古/今東西/南北現/過
「冬癒!」
タクシーを使って家に戻ってきた。懐事情など考慮している暇は無い。頼れる人間が居ない今、何が起きてるのかもわからず、その状態で何もかも手遅れになられたらいよいよ俺は考えるのをやめたくなる。
せっかく遠ざけたのに、『カシマさま』を打倒して、これ以上の危機は無いと思っていたのに。何かあったのだとすればあんまりだ。俺の行い全てを否定されたみたいじゃないか。
「…………どちらさま?」
見覚えのない人物が、家に居る。奥からやって来た大男も、父親と呼ぶには顔が渋すぎた。そしてその男もやはり俺の事など知らない様子で、同じ質問をぶつけてくる。
それは、こちらの言葉だが。
「どちら様って、お前達が誰だよ」
知らないのも無理はない。お互いに赤の他人だと思っているし、実際そうだろう。ただここは俺の家だ。赤の他人が入っていい道理はない。道ですれ違っただけでこれならお互いにアブない奴で済むが、家にまで入ってきて気まずそうにさえしないのは如何なものだろう。
「俺はニイジマだが」
「は? ニイジマ?」
そんなバカな話があってたまるか。近所に類似した姓を持つ人は居ない。仮にそうだとして、俺が家を間違える事に説明がつかない。一方でこの家主? が堂々と嘘を吐いているとも考えにくい。むしろ正しいからこそ堂々としているとも言える。
表札を見に踵を返すと、確かに『新』の文字があった。だが続く文字が欠けている。島でもないし宮でもない。『新 』だ。
「家を間違えたのか? 仕方のない奴だな! わはははは!」
「え、いや、ちが!」
それが俺を誘導する為だったかは分からないが、後の祭り。玄関が閉じると至極真っ当な対応として鍵をかけられ、俺は家の中に入れなくなった。
「ちょ、待って! 待ってくれ! ここは俺の―――!」
家?
両親も居なければ妹も居ないのに?
扉をしきりに叩いても、決してかなわない。何故ならここは俺の家ではないから。
―――じゃあ俺の家は?
場所が問題なのではなく、建造物に拘りがあるのではなく、ただ帰る場所として家が欲しい。親友を失った俺にはせめて、労いを。壊された幻想にはやがて、安寧を。
自分でもどうにかなりそうなくらい走り回った。家の表札を片端から見て回って、『新宮』の文字を探し続けた。ここはとっくに知らない土地、人に聞いて回ったが、誰に聞いてもそんな苗字の家はないと言われた。
近所付き合いが無いだけだ。
交番に立ち寄って聞いてみたが、警察官にもやはり心当たりはないらしい。素性明かすつもりはない。ここまで『新宮』が秘匿されているなら、俺は誰でもない。誰だ? 俺は……俺ってなんだ?
「何が……はぁ……はぁ………………何が起きてんだよ! 何があ!」
いよいよネットを使って検索してみたが、『新宮』という文字がヒットしない。そんな苗字は存在しないって、あり得ない検索結果だ。そんな難しい姓じゃないし、使用している漢字も極々一般的。なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!
「はぁ……………………………はぁ」
心臓が痛い。
見上げると、綺麗な夕焼けだった。鮮やかで色濃く、昼から夜に移ろう最中に滲む空のグラデーション。信号のど真ん中で、一人崩れ落ちている。何台もの車が、それに向かってクラクションを鳴らしていた。
「………………」
確認しないと。
『 』は、誰だ。
鏡。近くの公園。公衆トイレ。
ふらふらと頼りない足を動かして、中に入る。汚い。土だらけだ。でも床はどうでもいい。鏡を見れば思い出すだろう。
」れ……………あ「
見えない。
ここには誰も映っていない。映っていないという事は、居ない?
『 』は、居ないのか?
なにもかもなにもかもなにもかも嘘でなにもかも嘘でなにも嘘でなに嘘でもかもで嘘なに嘘なにもかも嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘。
「………………」
顔が、 なんで 見えない。
音が 感じない。
耳が 視界 が
匂いが 触
感が
触れない。 聞こえない。
遠くなって いく。
錫花ちゃんと霧里夜枝を連れて、三嶺水季君が教えてくれたラブホテルへと向かった。成程、これだけの大きさがあれば女子が何人いても、体力が持つならまぐわえるだろうと呑気な事は考えていられない。女子の特権を使用して踏み込んだ。
「…………居ない?」
「手分けして探しましょう。私、上から見てきますね」
どの部屋にも彼らしき姿はないし、女子の群体も見えてこない。どれだけの数が居るか分からないけど、病院にあった痕跡から複数人なのは間違いないから、それが良い目印になると思ったけど。
「………………電話、失礼します」
「それはいいけど……大丈夫?」
「…………呪殺なんて、新宮さんは望みませんから」
ギリギリの精神に蓋をして少し遠くの方で錫花ちゃんが電話を取った。私が彼と話している間に頼る手段をかえたようだ。多分、水鏡家の人だとは思う。現実的にあの子が頼れそうなのは家族くらいだ。
―――私は、ここで待ってた方がいいか。
錫花ちゃんから目を離すのはリスクが高い。この子にもし一線を越えさせてしまったらそれは私の責任だ。自分が殺人鬼な事を今更どうのこうのと言い訳するつもりはないけど。誰かを殺人鬼にまでするつもりはないよ。
十五分程経ってから、霧里夜枝が戻って来た。
「センパイ、いません」
「そう。……錫花ちゃんはまだ電話中か」
「なんか、用事があってこっち来てたみたいですよ親族の方が。錫ちゃんに資料を渡しに来たとかで家に寄ろうとして入れ違いになったみたいです。その人から電話が来たら、もう他の用事とか無視して助けを求めてて」
「正しい判断だと思うよ。幾らあの子が水鏡でもまだ中学生だ。一人で何でもこなすのは苦労が多い。普通の何でもない呪いならそれも良かったんだろうが……今回は敵側に。やたら詳しい人が居るっぽいし」
「…………わ、分かりました! 直ぐに向かいます!」
こんなに狼狽が声に乗る彼女も珍しい。そしてこんな短距離を走ろうとして躓くのも。
「は、は、早く新宮さんを見つけないと! ここじゃないです! ていうか消えたみたいです!」
「落ち着いて。何を聞いたか教えてよ」
「―――な、何か。入れ違いになった時に知らない人からタレコミが来て……もしその事を聞いてきたら伝えろって言われてたみたいです。その……新宮さんは呪術を掛けられて夢の中……じゃないんですけど。精神的におかしくさせられちゃってるみたいです! は、早く見つけなきゃ……心が壊れちゃう!」
「それってどういう事? 廃人になるって事?」
「刷り込みみたいな物だと思ってください! 心が壊れたら新しい自我を作らないといけない。そうなった時頼れるのは最初に見た人! あの人を攫った女子の方々も血眼になって探してると思います! だって最初に見つけた人があの人の心をひとり占めできるから!」
自分で背負いきれる量を超えて、錫花は声に涙を滲ませながらヒステリック気味に叫んでいる。ああ、これはもう冷静じゃない。いよいよ、余裕はないんだ。
「ちょっと待った。それは私達が見つけても大丈夫な物なの? 好きだと思われるのは……いいけど。それはちょっと」
「仮面……仮面を付けて、顔を認識させなければ大丈夫です。それは大丈夫なんです……けど。問題は、誰も新宮さんが何処に行ったか分からない事なんです!」
「センパイが行きそうなところ……央瀬先輩だったら分かったりしたのかな」
クソ。
少し考えたけど、私達に出来る事はない。あるとすれば早く見つける事だけだ。
「とにかくまずは行動だ。急がば回れとも言っていられない。手分けして探そう」
「ユルサナイ……………………絶対に…………ユル……………サ」
「錫花ちゃん!」
狂執に憑かれそうな少女の頭を引っぱたいて、正気の世界に揺り戻す。私の仮説は間違っていたのか? いや…………もしくは、逆?
「そう言うのは後だ! 気に喰わないなら私が何人でもぶち殺してやるから! 今は彼を探さないと!」
そうだ。死んでしまったら戻らない。私が好きだった人のように。それは遠く遠く、遥か彼方へと消え去っていく。
この想いも、鮮やかだった青春も。抑えきれない衝動と、溢れ出すリビドーも。
全ては胡蝶の夢のように。或いは月の兎のように。等しく存在しえぬ、幻となりて。
プルルルルル。プルルルル。
「…………………」
「…………~すぅ」
「眼を覚ませ、馬鹿!」
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