夢を踏みしめ現実を歩く

 夢の様な団欒という奴を俺は知らない。家族には恵まれていた方だし、友達にはもっと恵まれていた。だから、ある事の幸せという奴はこれまで実感出来なかった。

「美味しい…………」

 わいわい盛り上がりながら食事を楽しむ。雷に打たれたような楽しさだった。気づかされたというか、元々気付いていたのに、今更のように知ってしまった。例えるなら普段から使っている道具や施設の仕組みに気づいてしまったみたいな……望外の喜びとまでは言わないが、気づいた自分だけがちょっと楽しくなる、細やかな幸せ。

「錫ちゃんずる~い! センパイの隣だからって飲み物注ぐなんて! 私にやらせてよッ!」

「駄目です。新宮さん、もう一杯如何ですか?」

「酒飲んでる訳じゃないけど、戴こうかな」

 まるで気分はお殿様。隣の錫花は妻か妾か花魁か。いずれの表現も合わないが、このやりとりをしているだけで彼女とは長い間付き合ってきた様な気がしてきている。赤いサイドオフショルダーの部屋着は珍しく、また錫花の肩が綺麗なまま剥き出しになっている事が珍しくて、横目で何度もチラ見している。これ以上顔を横に向けるとバレるだろう、という頻度だ。

 

 正直、妙な色気を感じている。


 酒を飲んでいたら取り返しのつかない事がおきそうな確信がある。お互いに未成年で助かった。たまに肩が触れ合うだけでドキドキするなんて、どんな初心な感情だろうと自虐したくなる。

 それを遥かに飛び越えた強烈な求愛をこれまで浴びせかけられた反動だろうか。この時間は楽しいが、楽しい以上に隣の中学生を意識してしまう。

「……これ、お酒飲んだら結構まずかったかもな」

「先生ってお酒飲めるんですね♪ 飲めないと思ってました♪」

「好きではないけどね。ただ何だ……今は凄く、楽しいよ。人生で一番。家族ってこんなにもいい物なんだなって。や、みんな他人だけどさ。その……」

「湖岸先生。今は家族でも他人でもどちらでも良いと思います。楽しければ、それで」

「そ、そうだよね。錫花ちゃん。その……私は自分がこんなに寂しがりだったんだなって実感してるよ。泣きそうだ。お酒飲んだら号泣で済むかな。ふふ…………うふふふふ…………」

 目の隈も気にならないくらい、先生は少女らしい笑みを浮かべてほんわか寛いでいる。夢のような、という表現の通りぼんやりしており、両目は微睡みに惹かれてとろんとしている。

「これくらいだったらいつでも付き合いますよ先生。今の顔、凄くいいです。可愛いと思います」

「えー? そんな事言われても……嬉しくないよ……ふふ。ふふふふふ」

「気分酔いっていう奴ですかね? 誰も酒なんか飲んでないのに、不思議です」

「先生が楽しそうなら私は気にしません。ついでに新宮さんが笑ってくれると、もっと嬉しいですけど」

「え、わ、笑う……? うーん。笑うか。楽しいとは思ってるけど、そう言われると難しいな。あはは……」

 頭を掻いてどうしたものかと首を捻る。親友二人と馬鹿やってる訳じゃない。目に見えて笑うのは難しい。説明が難しいのだが、『楽しい』には種類がある。今回のは癒される意味の楽しいだ。

 また錫花を横目で見ると、今度は彼女が俺に熱っぽい視線を注いでいた。

「な、何だよ」

「…………笑顔、好きです」

「母性が擽られる感じね。私には分かるよ錫ちゃん!」

「…………言わないで下さい。霧里先輩」

「え?」

 そう言えば相変わらず外から見えるのは左目だけなのに、錫花の感情が分かるようになってきた。仮面の下からご飯を食べている事に何の疑問も抱かない。二人は素顔を知っていて、知らないのは俺だけなのだろうが、ここまで来るともう顔の事は気にならなくなってくる。声音で大方の察しはつくし、仮面のままでも錫花は錫花だ。そこは何も変わらない。最初からそうであったように、この子はずっと良い子で、可愛い。


 ―――こんな時間がずっと続いたら。

 

 それは大抵、刹那の迷い。流れ星の消える間に三度願う暇もなく潰える程度の妄想。分かっている。夢のような時間は翻って、いつか終わる事さえ決定している。それが『夢』という言葉がぴったりな理由だ。

 食事が終われば情報共有の時間。俺から話したい事は沢山ある。様々な前提が覆りかねないような情報が出てしまった。先生達は何を教えてくれるだろう。それと併せて、今度こそ呪いを解決する手がかりが生まれると信じたい所だ。

「センパイ。このオムレツ意外といけますよ!」

「錫花が作ってるなら意外も何も美味しいだろ。どれ……一口貰おうかな」

「その言葉を待っていました♪ はいあ~ん♪」

 夜枝はまるで恋人の様な振る舞いで一口を切り分けると俺に渡してきた。直接口の中に入れてもらうのは何となく気が引けたがどうしても譲らなかったので俺の方が折れた。この愉快な団欒に心が解れたとも言う。

「私もやりたかったなあ、そういうの」

「先生はもう十分やったのでは?」

「一回もやってないよ~私は優先順位の低い女だったからねえ。見てると、自分のしたかった事がどんなに恥ずかしい事だったか身に染みて分かってくる。でも好きな人の為だったら関係ないね」

「……先生、俺が聞くのもあれですけど、後悔してますか?」

 本当にお酒に酔ったみたいに口が軽いというか、自虐もふんわりこなしている事から酩酊状態に陥っている可能性が生まれてきた。この際本音を引き出してやろうと踏み込んでみたが、先生は存外、あっさりとそれを認めた。

「そうだねえ。後悔はしてるかもしれないけど……もう気にはしてない。人間はね、何も一生に一度しか恋が出来ない訳じゃないんだ。勿論、初恋が実るならそれに越した事はない。でもさ、初恋ってのは二度目があるから初恋って呼ぶんだよね。私もそろそろ……踏み切る時なのかなって思ったり。ふふふふ……」

「……錫花。本当にお酒出してないんだな?」

「はい。その筈です。特に貯蔵も無かったと思います」 


 















 愉しい時間はそれこそ『夢』のようだった。便利な言葉だと思う。儚さも含めて、これ以上ない表現だ。食卓の片づけは全員で行った甲斐もあって素早く終わった。食後の珈琲を堪能しながら寛いでいられるのも、錫花の食器洗いが終わるまでの空き時間だ。

『新宮さんは疲れているのでわざわざ疲れようとしないで下さい』

 それが彼女の言い分で、全く言い返せる気がしなかった。もう呪いの影響なんて自分でも良く分からないくらい元気一杯だが、それで今日は散々迷惑をかけた立場という事も忘れていない。 

「はぁ…………楽しい時間は早く終わるものだね」

「先生。酔いが覚めたんですね」

「酔ってた訳じゃないよ!? ただ口は軽くなってたけど……君は、もっと大人の余裕がある私が見たかったかい?」

「そういうのはちょっと。先生は大人ぶらないでもっと女の子っぽくしてもいいんじゃないんですか?」

「三十路超えた女にそれはちょっと……私を過大評価し過ぎだ。本当にもうそんな年じゃないよ」

「高校生は女の子の最後の特権階級と言っても過言じゃありませんからね♪ もう先生じゃ手に入りません!」

「夜枝。言い方」

「確かに今の私がブルセラなんてやっても売れないだろうからね」

「先生!」

「冗談だよ。好きだった人にそんな趣味が無い限りやってないさ。やる意味もない。お金は幾らでもあったからね」

「そういう問題じゃないような……」



「終わりました。早速ですが、始めましょう」



 話の流れを寸断して錫花が席に戻った。そうだ、もうそんな時間だ。俺達をこうして引き合わせたのは、元を辿れば呪いに原因がある。

「新宮さん。まずはそちらから」

「俺? ……分かった。じゃあその、色々言いたい事はあるんですけどまずは率直に、前提が覆る事を言いますね」





「揺葉は、この町に居ました。少なくとも今日は」

  

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