失恋執愛恋便器

「昔、昔のお話です。かつてこの町にはカシマと呼ばれる女性が住んでおりました。カシマは大変醜い女性でしたが、町の人々は彼女を持て囃しました。気立ての良さがあった訳ではございません。目も眩む財の持ち主ではございません。理由は当人でさえ知る由もありませんでした。悪い気はしません。嫉妬もなく、怒りもなく、敵意もない。あるのは羨望の眼差しのみ。たとえ自分の容姿に自信が持てずとも、彼女は幸せでございました」


「ある日、カシマは自分が持て囃された理由を遂に知る事が出来ました。彼女は神聖なる場所で、選ばれし男性と結婚をする事になっていたのです。その顔が分からなくても、彼女は男性に惚れてしまいました。果たしてどんな顔であっても私はきっと好きになる。或いはどんな身の着であっても私はきっと愛してやれる。一年に一度きりの、他のどんな行事よりも豪華で一体的な結婚式。彼女は満たされておりました。目も眩む財も、気立ての良さも最早不要な物でした。他人の事など取るに足らない些末な事象。あるのは安堵の吐息のみ。たとえ己の疑り深さに自信があっても、彼女は幸せでございました」


「遂にカシマは結婚式を迎えました。彼女は神聖なる井戸の底で、選ばれし男性と鎖を結び、永遠となりました。宴の後始末はほどほどに、二人はこれからもいつも一緒。捧げられ神の贄となりて、この町を見守ってくれる事でしょう。ああよかった、と町長が言いました。この町はこれで安泰だ、と。カシマに非はございません。あったのはほんの少しの偶然。ほんの少しの悪意。今年の生贄はアイツにしようと言い出した誰かが居たのです。あるのは喜びの祈りのみ。たとえ間違いに気が付いても、彼女はとうに溺れておりました」




「…………以上が、『カシマ』の神話となります。分かり辛い所があったら解説します」

「……つまりどんな神様なのか聞きたいんだが」

「カシマはかつては祀られる事でその悪性を鎮められていましたが、今や放逐されたその場所で、その怒りを募らせていると言います。祀られた際は縁結びの神とされたので、そのような効力自体は期待出来るとも言われています」

「今の話を聞くに裏がありそうだ。選ばれたという時点でカシマは喜んでいた。つまり一般には知られていなかったんだ」

「その通りです、湖岸先生。カシマはその怒りを慰めている間、縁結びの力を十全に発揮すると言われています。神を介した呪い―――それが縁結びの性質を孕んでいるなら新宮さんに対する執着の強さも頷けます。勿論、新宮さんのクラスメイトも同じ神の影響を受けていた場合の話ですが」

「違うのか?」

「今までの様子を見た私の所感になりますが、新宮さんのクラスメイトと妹さんのご友人は反応の仕方とその代償が異なっているように思います。デパートのあれです。大分、違うと思いませんか?」

 あの時の女子の様子はおかしいを通り越してとっくに狂っていた。それも一見正常に見えるとかではなく、分かりやすくおかしくなっていた。目から血を噴き出しながら男性を殺し続けるのは尋常じゃない。

 一方、冬癒の友達は俺に執着こそしているが執着の仕方は半端で、他の男性に対する攻撃性も特になかった。ケーキの店に行っている時も俺のクラスメイトだったら行列なんぞ無視して買っていただろうが、そこは律儀に並んでいた。というか悩んでいた。

「話を戻します。カシマは顔に巨大な膿がある女性です。井戸で殺された際、その膿は顔全体に広がっていったと言われています。膿に捧げるというのは、カシマが居る場所に捧げようという意味になります。もし機嫌を損ねた場合ですが……どうなるかは分かりません。何処に居るかも分かりません。ですが想像はつきます。縁結びは翻って縁を切り。二度とその縁が結ばれる事のないよう、怒りを買った者の顔はカシマと同じようになるでしょう」

 それは女性に限って悍ましい話じゃない。顔全体が膿むと思うと、それだけで寒気が止まらない。まるで自分が怪物になったような錯覚を受ける。強大さとか怪物っぽさで『怪物』という単語自体に好感のある人間は居るだろうが、顔が膿んだ人間はただ醜いだけだ。

 そこには強大さも怪物っぽさもない。まさしく化け物で、端を発する感情は生理的嫌悪感。そこはどうしようもない。死体は見るだけでもストレスになるように、あまりにも人間を見失った形態は無意識の恐怖を掘り起こすのだ。


 そういう意味だと、隼人の死体は変に荒らされなくて良かった。


 いろいろな意味で、まともではいられなかっただろうから。

「カシマの居場所を特定する方法はないの? いや……確か読んだ限りだと、神話を知ればその内行けるようになるとは書かれてたけどさ」

「カシマを認識した今、迷い込む可能性は生まれました。此度は性質上、向こうから狙ってくる事は無いと思います。ですが一度迷い込めば……カシマと契るか、死なない限り出る事は叶わないでしょう」

「婚姻ってのは……え。井戸に飛び込めって事か?」

「そうではなくて、カシマの怒りを慰める役を務めようという意味です。探そうとするなら……既に契った三人の後をつけるか、どうにかして一緒に行くしかないと思います。ただ、カシマにはまだ不明な点が多いですから。リスクが高いとは思います」

 デザートは美味しかったが、頭を回すにはまだまだ糖分が足りなさそうだ。解決しなければいけない問題の全体図が曖昧だと、どうにも不愉快な気分になる。スッキリしない。単純化してはいけないと分かっている反面、どうしても分かりやすさを求めてしまう。

「……ココア、用意しますね。新宮さんにはコーヒーでも」

「有難う。貰うよ」

「あの三人が直接お供えしてるのは考えにくい……というか、分からないんだよね。ケーキなんて現代的な物を求めるのかな。その辺はどうだい?」

「……カシマの『神話』を教えた人が間に入っている可能性はありますね。怒りを買えばその人もまとめてどうにかなるとは思いますが、嘘を教えられていても問題はないです。ただ怒りが鎮められていればいいので」

「成程、一筋縄ではいかないか。明日は平日だから学校に行かないといけない。授業が今後どうなるかも気になる所だ。考える事が沢山あって嫌だな」

「他の男子が素直に登校するとも思えませんしね。実質ハーレムみたいになってましたけど、いよいよ何処にも居なくなるってのは勘弁してほしい所です」

 これ以上考えても実のある話は出来ないだろうという流れで、今日はお開きになった。

 コーヒーを楽しむだけの僅かな時間。錫花はずっと俺の方を見て、そわそわしていた。

















 一通りの就寝準備を行って、ベッドに居る。

 妹から怒りの電話が来る事はなかった。まだ事情を把握してないのだろうか。それとも俺と友達がそういう関係になっている最中と勘違いして……とか? 

 そんな勘違いは、されるだけでも困る。

「……お休み、新宮硝次君。また明日、今度は元気な声を聞かせてくれ」

「疲れてました?」

「割とね。それじゃ」

 先生を見送って、扉が閉まった。すれ違うように入って来た錫花が鍵を閉めると、ベッドの上で正座した。

「まだ行く事はオススメしませんが、やんごとなき事情で行く事があるかもしれません。その時は私に連絡してください」

「……ついてきてくれるのか?」

「新宮さんには、死んでほしくないので」

 そう区切って、恭しくお辞儀をする。


「では、今日も抱いてください」


 ベッドインという言葉自体は、そう間違っていないか。

 最初はドキドキしていたが、繰り返していると少しだけ慣れてきた。小さくてふわふわな中学生を包むように抱きしめると、彼女の鼓動が直に伝わってくる。今日は少しだけ早い。

「……もっと強く、抱きしめてもいいですよ」

「え?」

「死なない保障は出来ません。追い詰められた生命は保存本能を発すると教わりました。怖いようなら……構いません。直に、種の保存を試しても」

「――――――そこらの女子に言われたら嫌悪まったなしなんだけどな。錫花。お前が真面目に心配から言ってくれてるのは分かってるから、そうもいかない。ありがとな。でもお前と先生と……不本意だけど夜枝とか居るから。いい。まだ大丈夫。社会常識を優先するくらいの余裕はあるよ」

「…………社会常識なんて、今は役に立たないと思います」

「役に立たないな。クソの役にも立たないから女子が好き放題してくれてる。でもそんな理由で中学生孕ませたら騒動の事なんかどうでもよくなる。お前を幸せにする為にどうすればいいかって事ばっかり考えるよ。だから駄目だ」

 実際、常識なんて物は俺を救わない。

 さっさとそういう概念が助けてくれれば隼人が死ぬ事はなかった。今まで教わった概念なんぞに期待はしていない。だがそういう関係になってしまった場合には、そいつの事を考えて生きていくのは当然ではないだろうか。それが責任を取るという事の筈だ。

 社会とか常識とか倫理とかじゃなくて、俺の信条。

 段々、眠くなってきた。

「―――つかぬ事をお聞きしますが、新宮さんから見て、私は好みに入りますか?」

「そういうの、今はノーセンキューなんだよな。恋愛アレルギーってレベルで反応に困る。でも何だろうな。お前って周りに居た事がある女子の、どんなタイプとも違ってさ。だから例外に入るんだろうなって思ってるよ」

 強く抱きしめる。

 それはカシマへの恐怖か。それとも離れるなという強い独占欲俺の知らない気持ちか。




「お前が居てくれて、良かったよ錫花。デートが終わってこの家に来てからはずっと、幸せだった」

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