求めていた世界

「ちょっと、起きなさいよ。何寝てる訳?」

「……揺葉?」

 目が覚めると、隣の机から椅子を借りた揺葉が同じ机の上で頬杖を突いていた。顔は良く分からなくても体操服に朱識と書かれている。

「隼人君も行っちゃったんですけど。どんだけ寝てる訳よ。もう遅刻確定。先生に怒られるわね」

「…………お前は何でここに居るんだ?」

「そりゃあ、アンタが寝てるから起こさないとと思ってね。だからつい私も遅刻しちゃった。二人して怒られないといけないわね。アンタのせいなんだから後でなんか奢ってよ」

「やだよ。そもそも今日雨だからお店とか寄りたくない」

「じゃあアンタの家で」

「えー」

 体育は嫌いじゃないけど、雨が降ると体育館に寄せ集められる事だけは嫌いだ。何となく暑苦しいというか、いや暑苦しいのは人数が集まるんだから当たり前というか。

 そもそも雨自体そこまで好きではない。

「っていうか早く行かないと……授業すっぽかしはやばいからな。隼の奴も起こしてくれりゃいいのに」

「アイツ居るチームが勝つんだからそりゃ行かないとまずいでしょ。蹴ってでも連れて行かれるわよ」

「俺は不要ってか?」

「まあ、活躍したことないし?」

 親友にも庇いようがない俺の運動神経の弱さ。残酷な事実を突きつけられて呆然としていると、揺葉はけらけら笑って立ち上がった。

「まあいいじゃないの。期待されてないのは楽なもんよ。隼人なんてミスしたらガチのブーイングたまにあるでしょ」

「マジでたまにじゃん」

 隼人が失敗する様な時は大抵体調がよろしくない時だ。例を挙げると前日に六時間くらいカラオケしていたとか。それでそのまま徹夜で勉強してて寝不足だったとか。

 大抵その徹夜は俺に対する指導であって、本人は教科書を読んでたらなんとかなると言って実際なんとかなっている。あまり声を大にしては言えないが、俺が大体悪いのでアイツに非はなかったりする。


 体育館に向かうと、すでに授業は俺達を差し置いてかなり進んでいた。

「お前ら何しとんじゃー!」

「ひい! すみません!」

「硝次君が寝てたので一緒に寝てました」

「お前も人のせいにするな!」

 今日はバレーボールをやっているみたいだ。遅れた俺達は試合に参加するとどちらにせよアンフェアな状態になる。罰というか報いというか、体育館のステージの上でタイマンを始める事になった。

「これバレーっていうかただのトスじゃね?」

「楽しいから何でもいいじゃないの。アンタと二人きりで遊ぶなんて久しぶりだし」

 いや、二人きりで遊んでたら授業に参加していない様な物じゃないかって。言い返してやりたかったけど、楽しかったのでやめておく。自分の娯楽に水を差すべきじゃない。

 忘れていた日常は、例えばこんな感じだろう。俺は『無害』らしく誰からもそこまでの関心を持たれず、親友とのんびりやるような世界。

「お前らせめて試合は見ろよ!」

「あ、隼人君。応援してるよ!」

「…………絶対してねえ!」

 ボールを視ながら観戦するのは一般人には難しい芸当だ。プロでも難しいと思う。バレーというのは少しでも気を抜いたらボールが顔に当たる確率が高い競技だ。いや、これは単なるトスでしかないが。




 それともこうだろうか。




「なんかクラスの奴等との文化祭の打ち上げ断っちゃって悪い気もしてるけど、俺からすりゃ親友二人のが大事だわな。で、何でカラオケなんだ?」

「揺葉がどうしても歌いたいって」

「隼人君いけないんだー。まあチクったりはしないけど。確かに隼人君は居なくちゃいけない人物かもしれないけど、いざ居なくてもあっちはあっちで盛り上がれるわよね」

「揺葉はドライだな。お前ならあっちでも盛り上がれんのに」

「それはお互い様。こうなったら三人だけの打ち上げを楽しまなきゃ損でしょ。ほら、早速隼人君歌ってみてよ」

 放課後になったら二人と遊びに行く。今日はカラオケで、明日はまた違う場所。部活に所属しても苦しいだけだが、この二人と遊ぶのは楽しいだけだ。苦しみが人を成長させるという言葉も分かるが、それより今は楽しみたい。日常とは、青春とはそんな我儘が許されていい筈だ。

『こんな……こんな日常が良かったよな』

 俺は命を懸けたりなんてしたくない。誰も殺したくなかったし、ハーレムなんて求めた事もなかった。ただ楽しくやれればそれで良かった。将来なんて考えなくて、今が楽しければ。

「どうしたの硝次君? 隼人君があんまり歌上手いから嫉妬した?」

『お前達と一緒に生きたかった』

「…………それは私も。だって楽しいもんね」

『もう辛いんだ。嫌なんだ。お前等が居ない世界で生きてる意味なんて…………もう』


「いや、私死んでないし」


 隼人がマイクを置いて俺の隣に座る。

「俺は死んじまったけど、揺葉はまだ生きてんだろ。勝手に殺してやるなよ。俺もさ、お前を残して死にたくはなかった。悪かったよ。でもまだお前は死んでくれるな。こっち来たら許さねえぞ」

『………………』

「………………」

「………………」

 揺葉と隼人は示し合わせたように俺の肩に手を回すと、俺の頭を乱暴に撫でた。


「くっだらな。絶対死なないで。まだお互い顔も忘れちゃってるけど、私はアンタの味方だから」

「そうそう。俺はもうお前の隣には居てやれないけど、傍に居る。俺が見守ってても頼りないか? でもお前が幸せだったら俺はそれでいいんだ。産まれた場所も死ぬ時間も違うだろうが、親友は親友だ。いつでもお前の味方だ」

「ま、不安なのも仕方ないか。いっちょ写真でも撮りましょうかねえ。はいチーズ」

 パシャ。

 カメラには俺を中心に隼人と揺葉が挟んでスリーショット。二人はピースサインを作って、カメラに収まるようにポーズを決めていた。

「そんな訳だから、腐らないで硝次君。きっと、大丈夫だから」
















「とうちゃ~く♡」

 現実に思考が帰って来た。帰りたくなかったが、そろそろ目を向けないとどうにもならない予感がして。俺の眼を完全に封じようというつもりなら全裸にでもなればいいのに、そこは乙女の恥じらいという奴で、外は少なくとも見た目は普通で居てくれるようだ。お陰で心置きなく目を開けられる。

 ラブホテルが目に入った瞬間、俺の脳みそは沸騰して蒸発した。確かにそういう事をする場所ではあるが、人数の許容量についてはどうにもならない。他の女子は控室にでも居るのか?

「よーし、出発しんこー! 硝次君には私達の子宮を乱暴にノックして欲しいって事で、今から部屋の壁全部壊して繋げちゃいまーす! さあみんなハンマーは持ったかー、イっくぞー♡」

 俺は行きたくないが、連れて行かれる。管理者もこんな乱暴な真似は到底受け入れたくないだろうに、女子の横暴には誰も逆らえない。というか問題行為と認識していないまである。

「エレベーターは荷重制限があるから使うな。命に関わる」

 逃げ出そうとさえしなければVIP待遇の男、新宮。惚れられているだけあって言う事は素直に聞いてくれる。だったらラブホテル以外の場所にしようと言えば変えてくれるのだろうか。でもトラックの中で痴女痴女した光景を見るのはもうごめんだ。

 車で移動した割には病院からそこまで遠くないのは幸運だったか。こんな変な場所にラブホテルがある事に感謝したのは今日が最初で、多分最後。正直真っ当に恋人が出来ても行こうという気は起きない。


 ―――携帯さえ使えればな。


 幸い俺の持ち物に手は付けられていないが、使おうとすればその限りではないだろう。今は取り出せない。大人しく女子の大名行列に担ぎ上げられて、わっしょいわっしょいずっこんばっこん運び込まれるしかないのだ。悔しいだろうが、耐え忍ぶ時である。

 想像の中だが、親友に励ましてもらった手前めげる訳にはいかない。隼人はきっと俺の機転を信じている。何か。自分一人でどうにか出来なくても、せめて夜枝か錫花辺りとコンタクトが取れれば…………!


 

  

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