大難女来のセクシャリテ

「おーい。おはようというか、早く起きないと遅刻するぞー」

「…………ん……せん、せい」

 寝覚めがそれなりにいい事もあるだろう。先生のダウナーボイスに触発されて意識が現実に戻って来た。身体が重いのは寝起きからではない。錫花の身体が上に乗っていたからだ。

 それは不可抗力というよりも俺の寝相としてそうなった可能性が高い。まだしっかりと抱きしめている。珍しく錫花は眠ったままであり、起きる気配も見せなかった。

「……錫花?」

「珍しいね、ずっと眠ってる。こういうの熟睡って言うのかな。さて、どうだろう新宮硝次君。今なら仮面を剥がしても気付かれないと思うけど」

「…………それはそうですけど、自分から見せてくれるまでは待ちますよ。目つきがどうのって言ってたじゃないですか。割れてるからちょっとだけ見えてますけど、最近はちょっとだけ見えるのがいいという気がしてきました」

「その辺りの趣は良く分からないが、錫花ちゃんが起きないなら仕方ない。私が朝食を担当するから、直ぐに来てくれ。簡単な物しか出来ないけど」

 直ぐに着替えるんだよと言い残して先生はリビングへ。何度か呼びかけたが錫花は結局起きなかった。起こさないよう慎重に身体から離して出ていこうとすると、いつの間にか組まれていた右手が離れてくれない。

「……し、死んでる?」

 死後硬直で掴んでいるとしか思えないくらい固い。指を一本一本ゆっくり剥がさないと駄目だった。それっきり手は開いたままだが、心なしか寂しそうにしている気もする。錫花は眠っているのに、俺は何を言っているのだろうか。

「…………いつも俺の為に頑張ってくれてありがとな。今日くらいゆっくり休んでくれ。行ってきます」

 最期に手を重ねて、改めてリビングに向かう。簡単な朝食は本当に簡単で、パンを二枚焼いてピーナッツを付けただけだった。付け合わせの飲み物は牛乳か。

「本当に簡単だ。や、この組み合わせは好きですけどね。先生は大丈夫ですか? 養護教諭って生徒と同じ時間帯に登校しても大丈夫系?」

「大丈夫ではないけど、私だって女性だからね。多少の無理は通るよ。この特権に甘えるのは何だか、現状を肯定しているみたいで複雑な気持ちだけど」

「先生、この状況にかこつけて婚姻届け書いてますもんね。そりゃ肯定くらいしますよ」

「成程? じゃあどうぞダーリン。新婦の手作り朝食をご堪能下さいませ」

 色々違う。

 違うけど、束の間の新婚気分に思いを馳せた朝食はちょっと面白い。トーストも簡単なだけで美味しいし、朝の活力を得るには十分なクオリティだった。錫花と違って作業の効率化には慣れていない先生が、作業の積もり方に四苦八苦しているのは見ているだけで楽しい。

「手伝いますか?」

「いやーそろそろ遅刻するからやめておいた方が良いよ。君が遅刻なんてしたら取り返しがつかない被害を招く恐れがある。私の事は気にしないで早く行くんだ。その代わり、またいつかマッサージ宜しく」

「それは整体行ってくださいよ。間違いなくそっちの方が効果出ますから」

「こういうのはコミュニケーション。いいんだ、技術力に差があってもね」

 先生の言いたい事は理解に苦しむが、行けという厚意を無駄にするのはこの場合どんな選択よりも失礼にあたる。どうしても様子は気になったが彼女を信じて、俺は学校へと向かった。


 歩く道のりに、隼人は居ない。


 一人ぼっちだとどうしても寂しさが勝る。誰か一人、話し相手でもいいからいてくれたらと思うと、今ではすっかり揺葉が選択肢に上がってしまう。だがこんな朝っぱらから掛けるのは流石の俺も気が引ける。アイツはどうせ、気にしないような事を言ってくれるのだろうが。




「お、新宮先輩じゃないっすか。おはようございます」





 通学路で最も使われる大通りに出ると、肩を並べるように一人の女子が話しかけてきた。厳密には、男子だ。ただ女子の―――姉の水都姫と同じ格好をしているだけ。

「水季君。今日も呑気に女装か」

 男子が女子の格好をするのは大分無理があると思うのだが、明確に違いが現れるような場所は着こんで幾らでも誤魔化す心意義が感じられる。恐らく双子だとは思う。ウィッグで髪の長さを繕えば、まず親しくない人間は気付けない。

「あんましそういう言い方どうかと思うっすね。聞かれちゃまずいし。僕も周りに誰も居ないから来たんすけど」

「悪い。USBの事だけど、見てない。君の顔見て思い出した」

「あーはっは。早い所見てくれた方が色々助けられると思うんですけど、まあもう。お好きなように。それと姉ちゃんと何かしました? 凄い機嫌が良かったんですよね。恥ずかしくてまた逃げたとも言ってましたけど」

「……暇つぶしに付き合ってもらった記憶はあるけど。恥ずかしいのは分からないな」

「そっすか」

 世間話に華が咲いている? だが微塵もこの緊張感は解れない。この時間帯になると道路には車やバイクを見かけるようになるが、それより多く見かけて然るべき―――高校生が見当たらない。彼も異常事態には気が付いているようで、それとなく周りを見回している。

「お姉さんは登校しないのか?」

「いやー。無理っすね。特に今日は調べ物あるし。大体用事が無くてもこの状況で登校する旨味がないっつうか」

「君は登校しないのか?」

「多少休んだって問題ないっすよ。問題ある時は姉ちゃんをいい感じに利用するとどうにか出来ます。新宮先輩には悪いっすけど、住めば都テンションで割と助かってる部分もあります」

 ……本当、好き勝手言ってくれるな。

 全く事実なので反論のしようがない。とにかく女性が絡めばあらゆる事がお咎めなしの状態だ。流石に不健全というレベルを超えている。そんな混沌を上手く活用出来る人間からすればこれ以上ない天国だろう。

 極論、女性を暗殺者として雇えば好きな人物を殺し放題だし。

 校門に到着したが、学校は不気味な程静かで、明確に異常を伝えていた。分かりやすく死体があった方がまだ救いようがある。


 窓という窓が全て開いているのだ。


「…………ん。ん。と、取り敢えず一緒に探そうか、硝次」

「君、声真似上手いな……分かった。手分けして調べよう。これはちょっと、嫌な予感がする」

 水季君と昇降口で別れて、俺は自分の教室の方に戻る。女子の様子のおかしさには兆候があった。デパートに買い物に行った時の凶行はどういう観点から評価しても正常にはなり得ない。

「…………!」

 

 教室は静かだった。

 

 一人っ子一人居なかった。整列された机の上に並べられている腕の数々は、詳しく観察しないでも個体差がある。黒板には『殺生は罪である』との文字。机の中には対となる腕が隠されていた。

 こみあげてくる不快感は吐瀉物に成り代わる。すんでの所で呑み込んで、胃液が喉を焼いた。痒い。熱い。

「…………っ」


 また別のクラスを覗くと、そこにもまた、腕がある。

  どのクラスを覗いても腕があった。

   ならばと特別教室を覗けば。


 今度は足があった。

 まるでパズルのように学校中に散りばめられた無数の人体パーツ。目的も使途も不明。全校生徒分とは思えない。それなら机の数が足りなさすぎる。

 職員室はどうだ。


『あーまじたまんねー!』

『ほんと、抵抗しなきゃこっちのもんだろ』


 何人かの男子の声が聞こえる。耳を澄ませると、顔を殴るような音とそれに混じる水気のある音が聞こえたり聞こえなかったり。



「ちょ、まって! 助けて! 違うぼぐああああああアアアアアアアアアアアアアアアアア!」



 丁度そんな時だ。近くの女子トイレから水季君の声が聞こえたのは。考えるより先に身体が動いた。中ではバットを持った男子が囲んで水季君を撲殺せんとしている。既に腕の骨は折れていた。

「――――――!」

 カっとなった。

 そんな、短気な言葉を実感する日が来るとは。バットが振り下ろされる前に背中から股間を蹴り上げる。

「ごっ…………!」

 もんどりうって倒れた一人目に気を取られた隙に、がら空きになったバットを握って躊躇なく残る二人を胴体にフルスイング。遅れて新宮硝次の存在を認知した男子が、何か言おうとしたが構わず叩きのめした。

「てめえ! ら! 何! してんだ! 勝手に! 手を! 出すな! 殺すぞおおおおお!」


 何度も。何度も何度も。何度も何度も何度も。


―――幸運にも、明確な殺意は勢いだけに留まった。


 騒ぎを聞きつけた他の男子もといクラスメイトや上級生がこの女子トイレに集まって来たのだ。

「おまえ―――何してんだよ!」

「硝次ぃ! てめえこの人殺しがよ!」

 凶器を握り締める手に力が籠る。

 理由はどうあれ女子は居ない。そしてここは行き止まりだ。俺が殺されるか、殺されなくても水季君は見逃されないだろう。



 ――――――。



 床に崩れ落ちた男子の背中を踏んづけて、バットの芯で狙いを定める。

「…………お前等さ。こいつ殺されたくなかったらどけよ。どうでもいいならそれでもいい。俺を殺したいなら襲って来ればいい。全員殺してやる。もう知らん。そうやって俺の周りから正常まともを奪うならこっちだってやるさ」






「お前等全員、死ねばいいんだよ」 

 






 今の俺は、『無害』とは程遠い。

 だけれどそれは、誰かが望んだ事だ。俺から親友を、日常を、常識を奪った誰かが。俺をアブない奴にした。



 これ以上は。自分が自分で居られる気がしない。

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