姦しくは享けた昏き花嫁
血の跡は平気で市街地を這い回り、まるで車線を分ける線のようにまっすぐ。確かな目的地を持って進んでいる。ただそれが赤いだけでも異常なのに、道中には肉片やら臓器の欠片が零れていた。誰も気にしていない。
道端の石ころとか、そういうレベル。日常の風景として最初からそれはあるから、今更気に留める様な事ではないとでも言わんばかり。不愉快が目に染みて、涙が止まらない。
「結構続いてますね。大通りばかり通ってるのは、後をつけやすいようにしてるんでしょうか。どんな愉しい事が待ってるんでしょうね♪ 今から怖気が止まらなくて濡れてきちゃいました!」
「……お前の気持ち悪い発言に付き合うつもりはない。絶対、楽しくなんかないぞ」
「それは私が決める事ですよーだ! それにしても、こんな大人数は想定していないんじゃないんですか? 湖岸先生くらい残ってた方がいいんじゃ」
「そういう訳にもいかないよ。大丈夫、あの子だったら家族の方が来てくれるから」
水都姫に妙な役を押し付ける様で申し訳ないとは思っているが、仮にも女子ならその安全面は保障されている。女子の権利というか強権を侵害出来るのは女子だけで、唯一故意にそれを行っている謎の人物は俺達を導くように外へ出ている。
ならば弟の安全は固い。あの情報をくれた彼には感謝しているが、もとより部外者で、今となっては貴重な日常の象徴だ。あの二人にはあのまま、普通で居て欲しい。
血の跡を追い続ける。女子が二人も居るのでその気になれば車両の邪魔をしてでも追跡は可能だ。ただそれは社会全体に被害が及ぶのであまり気乗りしない。限界は信号無視だ。追うと決めたらゆっくり追う訳にもいかないだろう。焦らないと間に合わない事だってあるかもしれない。血の跡は大通りだけを通っていくので非常に分かりやすかったが、その道のりを進む度に確信が深まっていく。
人通りの多い場所を抜けて、次第に道行く人の居なくなる方へ。いよいよ裏路地を経由するようになって怪しくなってきた。
「あれ、この先は……?」
「知ってるのか?」
「知ってるっていうか、何もないですよ。何かあった痕跡はありますけど」
「空き地って事か」
無人の家の庭を堂々と超えて(血を辿っただけだ)、遂に人通りが全滅。
目前には、色の落ちた大きな鳥居が待ち構えるように佇んでいた。
その中央を通るように血の跡は続いており、よく見ると足跡も残っていた。地面が湿っているのだ。雑草が開かれて地肌が剥き出しになっているだけの道で、日当たりが悪い訳でもない。
夜枝から見覚えのある余裕が消えたのは気のせいではないし、賢明な判断だと思う。比喩ではなく、空気が冷え切っている。白い息は出ないが、素手で雪に触れたような鋭さを肌に感じていた。
「……この先には何もないんだっけ?」
「何もなかった……何かあったような広さの何でもない空き地ならあります。大昔に小屋とか家があっても不思議じゃないくらいのスペースだったと思いますね」
「……とにかく気を引き締めていこう。ここからは未知の領域だ」
錫花はまだ来ないが、ここでゆっくり待っているのも違う筈だ。先生が先を歩くと言って聞かないので俺はその後ろについていく。
「センパイ―――」
鳥居を潜った瞬間、先生が胸を抑えながらその場に跪いた。
「くっ―――」
「せ、先生!? 大丈夫ですか?」
「…………大丈夫、だけど。結構危ないな。君には見えなかった?」
「いえ、何も」
先生は胸の辺りを擦り、異常の有無を確認。立ち上がって、頭を振った。
「―――入るなり、顔の崩れた女が包丁を片手に突っ込んできたんだ。あまりにも突然の事で声が出なかった。刺されたと思ったんだけど」
「顔の崩れた女……ですか?」
「説明が難しいな……直接見れば分かるよ。正直、女かどうかも怪しいな。汚れた白無垢を着てたからそうだと思っただけ。顔も、人間って認識は出来なかったよ」
気を取り直していこう、と先生は前向きに歩き出した。ひょっとしなくても女性限定でそんな被害に遭うのなら、二人を連れてくるのは失敗だったか。
まだ、視覚的変化はない。だから自分は安全だと心の中で思っている。ただ、この心拍だけが心配だ。周囲を針で囲まれたような嫌な緊張感が冷や汗を誘い、手を滑らせる。誤魔化しようのないくらい 俺は怖がっていた。
「…………先生!」
「何?」
「…………こんな事言うのも恥ずかしいんですけど、怖いんで。そんな先に行かないで下さい」
「―――分かった。慎重に行こう」
先生が振り返って俺の手を握り締める。ひんやりとした体温が緊張と共に上がる熱を解いてくれる。
「……冷たくて、気持ちいいです」
「あまりこういうのを喜ぶ人は居ないと思うが、君の役に立てるなら良かったよ。所で、霧里夜枝ちゃんは?」
「夜枝! 夜枝!」
慌てて鳥居を逆走したが、後輩の姿は見えない。思えば掛けられた声が不自然に切れていた。その時点で気づくべきだったのだ。携帯から連絡する手も考えたが、孤立したなら向こうの方が先に異変に対処しようとしただろう。その結果がこれなら、連絡はつかない可能性が高い。
「くそ……どうしよう。アイツ、確かに変な奴だけどだからって死んでほしい訳じゃないんですよ!」
「落ち着いて、新宮硝次君。錫花ちゃんが言ってただろう。神様に接触するには神話を知る必要がある。彼女が神話を知らないなら私達と切り離されたのも頷けるよ。ここから先は神話の中で、外に出て会えないという事は取り敢えず前に進んだんじゃないかな?」
「……先に進めって事ですか?」
「いずれにせよ、この血の跡を追うしかない。カシマさまとやらを一目拝めば何か変わるかもね」
そう信じるしかないだけ、と先生は飽くまで前向きだ。いや、これを前向きと捉えるのはネガティブ思考も甚だしいか。血の跡、そして正体不明の足跡を追って俺達は鳥居から伸びる道を突き進んだ。
こんな整備もされていない、地肌が剥けているだけの道を参道とは呼びたくないが、これから戦わないといけない存在が神なら、どんなにみすぼらしくてもそう呼ぶべきなのか。
「先生は神を信じますか?」
「神なんて居るなら、直ぐにでも天罰で私を殺すべきだったよ。君に出会うまでには、そうなってほしかったね」
「?」
「………………ほんのちょっぴりだけね。これは身勝手で、遺族の方が聞いたらどんな気持ちになるかは想像もつかないけど。死ぬにはちょっと名残惜しくなってきたんだ。だから神は信じない。私の
「……俺は、先生が生き残ってくれてて良かったと思ってますよ。これは何度でも言います」
「誰かのハッピーエンドが別の誰かの悲劇の引き金になる事だってある。逆も然りで、私はそっちだったんだろう。せめて、君には同じ末路を辿って欲しくないな」
歩いている内に、森に入った。人の気配はおろか、動物の気配もしてこない。足元を注視して、たまに見つかる蟻はどれも死体だった。
ガサ…………ガサ…………
先生と二人きりの空間に、謎の音が徘徊している。見回した所でその姿の片鱗も掴めない。そもそも草を掻き分ける音がしているだけで、草が動いていなかった。
「先生」
「気にしない方がいい……と思う。道を外れてもあまり好転する気はしない。まずは神社だ」
「いや、その。井戸が」
「絶対に近づいちゃ駄目だ」
引き寄せられるように道を逸れようとする俺の身体を、先生が引き留めた。
「錫花ちゃんの資料で読んだ。怪異の根源―――噂の起因となった場所には近づくべきじゃない。対処法と回避手段を用意してから行くべきだってね。今行くのは、死にに行くようなものだよ」
「でも! あそこに行きたいんです!」
「理由!」
「え!? 理由ってそんなの決まって―――」
―――ない。
「あ、あれ? 俺は何で……」
「言わんこっちゃない。気をしっかり持ってくれ。こんな所で死なれたらいよいよ生きる意味が無くなってしまう。私を助けると思ってさ…………こういう時って、やっぱり抱きしめた方がいいのかい? 錫花ちゃんみたいに豊満じゃないけど」
「え、いや。大丈夫です。もう正気ですから」
井戸の方はどうにも視線が外せないが、先生の言う事は尤もだ。行くべき理由もないのに行くのは得策じゃない。幸い、本殿は遠くの視界に捉えられている。二分も歩けば到着する。それまでの辛抱だ。
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