私の王子様
…………?
電話が鳴って、出てみたら怒られた。
「あの……どちら様ですか?」
「やっぱ忘れたんだ? アンタにとって私はその程度の女だった訳? しっかりしてよ新宮硝次! それがアンタの名前! 私の『親友』!」
「…………にいみや、しょうじ」
それが『俺』の名前?
俺の…………俺は。
鏡の奥には、人間の顔が映っている。これが俺? 新宮硝次? いや、そうだ。そうだそうだった。俺は、硝次だ。
「アンタ、今何処に居るの?」
「え…………あ、公園の、トイレですけど」
「そう。じゃあそこで動かないで。いいから絶対に動かないでよ。今から迎えに行く。どの面下げて私の事を忘れやがったのか見てやるんだから、動くんじゃないぞ!」
神速の勢いで通話が切れると、静寂が訪れた。
―――誰なんだ?
親友、と言った。
俺の親友は、親友。央瀬隼人? いや、違う。彼は死んだ筈だ。もう一人居た。と思う。親友。かけがえのない大切な人が。待つべきなのだろうか。信じていいのだろうか。顔も名前も分からない誰か。
でも、俺を。新宮硝次として認識してくれた誰か。
個室トイレに閉じこもって、到着を待つ。顔が見てみたい。誰だろうと、恩人だ。透明になっていた自分を、確かに認めてくれた人。好きになってしまうかもしれない。
「俺。新宮硝次。新宮硝次。新宮硝次。新宮硝次。新宮硝次」
今度は忘れないように刻み込む。確かに『俺』はここに居て、不安に思う事などない。鏡の中の自分が笑っていたように、元気を取り戻すべきだ。
「硝次君! そこに居る?」
ああ、声がする。惹かれるように扉を開けて出迎える。電話の向こうの主の顔は―――仮面で覆われていて、分からなかった。
「え、あ?」
「…………本当はこんな出会い方したくなかったっての。あーもう腹立ってきた。ちょっとアンタさ、歯食いしばってくれる?」
「え、え、え? あの、状況が」
パァン!
全力の手打ち。拳が平手に変わって痛みが緩くなるかと言われたら逆だ。鈍痛は鋭くなり、張りつめた触覚は身体の細胞が弾けたようだ。打たれた個所は現に、掌で触る事さえ躊躇わんばかりに熱い。
「新宮硝次! これだけは忘れないで! それがアンタの名前で、私の親友の名前! この先どんな事があっても、私はアンタの味方! 家が無くなろうと誰もが見捨てる事になっても、私はアンタだけを見てる! 自信持て、世界一の男!」
「………………顔」
「顔? 見せるか馬鹿。どの面下げてって奴よ。今のアンタに好かれても嬉しくないし。ただね、壊れて欲しくもなかっただけ。これ以上失う様な事があったら……私が廃人になりたいんだから」
「…………」
俺は、この女子を知っている。
仮面で顔は隠れているけれど、声を覚えている。溌剌とした雰囲気を覚えている。エネルギッシュな情熱を知っている。身体は知っている時より大人っぽく成長して、凄くグラマラスになっているけれど。それはやっぱり同一人物だった。
「…………揺、葉」
「そう。思い出した? あー良かった。そうだよ、私は揺葉。硝次君、元気だった? ってそんな訳ないか。こんな状況だったし。アンタの味方が見つけるまでどれくらい時間かかるかな。公園でちょっと休もうっか」
「あ、ああ」
童心に返ったようだ。昔ながらの友達と再会して、俺に断るという選択肢は出てこない。トイレから連れ出されると、ベンチに座らされた。
「……俺、何が起きて。確か誘拐されて……?」
「アンタの事が好きな女子に誘拐されて、車の中で呪詛掛けられたのね。無事逃げられて本当に良かった……ここに逃げ込んだのも偶然? なら最高ね。たまたま私が近くに居たのもあるし。女子達はまだホテル街を探してる筈。こっちとは正反対だから、捜索の手を伸ばすにはまだまだ時間がかかるんじゃない?」
「なんか、やけにハッキリ、してるな」
「SNSの力舐めんな。アンタを餌にすれば誘導なんて簡単。まあもし先に来る様な事があってもその時は逃がすから。これでも努力してね、この町の地図は全部頭に入れた訳。かくれんぼで私に勝とうなんざ十年早いわ」
揺葉は確かに俺の方を見つめると、不意に背中から俺の頭部を抱えて、自分の膝の上に追いやった。
「な、何だ」
「境界線は踏み越えなかったけど、まだ影響は受けてるみたいね。私そっちの家系じゃないから直接解くとか無理だけど。和らげる方法くらいなら知ってる。目を閉じて?」
言われるがまま。されるがまま。それが親友の頼みだから。
「…………半催眠状態ね。全く酷い話。こんな事して一体どうなるっていうんだか。それでコイツの心を射止めたつもりとか馬鹿げてる……や、それは私が言えた事じゃないか」
「ゆるは おれ なんか ねむ」
「眠くていいの。大丈夫、敵なんて居ない。ここにアンタは居る。『新宮硝次』。見失わないで。自分の事を。帰る場所が欲しいなら、家でも何でも建ててあげるから。もっと自信持ちなさいよ。自分はこの世界に居ないといけないって。硝次君は『無害』だからって、過小評価し過ぎ。こんなモテてるなら、少しくらい傲慢になったって……あーいや。それは私が嫌だな」
意識が、遠くなっていく。
「…………今度機会があったら、その時にちゃんと話そうか。隼人君の事とか、まあ色々…………その時は、ちゃんと顔見せたげる。先に見る事になったのはちょっと残念だけど………それも……………今…………」
「だって………………ずっ……………近…………………………見………」
「新宮さん! 新宮さん!」
「……………………ん」
目が覚めると、仮面が俺を覗き込んでいた。
「揺葉……?」
「は、はい?」
「あ、いや…………錫花、か」
寝起きだからか思考がまとまらない。自分が何故ベンチで寝ていたかも思い出せない。一人で寝ていたのか、それとも誰かが居たのか。分かるのは、起きた時には誰も居なかったという事だけだ。
「…………自分が分かりますか、新宮さん」
「分かる…………分かるよ。あ、そうだ! 俺は誘拐されて……!」
「そうです。それで新宮さんは自力でどうにか逃げ出して―――自力で、解いたんですか? 呪い」
「え、いやあ…………ああ、違う! 違うけど……ごめん。まだ考えがまとまらないから後で話していいか? ちょっと…………眩暈がする」
錫花は隣に座ると、俺の顔を抱き寄せて、彼女にしては力強く背中に手を回した。
「……………………………………良かった」
滾る心の情熱を抑え込む。今はきっと、そういう場合ではないのだと。量感のある柔らかさに埋もれて、一人静かに涙を流した。
「錫花。俺の事、分かるんだな」
「はい。分かります。ちゃんとネックレスも拾いました。今度はなくさないで下さいね。きっと、私が助けますから」
「…………ネックレス? ああ―…………そう、だよな。お前からのプレゼントだもんな。そうだ、嬉しかったんだ凄く………………ちゃんと、俺を見てくれる人が居る事が、嬉しかったんだ……」
過去か現在か、はたまた一夜の夢か刹那の幻か。成熟した幼さと未熟な諦観が混ざり合って、自分でもどんな気持ちかなんて分からない。ただ嬉しいという気持ちは知っている。俺を。『新宮硝次』は。生きてて良いんだと教えてくれる人が居る事を。
そろそろ窒息しそうなので顔を離す。頬が熱いのは呼吸困難になっていたからだと自分に催眠をかけてやる。そうだ、きっとそうであるとも。
「それにしても、良くここが分かったな?」
「湖岸先生に匿名の電話が来たんですよね。公衆電話で。それで新宮さんの居場所がここだと」
「じゃあ先生は?」
「他の女子達を警戒して外を回っています。霧里先輩は情報をくれた人を探してて。呪いは解いたのでもう大丈夫だと思うんですけど―――自信ないです。立てますか?」
「……大丈夫。立てるよ」
言いつつ立ち上がってみせると、錫花も同じように立って俺を見上げた。今更だが、凄い身長差だ。俺の胸が丁度彼女の頭の位置なんて。少し屈むと、錫花はポケットから青桔梗のネックレスを出して、また改めて俺に付けてくれた。仮面のせいで表情は分からないが、微笑んでいると思う。目つきも心なしか柔らかい。
「新宮さんを捜索中に色々な事が起きました。取り敢えず、帰りましょう。お互い情報共有の必要があると思います」
「帰る…………ちょ、ちょっと待った。その、帰り道に俺の家を通ってもいいか? 表札を……見たい」
「表札?」
「うん。表札。その…………あれが現実だったなんて思いたくないからさ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます