている。夜枝の事は信用出来ないと思っていたが、『カシマさま』の一件で考えを変えた。根本的な性格はまだ掴めないが、まず俺の味方では居てくれる。そしてその性に奔放な発言からこういう奇行に及んでも大丈夫だと脳が勝手に判断した。
その是非を問われても困る。疲れた脳に躊躇とか結果の吟味とかを求められても十全なパフォーマンスは発揮できない。
「…………そういうの、願わなくても見られるでしょ。色々調べる為に必要な事なんだし。本当にそこまで見たいなら楽しみにしてれば? 私も……結構真面目に選んだから」
「…………疲れたよ、ほんと」
この疲労を呪いのせいとは言いたくないが、眠気に混じると耐えがたい苦難だ。皆疲れているというなら、俺だけがもう一度眠る訳にもいかないのに。
「あだだだだだだだだ! いたいたいいたいたいたいいいいいい!」
「あ、すみません。強く押し過ぎました! てへっ♪」
ああこれは。
眠れない……か。
やたら性機能向上を強調したがる夜枝を連れて一階に戻ると、錫花と先生は既に食卓に着いていた。空席はそれぞれ対面になる形で二つ。錫花の隣か先生の隣かだ。特に深い意味はないけど、錫花の隣に着席した。
「お陰様で少し休めたよ。それで、この料理は何だ?」
「……精力増強の食材は沢山あるのですが、全て使うのもそれはそれでバランスが悪いと思ったので」
だから厳選したは良いが、自分では知識が及ばず料理としての統一性が無くなってしまったと錫花は猛烈に反省している様だ。だから生姜焼きの隣に牡蠣と鯛と良く分からない魚を使ったアクアパッツァがあるのか。それなりに拘りがあるのは結構だが、肝心の俺にそういう繊細さが全くないので反応に困る。
彼女も彼女で反省はともかくある程度開き直って好きな物を選んで欲しいという事で、他にも鰻と野菜のサラダ、スペアリブのビーフシチュー、納豆が入っているらしい和風オムレツ、明太子にアボカドを加えたグラタン、梅の風味が香るポテトサラダ等々、かなり気合の入ったメンツが、それぞれ趣も違うであろう料理達が一堂に会している。
「……精力増強って言っても、一品か二品くらいでいいと思うんだけど。俺ってそこまで衰弱してるのか?」
「まあまあ。新宮硝次君。せっかく作ってくれたんだから食べないとね。こういう食卓だと同じ食事を食べている方が何となく団欒をしている気分になれるけど、たまには各人別々の料理を食べるのもいいんじゃないかな? メインに据えられる料理なら丁度、一人一品くらいで分けられるよ」
「じゃあ生姜焼き一択なんですけど。アクアパッツァ……食べた事ないですし」
「いや、この料理はどう考えても大人数で食べる事を想定されている量だ。皆で食べよう。私は……グラタンでいいかな」
「あ、じゃあオムレツ興味あるんでいただきます♪」
「残ったビーフシチューで」
とても不思議な食卓が始まった。各自で違う物を食べて、サイドメニューは小皿に分けてそれぞれ摘むと。確かに色彩的な美しさはないし、統一性もないかもしれないが、俺みたいな大雑把な奴にとって重要なのは美味しいかどうかだ。驚いてこそいるが気にはしない。錫花が作ってくれた料理だし。
―――こういうの、家じゃあんまりないしな。
だから珍しい体験としてこれは歓迎する。食べ終わってお風呂に入ったなら、疲労がすっかり治ってくれると嬉しい。
「…………新宮さん」
机の下でそっと太腿に手を置いて、錫花は消え入るように呟いた。
「夜……………………二人きりで話したい事があります。ベッド、空けておいて下さいね」
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