神殺しの英雄

 夜枝と改めて丸太小屋を訪れると鍵が開いていた。裏側には勿論井戸なんてなくて、鍵も木箱の中には残っていなかった。じゃああの鍵はそもそも釣り餌だったのか、それとも先生が頑張って窓から入って内側から開けたのか。

「ずっと気になってたんだけど、何でお前が錫花の仮面を被ってるんだ?」

「その前に、センパイとはぐれた後の事を話さないといけませんね。あの後、血の跡が続いてたんで取り敢えず前に進んだんです」


 …………血の跡が続いてた?


 それは妙だ。神話の世界と現実は分けて考えるべきなのは今更説明するまでも無いだろうが、この場合、血の跡は二つあった事になる。俺達も取り敢えず跡を辿ろうという方針になって進んだのだから間違いない。

「空き地だったよな」

「はい、何もないですよ。でも痕跡は空き地を突っ切って森の中に入っていったんです。それも追って行ったら、大きな穴を見つけました。あれですよ、あれ。おむすびころりん、すっぽんぽんって奴」

「そんな露出狂の話じゃねえよあれは。中に入ったのか?」

「だって跡が続いてますからね。センパイ達も見つからないし、入るしか選択肢が残されてませんでした。中は思ったより広いし、直ぐ床に足がついたしで。でも不安だったんですよ? 閉所恐怖症じゃないですけど、匍匐で中を進まないといけなかったので」

 やーん怖い、と言って夜枝は身をくねくねさせている。俺に触れようとしないのは膿を警戒しているのだろう。言動が軽薄なのは演技だと随分前から知っているが、ちゃんとしすぎて演技が大根なのではないかという気もしてきた。

「全然出口が見当たらなくて不安だったんですけど、そうしたら急に錫ちゃんの声が聞こえてきたんです。それが『カシマさま』の神話ですね。聞き終わったら急に光が差し込んできて、出てきた場所が地下室でした」

「……肝心の錫花は?」

「仮面しか残ってなかったので、詳しい事は何も。でもあの子が自分から仮面を外すなんて結構珍しいから、何かするんだろうなってくらいは分かってます」

「お前はアイツの顔を見た事あるのか?」

「それは勿論。私は自分の顔に結構自信がありますけど、あの子には負けますね。センパイに見せないでくれて感謝感激って感じです♪ ただ、目つきの鋭さは本当に気にしてるみたいなので、見たと言ってもこっそり一方的に見た程度なんですよ。寝顔は可愛いんですけどね」

「本当にそれだけなのか?」

「はい?」



「アイツが仮面をしてる理由は、それだけかどうかだよ」



 説明が矛盾……とまでは言わないが、理由としてコンプレックスは弱すぎる。だってそのコンプレックスには別の解決策だってあるだろう。顔を隠したいならマスクでいいし、目を隠したいならメッシュの入った見えるアイマスクでもいい。物理的に整形で変えてもいいし、そもそも印象はメイクである程度融通が利く筈だ。

 わざわざ仮面を被る理由にしては、おかしい。

「……センパイって、水鏡家が自分自身に呪いをかける話はご存じですか?」

「んー。聞いてたとしても思い出せない。だから知らない、と思うな」

「じゃあ改めて説明しますね。と言っても本人から聞いた事なんで、詳細は話せませんけど。水鏡家は怪異と縁深い一族で、放っておくと取り憑かれるらしいです。だからそれを防ぐ為にある程度の年齢までは家の外に出さないで、自分自身に呪いをかける事が出来て初めて自由になれるみたいな。でも錫ちゃん、それをしてないんですよ。それを誤魔化す為に顔を隠してる……みたいな話は聞きました。理屈とかは聞かないで下さいね」

「……仮面は防御手段って事か。だけどそれだと仮面を外してる今はアイツにとってリスクでしかないぞ。先生を犠牲にするつもりなら、一体何の目的でそんな事するんだ?」

「…………途中参加の私には何とも言えませんね。ただ、私を呼んだ理由は分かりますよ」

 丸太小屋の中には、何もない。死体も、井戸も、先生が居た痕跡も。二階にあったのは使われた痕跡のない簡素なベッドと、撒き割り用の斧が転がっていた。何でそう思うかって、近くに割った薪があったから。

 

 ―――


 もしも先生が取り憑かれているのなら、相手には鉈がある。抵抗する為には必要だと思って斧を担いだ。これを景気よく振り回すのは、ちょっと俺の筋肉では難しいかもしれない。

「夜枝。お前は何か見つけたか?」

「屋根裏部屋があるみたいですね。梯子降ろしました」

 その声を聞いて二階の廊下に出ると、夜枝が何処からか持ってきたひっかけ棒で天井を開いていた。ほぼ巻き込まれただけの彼女に先陣は切らせたくない思いもあって、先に上る。

 携帯のライトで上を照らすと、一つの死体が柱を壁にして凭れていた。両手もある、脚もある。欠損のない死体を、ここに来て初めて見たような。

「…………うわ、埃っぽいですね」

「アレルギーか?」

「そこまでじゃないですけど、これでも綺麗好きな自覚はありますよ。死体が一つあるだけなんて見合ってないです。さっさと戻りましょう」

「じゃあ先に戻っててくれ。もしかしたら他の場所に何かあるかもしれない。俺はこいつを調べる」

 特に理由のない、ちょっとした違和感。だがこの状況で逃してはならないと思った。おそるおそる白骨死体に手を触れて、撫でてみる。人間の骨って、こんな感触なのか。

「……身体の膿、痛くないんですか?」

「お前に助けてもらうまでは凄い痛かったよ。赤ん坊の泣き声も煩かった。あんな反響してずっと聞こえてたら頭おかしくなるよ。今はなんか、寝てるんじゃないか? じゃあその内夜泣きするかもな」

「何言ってるんですか?」

「…………気にしないでくれ」

 自分でもどうかと思うくらい、唐突に不可解な現象に対する理解を見せている。これが神話の中に居る影響という奴だろうか。緩やかに頭の中が狂って、最終的には元に戻れなくなると。

「あっ」

 触っていたら首が取れてしまった。元に戻そうと手を伸ばす前に、頭蓋骨で隠れていた文字を見つけた。


『この物語けつまつに餞を』


「………………」

 そこに書かれていたのは。俺が何より欲していた、『カシマさま』に引導を渡すただ一つのやり方。しかしそれは最悪、文字通りの最終手段。彼女の憧れた景色を、彼女のやりたかった事を、彼女の全てを否定する。神話に救いなどない。その終わりに、せめてもの幸福は不要だと言わんばかり。

「……夜枝。もし俺が失敗したら、お前がやってくれ」

「はい?」

 後ろでは後輩が仮面を被っているのに鼻をつまんで立ち尽くしている。気の抜けた返事を了承とみなして、俺は彼女に魔法を教えた。

「……………………それ、私にやらせるんですね。センパイ、さいてーです」

「お前にしか頼めない事だ。頼むよ」

「―――そういう言い方はずるいです。私、絶対やりませんからね。やらせたら許しません。地獄の底まで貴方を追いかけて、そっくりそのままもう一度再現しますから」

「すまん。頼んだからな」

 神殺し。

 それが果たせるならどんな手段でも構わないと最初は思っていたが、ここに留まって『カシマさま』に侵食されている今は違う。殺すにしてもこれはない。別な方法を取りたい。願望とかではなくて、ここまで歩き回ったのだ。俺にはもう、その手段が実行出来る筈。

 錫花は先生が眼になっていると言ったが、花嫁としての身体を見ていたならどんな状態でも離れるような真似はしなかっただろう。それが出来た理由は、まだ眼にも役割があったからではないか。言い換えると俺―――俺に花婿が務まるのかどうか、みたいな。

 神話の限りでは、『カシマさま』は愛のない結婚で命を落とした。花婿に求める要素があるとすれば愛で、その肉体は愛されている必要がある。俺は先生も錫花の事も好きだ。口には決して出さないけど、結婚しても良いと思っている。

 つまり二人はまだ条件を満たしている。条件面において全く劣っていない。最後に選ばれるのはどちらか。それだけでも分かれば…………もしかしたらそれが糸口になったりならなかったり。

 ああ、全ては仮説だ。仕方ないだろう、知識が無いのだから。ただ、全くの無根拠という訳でもない。


 神話の世界は心の世界。


 ここは『カシマさま』の全てであり、その気持ちが全て内包されている。誰かの気持ちを分析しようとするなら、そこに必要なのは先入観と、それに基づいた仮説だ。

 荒唐無稽な景色も理不尽な惨劇も、全てここでは必要な情報。俺は飽くまでそれに沿った。沿って導き出した結果がこうなった。

「……ていうか、結局戻らなかったんだな」

「心配ですから」

 もうここに用はない。梯子に向かうと夜枝が肩をすれ違わせて、床に転がる髑髏を拾い上げた。

「?」

「センパイ、中に鍵がありますよ」

 



 







  







 家のあらゆる部屋に鍵を試したが、合う鍵は一つも見当たらなかった。ついでに改めて他の部屋を探し回ったがやはり何もない。とっくに役目を終えたかのように抜け殻だ。

「結局、何処の鍵なんでしょうか」

「ここで見つかったけど違う鍵なのかもな。するといよいよ本殿に戻らなきゃいけない訳だが」

 外の霧が濃くなっている。それは決して気のせいなどではなく、夜枝の方も気付いていた。鳥居は辛うじて認識出来るが、そこから先の道はぼんやりして曖昧だ。また別の場所に繋がる可能性もある。

「その前に、作戦会議をしよう。無策で突っ込むのはヤバい。夜枝、お前さっきなんか言ってたよな。自分が呼ばれた理由は分かるって」

 机を挟んで向かい合う。落ち着いて行動出来るのは今だけだという予感がして、今までにない緊張感が身体を縛っている。夜枝も心なしか、表情が固かった。

「はい。恐らくですけど、錫ちゃんも最終的にどっちが取り憑かれるか分かってないんだと思います。だから外部から私を呼んで、絶対にセンパイの味方になれる人という役割を与えたって感じですかね。離れたって事は自分が取り憑かれるつもりで動いたんだとは思いますけど」

「先生とも離れ離れになった」

 つまり。




「「どちらかはもう取り憑かれてる」」




 そしてそれこそ、最大の問題。

「神話の中で、カシマさまは醜いという話を聞いた。って事は、俺と出会う時は顔を隠してる筈だ」

「それがどうかしましたか?」

「俺が花婿って事なら、花嫁の事を知ってないとおかしいだろ。じゃなきゃ愛がある結婚じゃない。カシマさまの地雷を踏んだらお終いだと思う。お前はどっちが取り憑かれてると思う?」

「―――センパイの思考にノイズを走らせるかもしれませんし。それでもいいなら、錫ちゃんだと思います。あの子が失敗するとは考えにくいです」

「俺も今はそう思うよ。わざわざ白無垢まで着て気を引こうとしてたからな。ただ、もし先生だったら武器を持ってる。どんな方法にせよまずは動きを止めないとだろ。お前にはその役を頼みたい。この後の状況とか想像も出来ないから全部アドリブになるけど、よろしく頼む」

「…………うーん。分かりました。その代わり、今度はお家デートしてくださいね?」

「それくらいだったらお安い御用だ」

 生き残ればの話だ。

 彼女が魔法を使う事になるのなら、そんな日は訪れない。

「決まりだ。じゃあ外に出るか」

「どっちが取り憑かれてるか決まったんですか?」

「それは歩いてるうちにかんがえ―――」

 二人で霧に呑まれた道に出ると、声を失った。




 鳥居は消え、代わりに両手首を失った地蔵が整列して道を作っている。





 この先に、花嫁が居るのだろう。

 頭の中で、確かな予感が過った。

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