かくも雌の香りはかぐわしきや
「あれ。もう帰って来たんだ? なら起こしてくれても良かったのに」
「先生、おはようございます」
「もう夜だよ。こんばんは。デートは楽しかったかい? ふぁああ……ごめん。寝起きだから、顔酷いかも。今日はこっちで食べるの?」
「まあ色々と訳ありなもんで。晩御飯は奇跡的にまだ出来てないんで、顔でも洗ってきたらどうですか? 先生、寝不足だからかいつも若干顔色悪い感じしましたけど、今日はいつになく調子良さそうですよ」
「……こうなる前も、睡眠は取ってたんだけどね。何か、変わったかな。生活習慣は変わったかもしれないけど、良くなったとは言わなそうだ」
そんな風に言い残しながら洗面所の方へ先生が消える。妹の顔に何か出る可能性を考慮して今度は連絡を入れていない。台所では錫花がちゃかちゃかと食器の準備や盛り付けを行っている。並行してある程度洗い物も終わらせているのは凄い家事能力だと思った。
「たまには私もやるべきだなって思う事もあるんだけどね。家事。錫花ちゃんを知ってるとどうしても、任せちゃうな」
「家事は好きなので気にしないで下さい。私も、調べ物に集中している時は任せてしまいますから」
「……ここって不思議な関係ですよね。二人同士じゃ直接関係ある訳じゃないのに殆ど共同生活っていうか。先生は家ありますよね」
「……関係性の是非はさておき、まだ家族がいる君には分かって欲しくない所だ。この年にもなるとね。無性に一人が寂しくなるんだよ。いや、以前はそうでもなかったかもしれないけど……君と出会ってからは、何だかね」
「はあ」
あんまり良く分からない。実感が沸かないし、先生みたいな目に遭うならとっくに手遅れだと思っている。自分のせいで周りが大勢死んだと分かったらとてもとても。逃げる事さえ出来ないだろう。
身体が固まって動かない。
或いはそのまま、永遠。
「お待たせしました」
先生の方に運ばれたのはネギで彩りを持たせた麻婆豆腐と、切り干し大根のサラダ。それに……具材は良く分からないけど、何かと卵を合わせたスープ。メイン料理が料理なので中華料理色は強いが、全体的にはヘルシーに見える。
「新宮さんにはこちらを」
こちらにも麻婆豆腐は来たが、先生と比較すると豆腐が増し増しで加えられている。卓上にはお好みでラー油の小瓶が置かれた。しかしメインはそれというより隣に積まれた大きな唐揚げだろう。大食いではないが、一つ一つが大きいのでボリューム感は十分。横に小皿でまとまっているのはわかめスープだろう。
「おお、美味そう!」
「個別にメニューを変えるなんて器用な事するね。まあフランス料理作れる子なら簡単か」
「え、作れるのか?」
「……あんまり得意ではないです。こういう普通の、あんまり何も考えなくていいような料理の方が私好みで」
「言うね~。あんまり気負ってない所も普段から料理してるっぽいな。また時間があったら教えてよ」
「分かりました」
二人のやりとりを見ていると心が和むのは何故だろう。錫花は仮面で殆ど表情が見えず、先生は気だるげな様子が抜けきっていない。単純な様子だけ見ると決して楽しそうではないのに、安心感を見出す自分が居た。
頬が緩んで仕方ない。気のせいでも良い。二人が楽しそうに見える。
「……うん。デートっていうのはやっぱりこれくらい楽しくないとな。今日のはやっぱりデートじゃなかった。多分拷問だ」
「流石に失礼だと思うけど……まあ、あながち間違いでもないか。そもそも君は正当な理由なく好かれて追い回されてる訳だし。文句の一つも出るだろう」
「差し支えなければデートの行程を教えてもらえませんか? 新宮さんからそのような発言が出るという事は、余程好みではなかったのですね」
「そんな好みとかいう次元じゃない。気持ち悪かった。頼んでもないのに接待かと思ったよ。想像する理想の俺を演じればすぐ喜ぶのもどうかと思った。本当の俺なんて誰も見ちゃくれないんだ」
「思春期?」
「まあ思春期かもしれませんけどね。デート誘っといて俺を気にかけてないのはどうなんだかって思いますけど。そうだ……食事が終わったら話したい事があるんです。錫花も聞いてくれ」
「分かりました。デザートは用意しますか?」
「…………あるなら、貰う。買ったのか?」
「作ったのを冷やしてあります。お二人の口に合えばいいですけど」
自作デザートと言うからにはアイスクリームとかその辺りを想像していたのに、チョコレートケーキが出て来た時の心境を答えよ。点数は十。
「なんか、今日は張り切ってるな」
「湖岸先生には協力してもらった恩が、新宮さんはお疲れのようでしたから」
「うま…………うま……。やっぱり食べてばっかだなあ私」
「実際美味いから良いと思いますよ。それで錫花。話したい事なんだけどさ。デートの最中に女子の様子がおかしくなったんだ。具体的には……正気に戻った。俺が大好きな状態から普通になってたんだ。命の危険を感じたとか、夜枝は言ってたけど」
「その事で、霧里先輩から映像の提供を受けています。まずはそれを見せますね」
錫花の携帯が机に広げられる。映像は既に始まっていた。
『ねえどうする!? どうしよ……!』
『お、お供えってどれがいいの…………?』
『やだ、早くしないと…………』
ケーキ店は人気であるらしく、雑踏の音が混じって途中途中が上手く聞き取れない。そこまで考慮したのか夜枝はご丁寧に文字起こしまでしていた。
『ねえどうする。どうしよう。このままだとヤバいよね』
『お供えってどれがいいの。間違ってたら死ぬ』
『やだ、早くしないとカシマさまが怒っちゃう』
『うみ? に、 捧げないと』
「……うみってなんだ? 海?」
「いえ、膿だと思います。霧里先輩は詳しくないので発音だけ違和感が残ったのでしょう。いつ何が現れても大丈夫な様に調べていましたが、これで正体が分かりましたね。少なくとも新宮さんの妹の友人はカシマさまを介して呪いを受けています」
「カシマさまっていうのは…………私の時代だと、カシマレイコとかになるなあ」
「カシマ。化けるに間が一般的ですね。歴史ある神様ではないです。厳密には神でもないし怪異でもない……あまり上手い言い方が思いつきませんね。造る神様って所ですか」
造る神様。
聞きなれない言葉に首を傾げる。先生は手を挙げて意見を表明した。
「ちょっと待った。科学的かどうかはさておき、それは割と色んな宗教の論理に反するんじゃないか? 八百万の神々とは言うけどね、それは現象や場所にも信仰を見出しているだけで、自分達から作りましょうとはならないと思うんだけど」
「だから、厳密には違うんです。神様になる方法は簡単ですよ。素質ある存在に信仰があればいいんです。例えばトイレの花子さんですが、あれは地域によって差はあれど出会った事に利益がないので信仰されませんよね。だから飽くまで怪異に収まっている訳ですが、もしも全国的に多少信仰されていたなら彼女は神になっていたと思います」
「神ってそんな簡単になっていい物なのか?」
「『本物の神』はなろうと思ってなれる訳ではないです。飽くまで『神』になりたいならという話。違いは分からなくても良いと思います。今回の話には関係ないので」
「それで、その神様ってのはどうやって信仰を集めてる訳?」
「その前に、カシマの話をしたいと思います。神に接触するには『神話』を知り、興味を持つ必要があるので」
かしこまった様子で、錫花が一度会話を中断。まるで在りし日の想いを馳せるかのように、静かに語りだした。
「それでは、忘れられない恋の話を
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