薄暗闇の寝風俗
家を訪ねると、珍しく錫花は居なかった。休日も休日らしく惰眠を貪っている先生が二階で一人、眠っているだけだ。コートハンガーに白衣がかかっているのは実に珍しい。
「…………」
こうしてみると、湖岸先生は死体みたいに眠っている。それが本人の願いだと言わんばかり。気持ちよさそうとは思わないものの、これ以上苦しむ事もない。ベッドは広いので少し離れて眠るのも考えたが、俺は自分の寝相を知らないし、ひょっとしたらいびきだって掻いてるかもしれない。
それらを考えると、どうせ寝るならリビングのソファを使った方が良い結論に至った。睡眠は邪魔するものじゃない。相手が誰でも、せめて気持ちよく眠るくらいの権利はあるだろう。
リビングに戻ってきたが、珍しく机の上には何らかの資料が山積みになっていた。軽く目を通した所によると全て『呪い』や『怪異』や『神』に纏わる物だ。右下には作成者と思わしき名前が―――水鏡なので、家族から貰ったのか。
「―――――」
軽く目を通してみたが、隣に彼女が居ないと二割くらいの理解しか及ばなそうだ。ソファの上に寝転がると、背もたれに掛かっていた毛布を体に敷いて目を閉じた。
―――誰も邪魔、しないよな。
邪魔をされないで眠りにつく。下らない日常も、ああなんて。幸せな事でしょうか。その有難みという奴を実感している。このただならぬ異常事態の中でも気にせずこんな事が出来る環境が、この世では一番有難い。
「……お休み」
誰の返事も期待出来ないが。
自分自身の、眠る合図として。
「こらー、起きろー。参加出来なくなるぞー」
「…………揺葉?」
首から上は見えないが、正しく俺は目の前の女子が親友だと認識していた。存在しない訳じゃない。ぼんやりと見えるけど、それ以上は見えないだけ。
「ドッジボール参加したいって言ってたのアンタでしょ。昼休み終わっちゃうけどいいの?」
「ドッジボール……俺、何で寝てんだっけ」
グラウンドの外には見慣れた顔が集結している。十五分の間に行われる短期決戦も面白いが、やはり二五分という長い時間で行われるドッジボールの方が白熱する。それ以外にやる事が思いつかないからなのだが。
「知らん。私に聞くな。しっかし毎度毎度飽きないもんね。勝敗はあってもこれまでの戦績とかは誰も覚えてないのに」
「……はー。萎えたわ。どうせ今から参加しても外野じゃん。俺外野嫌いなんだよな。だって味方側の外野って上手い奴にパスするだけじゃん。しないと責められるし」
「じゃあ私とブランコでも乗る? うちの学校ドッジボールが最強なもんでいっつもブランコが空いてて可哀そうなんだわ」
「…………お前運動神経良い方だろ。俺はそこまででもないからアレだけど、お前はやってこいよ」
「いいよ、別に。さっきも言ったけど結果が好きなんだよね。何となく勝った負けた、じゃあ次もやろうっていうのはちょっとね。や、再戦が嫌いとかじゃなくてね? 勝ち星くらいは集計しててほしいだけ。私が頑張っても意味ないみたいじゃん」
自分の頑張りが認められないのはつまらない。彼女は心底嫌そうに嘆息して、窓を閉めた。しょうもないと言えばしょうもない理由だけど、そんな理由があるからテストの成績もいいのだ。
「でも確か、隼人が誘ってただろ。一組と二組で対抗戦。男女混合だからな」
「アイツの誘いは全部受けなきゃいけない決まりでもある訳? アンタだってたまに都合が悪い時は断ってるでしょ」
「まあ、な。ブランコか……うーん。そうだな。ここで寝るよりはいいか」
「決まり! 何ならドッジボール観戦しながら乗ったら面白そうじゃない? どっちが勝つかの予想。負けたらなんかお菓子ちょーだい」
「……負けたくねー」
るんるん気分で先を行く揺葉に、後からついていく。昇降口を通ってグラウンドへ。横ではドッジボールが白熱しており、俺達に目を向ける奴は居たらその場でアウトだ。余所見は命取り、ドッジボールは刹那の駆け引きにこそ真髄がある。
「ねえねえ、アンタ立ち漕ぎとか出来る?」
「怖いから無理。そう言うお前は出来んのかよ」
「そりゃ言い出しっぺが出来なかったらただの馬鹿じゃない。見てなさいよ……」
片方のブランコに座って親友の雄姿を見届ける勢いだ。揺葉はたったまま勢いをつけていき、その加速度はブランコという遊具を熟知している様だ。速さの乗り方がまるで違う。手を離せば吹き飛ぶような速度になった、思わず拍手。
「おー!」
「これね! めちゃ疲れるんだけどね! あー! 減速どうしよ、減速! あー!」
「大丈夫か?」
「前来んな蹴っ飛ばすぞ! マジで危ないから来ないで! もうちょい離れて!」
どうやら自分の想定以上に速度が乗ってしまったようだ。ブランコを囲むタイヤに座って成り行きを見守る。漕ごうとしなければ勝手に減速する当然の原理に則って、揺葉はようやく解放された。
釘付けになっていた俺を尻目に、彼女は安堵の表情を浮かべている。
「……イチかバチか飛び降りるしかないと思ってた。あぶなっ……って何してんのアンタ。ボーっとしてるけど」
「―――ゆ、揺葉。おま……スカート」
「へ…………あっ」
視界の中に突如白い布が見えたら釘付けになる。スカートを覗くのが悪い事だと分かっているからこそ固まってしまう。揺葉もみるみる顔を赤くして、下半身をぎゅっと縮こまらせた。
「み、見んな馬鹿! …………いい? もし見ても自己申告しない方が良いわよ、普通は嫌われるから」
「…………お前も?」
「この流れで私が嫌う理由ある? ブランコに誘った私が悪いし、こういうのは自業自得みたいな所がある。気を取り直して乗りましょう。次見たらぶん殴るから」
ドッジボール観戦の方に意識を向ける。何も考えずブランコに揺られ、どちらが勝つかの単純な賭けだ。俺は自分のクラスを応援している。揺葉は何となくで一組を応援していた。
「やっぱ隼人にボール渡した方が勝てるよな。外野の暇っぷりやばいぞ。見ろよ味方の外野。喋ってる奴が居る」
「何なら一組の外野と話してる奴まで居るわね。こういうのが嫌なの。勝負ならその辺の区別はつけて欲しいっていうかさー」
「お、珍しく隼人がやられた。あの外野強いな」
「そういう事もあるわ。賭けは私の勝ちかも?」
結局、決着がつく前にチャイムが鳴って勝負は有耶無耶になってしまった。何から何まで嫌いな展開で、隣から露骨なため息が聞こえてくる。
「は~最悪。もっと昼休みあればいいのに。もう戻りましょうか」
「どっちも無効試合なんてしょぼいな」
「こういうのも嫌い。どうせこんな事になるなら今日のブランコみたいに気兼ねなくね…………あ、そうそう。私、自分を勘違いされるのだけは嫌だから言っておきたいんだけど」
ブランコを足で止めて、彼女はこちらを向いた。
顔は、ぼんやりとしか、見えない。
「他の男子じゃタコ殴りよ。アンタだから一回は許した。いい? アンタは私にとって『特別』な存在だから。そういう所…………もしクラス替えで離れ離れになっても、忘れちゃ嫌よ。自分の代わりなんて沢山いるとは思わないで。『親友』は、アンタにしか務まらないんだから」
「………………ん」
ぼんやりとした視界に、温かみというか単純に電気がついた天井。首を左右に動かすと、エプロン姿の矮躯が見えた。
「……錫花?」
「え。あっ」
視界が曇っていてよく見えない。目を擦っているとカコ、と何か固い物を掴んだ音が聞こえてきた。上体を起こして今度こそ正常な視界を開くと、錫花が仮面の位置を調整するようにぐいぐいと指で押し込んでいた。
「こんにちは、新宮さん。よく眠れましたか?」
「……仮面。外してた?」
「誰も見ていないので、つい。素顔が見たいなら外しますけど」
「いや、いいって。そういう時もあるだろ……どれくらい寝てたんだ俺は」
「いつ来たのかを把握していないのですが、今は六時です。随分お疲れのようだったので、起こさないようにはしました」
「…………先生は?」
「『私も彼の役に立ちたい』と言って、資料を―――失礼。もう片付けましたが。一緒に読み込んでくれていたので、その反動かまだ眠っていますね。申し訳ないのですが、後で起こしに行ってもらえませんか?」
「オーケーオーケー。まあこっちも色々話したい事があるんだ。晩飯食べたら……って待って。ここで晩飯食べるのか俺」
「……帰るんですか?」
―――――――――懐柔された両親の顔が脳裏に過る。
「いや、ここで食べる。その方がストレスが無いと思う」
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