勧悪懲悪神語

「準備万端って感じですね。あっちも」

「行こう。もう時間が無い」

 何処に続くともしれぬ道を、花嫁に対する覚悟と共に進んでいく。この先に何があろうと、花嫁は花婿を待っている。花嫁とはつまる所『カシマさま』が望む姿。そして花婿とはそんな彼女を受け入れられる男性の事。ここでは消去法で俺しか居ない。

 問題は、花嫁に候補が居る事だ。


 水鏡錫花と、湖岸知尋。


 醜いとされた『カシマさま』とは似ても似つかぬ美人の二人。そのベクトルは少し違うにしても、外見が近いからという理由で選ばれた訳ではないだろう。個人的にはむしろ遠いからこそ選ばれたまである。

 水鏡錫花は、結婚衣装である白無垢を着ていた。また、その血筋から怪異には関与せざるを得ない立場にあり、現状乗っ取られている可能性が最も高い。防御手段こと仮面は夜枝が着用しており、むき出しになった彼女に付け入る事はきっと簡単だ。

 昔の成人年齢及び結婚年齢から考慮するに、彼女こそ容姿としては遠くて、年や身長などは近かった可能性が高い。それに錫花も、俺の事は嫌いとまでは行かないだろう。口には出さないが、俺の方は彼女をめっぽう好いている。


 条件としては、最高峰。


 一方、湖岸知尋。


 未亡人の雰囲気は決して気のせいではなかった。あの人はかつてヤミウラナイにて無法無敵の犯罪に手を染め、その果てに想い人を含めた周囲の人間を全滅(語弊はある。先生は生き残っただけ)させた経験がある。叶わぬ恋に焦がれたという点で、『カシマさま』に付け入られる隙は大いにある。花婿がイコール好きな人であるなら、互いの利害が一致する。

 また、その一方的な犠牲によって勝手に村の柱にされた『カシマさま』に対して、先生は直接手を下さずとも結果的に『村』を滅ぼした。ここで言う村は昔住んでいた場所の事だ。それがあの人にとって本意でも不本意でも関係ない。『カシマさま』の望む姿に近いかどうかだ。もしも彼女が怒っていると仮定するなら、殲滅に達した先生こそ『花嫁』に相応しい。

「決まりましたか?」

「……どっちもまだあり得る。整理し直してみたけど、やっぱり駄目だ。当てずっぽうでやるしかないかも」

「センパイがどっちと結婚したいかで決めてもいいんじゃないんですか? あ、勿論私でもいいですよ♪」

「…………法律的には先生しか居ないと思うんだよな」

「え、法律? 今更そんなの気にするんですか? こんな状況で?」

「…………まあそうなんだけどさ」

 あまり強く言い返せないのも困った。女子の前に法治は無力。あらゆる凶行が見逃され、見なかった事にされていく。少なからずその恩恵に与れる女子からすれば法律なんてどうでもいいと言い切ってしまっても何ら問題ない。今はそれが正しい。

「気にしなかった場合の事は言えないよ。俺だって男子高校生だからさ。劣情の限りを口にする事は幾らでも出来る。でもそれって、紳士的じゃないだろ。仮にそいつが好きでも、せめてまともな状態になってから告白したいよ」

「…………でも、死んだらそれっきりですよ。そんな難しく考える必要ってありますか?」

「お前は当事者じゃないから好きなだけ言えるよ。多分、間違えたら死ぬんだぞ俺。膿がどうにかなるのかな、知らないけどさ。考えてもみろよ、盛大な結婚式の時に花嫁とは違う女の名前言うんだぞ。浮気か不倫の自爆だろそんなの」

「あー……そうですね。流石の私も激おこです」

「だから間違えられない。どう考えても俺は『花婿』だしな。これが自意識過剰で済むならそれでいいよ。動きやすいだろうし。だけどこんな、道まで整えた上で勘違いって事はないだろ」

 さあ、いつになったら本殿に到着するのか。霧の中を当てもなく進み続けている。直線なのはいい事だが、段々不安になってきた。俺の考察などは全部間違いで、終わりのないループに閉じ込められたのか、なんて。

 突拍子もない発想だけど、そう思ってしまうくらい霧は深く、先が見えない。

「大丈夫ですよ、センパイ」

 何かを察した夜枝が手を繋いで、そっと肩を添わせた。

「根拠はないですけど、センパイなら大丈夫です。自分を信じてください。きっと、上手く行きますから」

「…………変な励まし方だな」

「バレました? 好きな本の言葉を引用したんです。私も色々心配しましたけど、最後にはきっとうまくやれるって思ってますよ。だってセンパイは、気が回りますもんね!」

「俺が?」

「央瀬先輩の傍で『無害』と呼ばれていたなら、当然色んな事情に挟まれたと思います。でも何とかそれを処理してたから、ずっとそう呼ばれてたんじゃないんですか?」

「…………」

 隼人。

 俺の親友。

 そうだ。アイツを殺した奴を見つけ出すまで死ねない。上手くやれるかどうかじゃなくて、そうしないといけない。復讐が動機で結構、今はそれが生きる理由になっている。


 霧が晴れる事はなかったが、不自然に本殿だけがハッキリと見えてきて、血の跡が、戻って来た鳥居から丁寧に入り口まで伸びている。それはさながらバージンロード。当初俺達が追ってきた血交わって、本殿からの直線は特に紅く見えた。

「……じゃあ、私はこれで」

「頼りにしてるぞ」

 鳥居を挟んで、夜枝と別れる。さあ、ゆっくり歩けばいい。その間にゆっくり考えろ。最終的な結論を出す時間はそう遠くない内にやってくる。


 ―――共通点なんて、割り出せるもんかよ。


 花婿とは言いつつも、俺は『カシマさま』の事を何も知らない。醜いと言ってもどれくらい醜いのか、年齢、時代、身長、体重、性格、体臭。あらゆる情報が抜け落ちている。 

 手枷の片割れを装着して、もう片方を浮かすように放置する。意味があるかどうかと言われると分からないが、神話の中でここまで手首から上に拘っているからには、何かあると思った。

 そういうのを抜きにしても、ちゃんと使い道はある。


 絨毯を踏みしめて、歩く。


 足跡を取るように、踏んだ場所から色が抜けていた。


 歩く。


 歩く。

 

 歩く。


 目の前に扉。奥から獣の息遣いが聞こえる。鍵は閉まっているが、偶然にも使い道の無かった鍵が一本、ポケットの中に残っている。素人目にも鍵穴の一致した鍵は、少し捻ればこの扉を開いてしまうだろう。


 ――――――――――――――――――。


 鍵を捻って、扉を開ける。



 ああ、と。俺は頷いて―――自分の考えがどんなに浅はかだったかを思い知る。考え過ぎて、直前までこんな単純な事にも気づかなかったなんて馬鹿野郎だ。

 共通点なんか必要ない。

 どちらが相応しいかなど、騙るまでもない。


 


 それは契りであり、拘束であり、口頭で交わされるモノではない。例えば何か契約をしようとするなら、書面で残すように。



「随分と、待たせちまったな。知尋」



 湖岸知尋には、婚姻届があった。

 




 
















 かつて先生が好きになった人は、同い年だった。だからもし『花婿』を演じるなら、敢えて対等な目線で話そうと思っていた。『カシマさま』でもあり『湖岸知尋』でもある花嫁に、不自然な姿は見せたくない。

「…………ああ」

 白無垢と呼ぶにはあまりに血で汚れた着物。髪の毛はドロドロに溶けたまま固まって、不自然に絡み合って。足元には冬癒の友人の亡骸がゴロゴロと転がっていた。いずれも血を全て抜かれ、真っ青になっている。

「待ってタよ。凄く。綿死は、綺麗かな?」

 首は紐で吊ったように長くなって、舌はそれに引っ張られたように口から飛び出している。構わず喋るから歯が一々その赤い舌を切って、そこから膿を噴き出していた。

「…………っ!」

 

 おぎゃああああああ! アギャアアアアアアアアアアアアアア!


 身体の膿が、狂ったように泣き叫ぶ。身体は呼応して至る所が腐り果て、そこから膿を吐き出していく。後頭部から膿が出て来たかと思うと皮がズルっと剥けて、脳みそが剥き出しになった感覚。骨は何処行った。

「ああ、綺麗だよ、知尋。もっと近くで、顔を見せてくれ」

 激痛で喋る事もままならない筈が、愛の言葉だけが嘘のように滔々と流れていく。自分じゃない誰かが身体の中に居るようだ。互いが歩み寄ってゆっくりと。一歩。一歩。



「お待ちなさい」



 花嫁と花婿が想いを通じ合わせる、正にその瞬間。後ろからわざわざ扉を叩いてまで自己主張する声。

「婿様と結ばれるのは私です。貴方は幸せにはなれません」

「だあれ?」

「誰であっても、他人である貴方には関係のない事です。私のお腹には既に婿様の子供が宿っていますので。失礼ですが直ちに式の中止を」



「         う                そ」




 ピシッ!

 身体中の膿が、破裂する。

「ぐううううううううう!」

 耐えきれなくなって、その場に跪いた。身体の中も膿んでいるようで。俺の血液はジャムみたいにネバネバしている。足元に溜まる膿は産声の大合唱を響かせ、結婚式を大詰めへと切り替えた。

 うそうそうそうそうそ「うそうそうそうそうそうそうそうそうそうそううそうそうそうそうそうそうそうそうそ」うそ「うそうそうそうそうそううそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそ」うそ「ううそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそううそうそうそうそ」うそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそううそうそうそうそうそうそうそ「うそうそうそうそうそうそうそうそううそうそうそうそうそうそうそうそうそうそう「そうそうそうそうそううそうそうそうそうそうそうそうそう」そうそう「そうそうそうそうそう」うそうそうそうそうそうそうそうそう「そう」そうそうそうそうそうそう 

 視界が、膿に塗り潰されていく。これでは殆ど目を閉じているのと一緒だ。醜く、薄汚く、触るだけでも病気の移りそうな身体。錫花はそんな俺に向かって、手繰り寄せるように口づけを交わした。

「んっ…………!?」

「ふぅ…………ん。ぐう…………んっ」

 口の中に流れ込む、水のような触感。それがお酒だと分かるまでの間、たっぷりと流し込まれた。頭がぼんやりする反面、顔がどんどん熱くなってくる。

「好きです、婿様…………大好き、大好き、大好き、大好き、大好き、大好き!」

「ぐうううううううううううううううううう!?」

 身体中から聞こえる産声を物ともせず、錫花は俺に口づけを交わし続ける。耐えがたい激痛は、膿が由来かはたまた自前か。産声は断末魔に変わり果て、俺の身体が音を立てて崩れていく。

「そん名のユルサ亡い!」

「キャッ!」

 目の前から錫花の身体が消えた。違う、先生が彼女を突き飛ばして、床に押し倒したのだ。その手には予想していたように、鉈が握り締められている。口に流された酒のお陰で発声の邪魔をしていた膿も一時的に取れた。


「―――夜枝!」


「わた子ノ死期をじゃまスルナアアアアアアアアアアアア!」

 その華奢な首に向かって振り下ろされた一撃を、割って入った夜枝が斧で受け止め事なきを得る。第二の邪魔者に『カシマさま』は苛立ちを募らせていた。

「むこぉ……さまぁ…………わた視が……………ああああああああああ!」

「…………くっ」

 叫び声をトリガーに、錫花の足に膿が産まれた。そいつは一度外に出たかと思うと体の中に潜り込んで、彼女の細い身体を内側から溶かし、膨らませようとする。

「き、霧里先輩!」

「何も言わないで!」

 遠心力も加えた一撃を『カシマさま』へと叩き込む。顔を割らん勢いの一振りも相手が受肉した神様とあっては怯ませるのが精々だ。誰の目から見ても花婿たる俺は死角に居る。

「待てよ知尋……待てってえええええええええ!」

 この瞬間しかなかった。背中から『カシマさま』に抱き着くと、すかさず手枷のもう片方を彼女の腕に嵌めてその行動を抑止する。霧が深く、錫花の顔は良く見えない。だが俺の行動に驚いているのは何となく分かった。

 足元に、一本の杭が転がってくる。

「そ、それを…………それを、カシマさまの喉に」

「はあ!?」

「それで…………終わりです! 早く…………私が、侵される前、に」


「無辜さマあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


「センパイ! ちょ、無理無理、片腕だけでも防ぐのはもう限界っぽいです! 早く!」


 片腕だけでもすさまじい力で、振り回されているのはむしろ俺の方だ。何度か地面に手が滑ったが、それでどうにか杭を手にして―――ふと、疑問が浮かんだ。

 何故、自分が侵される前という条件が?





「私が―――神を引き受けますから! はああやああああああくう!」





 あるかないかの逡巡。

 背中を押そうとした発現こそ、彼女の真意にして、最悪の自己犠牲。

「………………ふっっっっっっっっざっけんなああああああ!」

 そんなの認めない。

 大いに勘違いしていた。錫花が先生を犠牲にする? そんな見立てはおかしいだろう。彼女との出会いを思い返せば、溺れかけてた俺をリスク承知で助けてくれる様な人だ。どうせ犠牲が必要なら自分を犠牲にする奴だって事くらい分かっていただろう。

 杭を『カシマさま』と俺の掌を繋ぐように突き刺して、真正面から体を抱きしめる。


 なんて醜い顔だろう。


 顔は黒く爛れ、目は不自然に出っ張り、鼻から膿が流れている。先生の顔を使ってそんな真似をするなんて。


 なんて醜い。


 なんて醜い。


 なんてうつくしい。


「……新宮さん、何を!」

「そんな事絶対に認めない! もう誰にも居なくなって欲しくなんかない!」


 おぎゃああああああああああああ! アギャアアアアアアアアアアアアア!


 顔の輪郭を包むように、両手でつかむ。

「知尋! 周りの事なんか見るな、俺だけを見ろ! お前が好きなんだ知尋!」

「ゅルさナいイィィッィィィィィィィィ! ゆるサあああああああ!」





 今度は自分から、口づけを交わした。






「――――――っ」

 『カシマさま』の動きが止まる。口づけを続けたまま、ポケットから簪を取り出すと、そのぐずぐずになった髪にゆっくりと挿した。簪が刺せるような髪型でもないが、確かにそれは髪の間を通ってぴったりと止まって。

「………………知尋」

 一度離して、もう一度、口づける。

「お前しか目に入らない。心の底から惚れた。改めて、結婚しよう知尋。俺が絶対守ってやるから。お前の事、幸せにするから」

 カシマ神話の終わりは悲しい物で、現実を知らない女性がただ犠牲になっただけの、ただそれだけの物語。


 それじゃあつまらない。


 誰かの悲劇は誰かの喜劇。また逆も然り。彼女が幸せになればその村はきっと不幸になっていたのだろう。それは自然の摂理という奴で、きっと変えられない。だからこそ最後の敵を倒せばハッピーエンド。そんな物語が愛されるのだ。

 『カシマさま』の正体は、神に侵された無辜の女性。

 それが明らかになっても尚、この神話の結末はこのままでいいのかと。


 いや、良くない。









「もう泣かなくてもいいんだ。せめて俺だけは、覚えてるから」










 色々あったけど、ハッピーエンド。

 それが許されるなら、どんな事だってしよう。それが正しい事でなくとも、善い事でなくとも。泣いていた人が泣き止んだ。カシマは愛する人と結婚出来た。俺達は神を殺した。

 それがこの神話ものがたりの、けつまつ。

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