孕ん大丈夫な妄日
『暇だから遊ばないか?』
手話は目立つので、読唇術で頑張ってもらうしかない。意思が伝わるかは運か気合いだ。もしも伝わらず、不審者になるだけだったらやめる。
『…………暇って、デートしてるのに!』
多分伝わったし、同じような方法で返してきた。これでお互い何の情報も伝わっていなくてもそれはそれで遊びの一環としていいか。すれ違いコントみたいで面白いだろう。お互い読唇術のプロではないから、受け取った言葉が現実と相違している可能性は、どちらかというと高い。
『したくもないデートに付き合わされてる俺の気持ちがお前に分かるか?』
『知らないよ!』
『お前こそ何でそんな所で俺を見ているんだ? 監視か?』
『たまたま居ただけだし、監視とかしてないから!』
身振り手振りからも言葉を予測しているつもりだが、割と自信のある読みだ。顔が赤いし、慌ててるし。たまには隣の女子も気にしているが、メニューを決めているのに夢中で俺の事なんてどうでもよさげだ。
『このデートしんどいから暇つぶしに付き合ってくれよ』
『暇つぶしって何?』
『……じゃんけんとか』
窓越しに出来る暇つぶしなんてたかが知れているというのは思いつく前から分かっていた事だ。
「あ、俺のは良い感じに選んでおいてくれ。俺の事が好きなら好きな食べ物くらい分かるよな」
「それは勿論! 硝次さんは何にも考えなくていいんですからね♪」
だが現実は御覧の有様だ。一言も教えた覚えがないのに好きな物を知っているなんて馬鹿な話があるか。冬癒が教えたかもしれないが、それならそれで、好きな物が食べられるのでいいとしよう。
知らないなら、やっぱり真実の愛なんてものはなかったと。百年の恋の熱量も一瞬で冷めるふざけた好意だ。妙な事になってから、俺は露骨な好意とやらが信用出来なくなっている。
どいつもこいつもおかしいのかと思う。軽々しく人を好きにならないでくれ。俺は『無害』な人間だ。隼人みたいに格好良くもないし、目を引く財力もない。頭脳も普通で運動は一番得意な方かもしれないが言う程だ。
好きになってくれるなら、理由が欲しい。
理由もなく好きになるのは受け入れられない。それは別にどんな理由でもいい。自分から見える魅力と相手から見える魅力が違う事だってあるだろう。俺は錫花の身体が好きだし(語弊しかない)、夜枝の顔が好きだし、先生の雰囲気が好きだ。
これが低俗かどうかも主観でしかない。だから、せめて少しでも俺に汲ませて欲しい。好きになった理由という奴を。
妹の友達は、新宮硝次を好きになったというより。
『好きになった人』が新宮硝次だった。
この違いは大きい。恋に恋している様な物で、そこに俺への理解はない。
窓の方に視線を戻す。
『お前は好きな人とか居るのか?』
『ええ! いないいないいない! 居る訳ない!』
『学校に居ない? それとも外にさえ居ない?』
『誰も好きじゃない! アンタ、頭おかしいの!?』
さっきより手振りが増えた。デリケートな質問だったか。顔を赤くしているのは恥ずかしさというより怒りから来ている可能性が高い。何事も踏み込み過ぎると怒られる。それが正しい人間関係というか、プライベートの距離感ではないだろうか。
『もし好きな人が居るんだったら色々聞きたい事があったんだよ』
『何それ』
『そいつの何処を好きになったのかってのが気になってさ。見た所お前は影響を受けてないだろ。だから聞いても時間の無駄にはならないと思った。嫌ならいいんだけど』
『……好きな人。好きなタイプは、あるけど。面白くないよ』
『あるなら教えてくれ。面白さを求めてる訳じゃないんだ。これは暇つぶしだけど、大事な質問でもあるから』
「お待たせいたしましたー」
窓の外に夢中になっていたら、料理が注文されていた事にも気づかなかった。俺の正面に運ばれた料理は……ミートソースパスタ。これは……好きでも嫌いでもない。当てずっぽうで頼んだ事が発覚した。
「おお、俺の好きな物を知ってたかー」
「はい♡ 硝次さんの事はなーんでもしってまーす!」
「さっすがー!」
「だって、未来の旦那さんだもんね!」
はいはい凄いですね。
窓の外に目を向けると、水都姫の姿が消えていた。多少話に間が空いたのが悪かったのか。それとも。
「……解釈、間違ってたかな」
全部俺の妄想だった可能性は否めない。
昼食中、彼女達は頻繁に話を振ってきたが、望み通りと思わしき答えを口にするだけで満足してくれた。少し前の俺なら噛みついていたかもしれないが、夜枝から危ない気配がするのと、攻撃の矛先が妹に逸れる可能性まで考慮している。そのせいだと思うが、フラストレーションが溜まりつつある。
これを発散するには直ちにデートを終わらせないといけないが、楽しいと感じていない時に限って体感は延長され、無限よりも永く思える。まだ昼とか、信じられない。
せめて一人の時間が欲しくなって三人をショッピングに誘導した。『また違った可愛さの三人が見たい』とか何とか言えば、簡単に乗ってくれた。連日のデートで、しかも同じ場所というのはセンス的な意味で駄目だと思うが、こんなメンツだと何処に行っても面白くないのでノーカウント。
「じゃあサプライズ的に見せてもらいたいから、俺はちょっと別のを見てるよ。家庭用品とか」
好きな人の言う事は疑わないし、俺は嘘を吐く事に微塵の罪悪感もない。一時的な安息を手に入れ、お酒売り場の隅っこで心の底から安堵する。居るだけならセーフだ、隠れ蓑に使いやすい。
「三〇分…………短え」
小学生の頃は一五分で外に出てドッジボールとかしていたっけ。時間の使い方には年を取る度に戦慄する。三〇分なんて、最大限休憩に時間を当てても一瞬で終わりそうだ。
全く困り果ててしまって、思い至ったのは電話だ。昼のショッピングセンター、それも休日なら人も多い。出来るだけ人が少ない場所というと、もう何も存在しない空間を探すしかないか。
駆け足で探したら飲食スペースの隅っこがそれっぽかった。服屋の方角から身を隠すように柱の後ろへ。揺葉に電話を掛けて助けを求める。
『え? デートが楽しくない?』
『助けてくれ。頼む』
『…………まあ、アンタが好きじゃない子とデートしてるのは分かるけど、だからって私に頼るかなあ』
『お前しか頼れないんだ、三〇分だけでいいから俺を楽しませてくれ。それか落ち着かせてくれ。何でも良いから』
『…………何でもいいの? そんな軽々しく言うもんじゃないけど、まあいいわ。私も一度やってみたかった事があるのよね』
―――?
『気になるな』
『電話えっち』
『ぐばぁッ!?』
衝撃的な発言に、唾が器官に入って咽てしまった。電話の奥から怒るようにまくしたてる声がする。
「ちょっと、何一人で慌ててんのよ! 言っとくけどこっちだって恥ずかしいから! めっちゃめちゃ恥ずかしい、なんでこんな事言わなきゃいけない何かの罰ゲームかってくらい! でも、二度とやりたくもならないとは思うけど、一回くらい許されるならやってみたい事ってない?』
『力説すんなよ! ま、マジで言ってんのか……理屈は分かるんだ。バスケットゴールにぶら下がりたいとか、学校を外からよじ登りたいとかさ。お前が言いたいのはそういう……なんか、周囲の目線的にやっちゃ駄目な事って話なんだろうけど!』
『…………落ち着きたいって言ったのはそっちでしょ? 賢者タイムってのがあるかどうか確かめようじゃないの!』
『言ったけどさあ! ……………………初めてだから、やり方とか知らないぞ。マジでやるのか?』
『それは私も知らね。所詮電話越しに互いの妄想共有するだけでしょ。小芝居みたいなもんよ。そんな訳で舞台設定から始めたいんだけど。アンタと私が同じ学校の同じクラスで、席が前と後ろっていう設定ね』
『…………』
やる気だ。
いや、ヤる気というべきなのか。
でも空想という事なら……いいか。何でもいいと言ったのは俺だし、揺葉もそれに合わせて提案してきたまでの事。或いはこれが最上の鎮静剤という可能性もある。試す価値しかない。
『…………分かった、付き合う。全力で妄想すればいいのな』
『そうそう。妄想ね』
『妄想』
『妄想』
『…………………………分かったよ』
覚悟を決めようか。デートよりはずっとマシ。相手は揺葉、俺の親友。あの三人よりはずっと理解度があるだろうし。
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