嫁入り前の化粧直し
「センパイ、おはようございます♪ 何だか面白くなってきましたね!」
保健室に戻ると、夜枝が脚を組んで保健室のベッドに座っていた。カーテンが閉まっている場所に彼は居ると思うが先生は居ない。あれから何分か経過したと思ったが、まともに話せそうなのは悪質な後輩一人とはどういう状況だ。
俺は彼女を散々悪質だと罵っているが、今まで具体的に何処が悪質かを言う事は無かった。説明するまでもないと思っていた訳だが、この瞬間が正にそれだ。
見覚えはあるが、それを顔に出す事自体が悪質。
「誰の仕業か知りませんけど、センパイを追い求める恋敵が一気に減っちゃって助かりましたー!」
「先生は何処に行ったんだ?」
「トイレでちょっと吐いてると思います」
「お前は何でここに?」
「え? だってここの学生なのに、登校しないのはおかしくないですか?」
ごもっともで、言い返せない。
だが登校したなら状況のおかしさは把握していただろう。今は女子に並々ならぬ敵意が集っている。それを知って危機感を抱かったのか……抱かなかったのだろう。特に何も聞いていないけど、この状況を面白いと言い出す奴にそんな常識的な感性は期待しない。
「お前は狙われなかったのか? あ、俺より後に来たから狙う人が居なかったのか」
「いえ、センパイが来る前から隠れてましたよ。主に外から男子が何してるのかを観察してました。凄いですね、人間って追いつめられると性的趣向まで変わるんだなって思いました」
「……へえ。お前でも命は惜しいんだな。てっきりこういう時は反撃するもんだと思ってた」
「もっと面白くなりそうなのに、ここで介入するのはちょっと違うと思いますよ。それで、センパイ。早速なんですけど、男子も女子も何割か登校してませんね?」
揺葉のお陰で今は精神的に安定しているつもりだ。ソファに座って寛いでいるつもり。背中が緊張している気もするが、思い込みだ。
「全員じゃないのか」
「死体を集めたんですけど、私のクラスだけでも数人足りません。そもそも誰が殺したんでしょうね? 女子というだけで今は超法規的っていうか、存在が正義なのに。私が思うに、そいつも女子だと思うんです♪ きっと私に近い思考で、センパイをオとすのに邪魔だから恋敵を殺したに決まってます!」
女子を殺せるのは女子だけ。その理屈は分かるし、もし犯人が居るとするなら同じ結論になるだろう。水季君が襲われたのは彼が男バレしたからというより、数の差で気が大きくなっていたと言うべきだ。職員室の無残な辱めも、女子に抵抗する力が無くなっていたからだろう(どころか生命力がそもそもないと思うが)。
「……あ、来てくれたんだ。少し取り乱しててさ、ごめんよ」
先生が帰って来た。右手には携帯電話が握られており、どうも直前まで誰かと連絡を取っていた様子が窺える。
「あー。えっと、彼女には応急処置を済ませた。女子なら病院へ行かせるべきなんだろうけど……それよりは、錫花ちゃんに頼んだ方が良いと思って連絡しておいた。あと少しで来るよ」
俺を好きな女子が無法を働いているだけで周囲の倫理観までおかしな事になっている訳ではないが、水季君の女装がバレた時、そこにたまたま女子が居たらついでの様に殺されかねない。
それこそ水都姫が付き添えば問題ないと思うが、夜枝にそれを教えたくないのだろう。先生の事だから同時に連絡はしている筈だ。素人目にも酷い骨折だったから、ちゃんとした治療を受けないと、間違いなく後遺症が残る。
「それで、少し気になる事があったんだ。君は気付いたかい?」
「気づいた? ……死体の数が合わないとか、ですか? ちょっと取り乱し過ぎてそういうのは分かんないです」
「―――ここに来るまでに、外を見た? 主に昇降口の方。表口の方なんだけど」
「いいえ」
「私も気が回らなかったです。百聞は一見にしかずとも言いますし、一緒に見に行きましょうか!」
ぴょんっとベッドから飛び降りた後輩は流れるように俺の手を掴んで廊下に俺を連れていく。窓から校門の方を見ると、昇降口から校門―――を超えてその外まで、引きずられたような血の跡がべっとりと敷かれていた。
―――なに?
来た時にこんな分かりやすい痕跡があったら幾ら俺でも気づいている。こんな露骨な推理も中々ない。
来た時になくて、今見たらあった。帰結するのは『俺達の目を盗んで運んだ』という事実。名探偵なんて必要ない。これは極々単純な物事の文脈で―――何より背筋を凍らせる、最悪の状況。
「……犯人が、校内に居たってのか?」
「へえ。もしいるなら裏口を選ぶと思ってたんだけどな……」
「私が気になるのは、こんな雑に痕跡を残していった事だよ」
保健室に戻ると、先生がココアを淹れていた。何回かの経験ですっかり慣れたようで、夜枝の分も用意してある。ソファに座って、こんな状況でも一息……難しいが、やらないと。
「これじゃまるでついてこいと言わんばかりだ。わざわざ死体を引きずり回して騒ぎにもなってないんだから、間違いなく女子の仕業だよ」
「でも、手がかりになるなら行くしかないと思います。行きましょうよ」
「待った。そこの怪我人から、どうせ行くならここでUSBメモリの中身を見ていけとうるさくてね、中身は音声みたいだから、出してくれる? パソコンあるから……あんまり詳しくないけど」
「それなら私に任せてください。そこまで専門的な事やる訳じゃないので、出来ますよ」
場の主導権は夜枝に奪われた。ずっと持っているだけで腐っていたメモリを渡すと彼女はささっとパソコンに接続。音声ファイルを見つけ出して再生した。
『何で…………私、こんな』
『あれ……? 何で、隼人君、好きだったんだっけ…………」
丹春と早瀬の声がする。二人の声には熱に浮かされた様な色気もなく、狂気に塗れた敵意もない。ただありのまま、困惑していた。
『あー悪いな。お前らを利用するつもりだったんだが、正直さ。ちょっとやり過ぎたわ』
『…………貴方、だれ……?』
『お前らが居ると、硝次の奴が苦しむだろ? もう用もないし、ちゃっちゃと消えてくれ。ここに来たのは質問があったからだ。ちゃんと答えろよ、俺の命令でお前等死ぬんだから』
『結局お前等は、アイツとヤったのか? いつも見てるって訳にもいかねえから一応な―――』
その後もやり取りは続いたが、俺はどの女子とも関係を持っていないのでデータの残り時間は少なかった。やり取り自体に大した意味はない。問題は誰がそんな言葉をしゃべっていたか。
「…………今のって」
「隼人……………………」
「そもそもこの録音は、彼女がお姉さんの身に危険がないかを調べる為に何が行われようとしてるか調べようとして設置した物らしい。学校のグラウンドで色々やろうとしてたあの時の事だね。言わずもがなだけど、央瀬隼人君はその時既に死んでる。死体も私達で埋めた」
「「なのに、生きてる」」
電話の声は、隼人だ。聞き間違える筈がない。電話から聞こえる声は厳密には本人の声ではないらしいが、それでも電話する仲でもある。聞き間違えたとは思わない。
「さて、少し状況を整理しよう。女子達は、彼がまだ生きていると思い込んでいる筈だね」
「SNSで誤情報が出回ってますからね。俺の親友のお陰なんですけど」
「そう、彼は生きているという情報は嘘の筈だった。なのにこの録音では彼は生きている」
「あの時って、裏切者って事で殺される時でしたよね。央瀬先輩を好きだった証拠が裏切者としての確証に使われる……だから、本人が居たら話がおかしくなっちゃいます。ほら、幾ら今は好きじゃなくても誰って聞くのはおかしいじゃないですか。偽物ですよこれ!」
だとしても、この音声については説明が出来ない。知りたければ血の跡を追えばいいのか? これが同一人物だとは限らないが……わざわざ死体で線を引いてまで案内しようとしているという事は、正体を教えたがっている?
女子の敵は隼人で、俺達が狙うべきも隼人?
意味が分からなくなってきた。
この音声が本人以外有り得ないのは当然だが。アイツはこんな事言わないのは良く分かっている。脅されていたって言い方がある。不自然だ。
「…………先生、やっぱり痕跡を辿りましょう。考えてても仕方ないです。何処に行ったか教えてくれるっていうならお得じゃないですか」
「……そうなるか。今回は私も同行しよう。あまり褒められた事じゃないけど、そろそろ殺人の感覚を、思い出してきた所なんだ」
「先生!」
「こんな事をした犯人がまともに応じてくれるとは思わないね。大丈夫、君の手は汚さない。こう見えても大量殺人鬼だ。今更追加で一人二人殺したくらいでなんともないから」
「勿論私も付き合いますよっ! これは同行しなきゃ損ですから! センパイの足を引っ張らないようにがんばりまーす♪ 足手まといだと思ったら、パコっとお仕置きしちゃってくださいね!」
どうしようもない宣言は聞き流す。いつの間にか傍に立っていた先生がこそっと耳打ちをしてきた。
「錫花ちゃんも来るそうだよ。追加で連絡をしたら、いい返事が返ってきた。死体は染料、カシマを介入させたなら、今日は丁度嫁入りの時期だって」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます