緩やかに滅ぶか華やかに孕むか

 ラブホテルの壁を破壊しきるまで、俺が隔離されたのは部屋の個室トイレだ。正直言って狭い。狭すぎて頭がどうかしてくる。そりゃあ排泄をするだけなら広さなんて不要だが、隔離したいならもう少しまともな場所があっただろう。俺に対する配慮という奴は存在しない。後でエッチな事が出来ればそれでいいのかって、そんな訳ないだろ。

 見張りは居ないが、出ようとすればまず見つかる。それで今度から見張りがついて今度こそジ・エンドだ。トイレに窓なんてないから、扉を抑えられるだけで脱出不可能。

 

 だからチャンスは一回きり。


 そしてチャンスはチャンスだが、俺にはそれを有効に生かす方法がなかった。少しでも可能性が高い脱出方法とは外からの助けが絶対的に必要になる。たとえこんな状況でも俺は無謀な真似はしない。一%なんてそう何度も何度も追ってたまるか。どれだけ自分の運を信じていたらそうなるのか。

 そういう意味なら俺の運は最低最悪だ。親友を失って幸運とか言い出したら俺は速やかに自殺を選ぶ。いつの間にそんなお花畑の人格が産まれたのかと嘆きたくなる。


 コンコン。


「え?」

 こんな状況で丁寧にノック?

「誰だ?」

 返事はない、ただの屍でもない。喋れない事情があるのだろうか。おそるおそる扉を開けると、画用紙の仮面を被った謎の人物が立ち尽くしていた。

「錫花?」

 とは言ったものの、身長が明らかに違う。体型で判断しようかと思ったがこのクソ暑い季節に真っ黒いロングコートを着ている時点で只者じゃない。そこまでして身体を隠したいのかと感心してしまった。皮手袋までつけて、そこまで肌を晒したくないのか。

「…………お前、誰だ? もしかして錫花の関係者か?」

 コクリ、と謎の人物は頷く。言葉通りの反応を一々まともに受け取れる程俺も素直じゃないが、ともかく助けに来たのは事実だ。まず敵ではないというのは認めよう。

 謎の人物Aはコートを翻すとすたすたと女子達のいない方へ―――具体的には非常階段へと走り出した。置き去りにされたくなかったので後を追って俺もそちらへ。

「錫花はもう俺の居場所を掴んだのか?」

「…………」

「喋ってくれよ。もしかして喋れないのか? 外に錫花が待ってるのか?」

 徹底して喋らない。だけど味方だ。それは間違いない。女子の声が聞こえればその階を通ろうとするのはやめるし、慎重すぎるくらいに周囲の音を聞き分けている節がある。

 もしかしなくても、俺は邪魔をしているだけだったのだ。

 彼だか彼女だか分からないが、極限まで集中しているから会話をしないのだろう。野暮というか、空気が読めてないのは俺だったと分かれば一転。内心忸怩たる思いを感じて押し黙った。

 俺もちょっと自分勝手だった。それもこれも常識的という範囲を逸脱して、ついでに法律も超えて、私達こそが法律といわんばかりに性器と横暴で分からせてくる女子が悪い。

 結局非常階段から直接逃げ込める階は無かったので潔く一階へ。非常階段という所が肝で、エレベーターは恐らく動き出しが分かるし、階段は警戒されている。だが常識的に非常階段は非常時にしか使われない階段なので女子も警戒が行き届かなかった。あれだけの人数が居れば俺が逃げる筈ないと踏んでいたのだ。


 ―――聞いててなんか馬鹿になってくるな。


 なんだ、これは。非常階段とは非常時に使う階段ってそんなの当たり前だろう。俺は何を言っているんだ。同じ言葉を言い過ぎて意味すら疑問に感じてくる。何はともあれ、脱出は出来た。

 しかし外には錫花はおろか、夜枝も先生も見当たらなかった。

 トン、と肩を押される。謎の人物はとにかく走れと言っている様だった。

「ま、マジで? お前はどうすんだ?」

 ジェスチャーで反対方向に逃げると言っている。二手に分かれる作戦らしい。

「ちょ、せめて名前教えてくれよ。名前。誰なんだよお前は?」

「………………」

 謎の人物は皮手袋を脱ぐと、掌に油性ペンで一文字。『楓』とだけ書いて、拳を握り締めた。もういけと、改めて手を払われる。今度は声を掛けたって止まらないだろう。謎の人物は結局男か女かも判明させないまま走り去ってしまった。

 考える前に、俺も足を動かそう。


 ―――ここは何処なんだよ!


 ホテル街の裏手、橋の端。知る人ぞ知るラブホテル(かは知らない)は病院からそれほど遠くない距離に存在している。単に病院が大きいから目印として使いやすいだけという説はあるが、一先ず戻れば誰かと合流出来るだろう。

 唯一気にするべきは、まだ病院に女子の残党が潜伏している可能性。

 あんな完璧な不意打ちは見た事がない。女子の凶行ともなると酷評一辺倒な俺でも鮮やかだと言いたくなる手際の良さだった。あれは突発的に行われたとは思えない。手引きがあった……もしくは以前から計画されていた。


 


 何故かは分からないがあり得る話だ。勘違いしないで欲しいのは、俺は裏切者という線を考えていない。錫花は学校出身者でもなければ同年代でもないし、そもそも出身学校自体はもっと遠くの地域にある事が判明している。先生は何年も前のヤミウラナイに巻き込まれた生き残りであり、裏切っている可能性は論外に等しい。まず巻き込んだのは俺と隼人だし。

 夜枝は一年下且つ同じ学校の出身という事で一番怪しく思えるが―――良く分からないが、最初から影響を受けていない。初めてトイレで会った時もそうだが、呪いであると判明する前から状況を意に介していないというか、どうでも良さげだった。

 それに彼女を裏切者とするならもっと裏切れるタイミングはあっただろう。丹春達を保護して情報を聞き出そうとしていたところとか。あそこなんてベストなタイミング以外の何者でもない。そこで裏切らなかったなら今後も裏切らないだろうというのは希望的観測だが、狙いどころを間違える様な奴ではないと思う。

 水都姫は……良く分からないが、どう考えても影響は受けていない。俺の仮説にすぎないが、弟を代理登校させていたから何か例外処理が起きて効力が狂ったのではないだろうか。

 だから自分が登校しようと思った時にはとっくに周りがおかしくなってて、状況が呑み込めなくないまま今日まで生きてしまったとか。アイツが双子なんてわざわざネタバラシされなきゃ気づきようがないから女子もちょっかいはかけないだろう。


「………はぁ。くッ!」


 携帯で連絡を取ろうとするも、錫花に繋がらない理由が分からなくて息が乱れる。夜枝も、先生でさえも連絡が取れない。電波は通っている。向こうで一体何があったのだ!


「たのむたのむたのむたのむ…………!」


 もしかして、俺が攫われたのは陽動で。





 本命は、あの三人の排除か…………!?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る